ちょっと待ってよ。

久しぶりに勝が仲町サーカスに顔を出したある日、みんなで囲んだ食卓の後を、勝とリーゼが二人で片づけていた。
何気ない会話を交わす中、リーゼがふと「そういえばこの前しろがねさんから電話がありマシタ」と話をする。
「マサルさん、しろがねさんに調子のいい事言ってるでしょ。」
「ちょ、ちょっと…。」
「マサルさんに電話してもなかなか捕まらないのに、いつも連絡してるような事を言って。
 そりゃ私だってマサルさんの事情は分かってるしワガママを言う気は無いけど。
 でも不安になるの。こんなに会えないでいると。
 しろがねさんには愚痴を聞いてもらって申し訳なかったデス。」
リーゼはそう言って上目遣いで軽く勝を睨む。
「ごめんよ。なんか最近フウに僻地に飛ばされる事が多いんだ。
 残ってる自動人形達が、人に見つかりにくい場所にいるから仕方ないんだけど。
 僕だって、君の声が聞きたい時にも我慢してるんだよ?」
それはそれで事実ではあった。かなりの数の自動人形が勝たちの手によって倒された今、地球上に残された彼らの数は減っており、それまで以上に発見されにくい場所に隠れるようになっていたのだ。
「だから、私だって事情は分かってるんデス。」
そう言うとリーゼは拗ねた顔をして横を向いた。
「…でも寂しい事には変わりないもの。」
そのリーゼの横顔を見て勝は困ったような顔で天を仰ぎ、鼻の頭を掻く。
「もうすぐ、終わると思うんだけどね。」
「いつもそうやって言ッテ!しろがねさんは、今の予定だけでも半年はかかりそうだって言ってたマシタ。
 マサルさんも同じ作戦に参加するんでしょう?」
あまり気のない風な勝の言葉尻を捕らえて、いつになくキツイ調子でリーゼが言った。
「それはそうだけど…。」
リーゼの強い口調とは対照的に勝の声は心もとなくなる。彼は申し訳なさそうな顔をして彼女の顔を見つめた。
「待ってるのはいいんだけど、今みたいにいつまで待ったらいいのか分からないのが辛いの。」
そう言ってリーゼは顔を伏せる。
「ゴメンナサイ、ワガママ言って。そんな事、マサルさんにだって自由にならないんですものね。でもせめて…。」
俯くリーゼの肩が小さく震えていた。彼女は嗚咽がもれないように両手で口を押さえている。
勝は震える肩に腕をまわし彼女の頭を胸に抱いた。
「もう、仕方ないな。
 ほんとの話、僕にも予定があったんだけど。フウのじいさんからちゃんと解放されたら、言おうと思ってたんだ。
 確かに予定より長引いちゃってるし、君が痺れを切らすのも無理無いけど。僕なりに色々と計画を立ててたんだけどなぁ。」
滔々と話し出す勝に、彼の胸の中でリーゼが少し呆気にとられた顔をした。彼女が思っていたのとは話が少しズレているようだ。
「マサル…さん?」
抱いていた体を離した勝はリーゼの手首を取って、普段平馬と共にオリンピアの整備をしている工房に向かって歩き出した。彼女の手首が痛くないよう気は使ってはいるものの、有無を言わせぬ強さで引っ張っていく。
「な、何?」
「明日、午前中の公演は無かったよね。」
「…ええ。」
「リハーサルに間に合うようには帰ってこれるな。ちょっと待ってて。」
工房の前にリーゼを残し、勝は中に入っていった。戻ってきた彼は、整備の終わったオリンピアのスーツケースを手にしている。
「今が寒い季節じゃなくて良かった。冬だと着込んでも寒いからね、オリンピアで飛ぶのは。」
勝の言葉に戸惑うリーゼの前で、スーツケースの中から翼を広げたオリンピアが立ち上がった。
「飛ぶって…どういう事デスカ?」
「こういう事。」
「え、きゃっ。」
指ぬきを嵌めた手でリーゼを抱き、勝はオリンピアの糸を繰り始めた。
二人の体をオリンピアの腕が抱え込み、力強く大きな翼が羽ばたき出すと、二人の足先がふわりと宙に浮いた。
そのまま適切な高度を保って、オリンピアは星空を優雅に飛行する。
「いままでこうして一緒に飛んだ事ないもんね。…怖くない?」
勝は自分の体に腕を回しきょろきょろと星空に目を凝らすリーゼに優しく声を掛ける。
彼女は興奮に赤らんだ顔を勝に向け、弾んだ声をあげた。
「うん、平気。でも急にどうして?」
リーゼの言葉に照れたような顔をして、少し間を空けて勝が言葉を口にする。
「……しろがねに言われるまでも無く、僕だって考えてたんだよ?」
「え?」
「だからさ、僕だって君とずっと一緒にいたいんだから。ずっと前から、サーカスにきちんと戻れる事になったら言おうと決めてたんだよ。『結婚して下さい』って。でもこのタイミングで言うと、しろがねに言われて決めたみたいじゃない?だから嫌だったんだけど…。」
勝の腕の中でリーゼの瞳が煌めいた。その二つの漆黒から止めどなく涙がこぼれて落ちる。
「マサルさん…。」
「してくれないと、困るんだけどな。」
口調こそおどけているものの、勝の表情は真剣だった。月明かりに照らされた顔がうっすらと赤い。
「もちろん、します。私、あなたと結婚するわ。」
尽きる事の無い涙の間からリーゼが勝に微笑んだ。勝の目に映る彼女の顔は喜びに輝いていた。

「ここんとこ、顔を合わす度にリーゼと結婚の約束をしろってうるさくて。戦ってる最中もだよ?本当にあれにはまいったよ。」
オリンピアを繰る手を休めずに、勝はリーゼに最近のしろがねの「結婚しろ」攻撃について愚痴を言う。
「しろがねさん、そんな事を勝さんに言ってたんですか?…でも私たちは別に結婚の話をしてた訳では無いんデスヨ。勝さんとあんまり連絡がつかなくて寂しいって、ちょっと愚痴を聞いてもらっただけなんデス。」
「え、そうなの?」
勝の目が点になる。彼の中ではしろがねが、痺れを切らしたリーゼと結託して結婚の話をしていた事になっていた。
「ハイ。さっきも『もう少し電話して下さい。』って言おうとしただけで。」
そう言ってリーゼはニッコリと微笑む。
「あれ…僕、おもいっきりフライングしたって事?」
「でも私は嬉しいです。こんな…空の上でプロポーズされるなんて。思ってもみなかったわ。」
幸せそうに笑うリーゼを見て、勝も照れたような顔で笑った。
「タイミングなんて、あって無いようなもんだね。確かにオートマータが全部いなくなるのを待ってたら、いつまでたっても言えなかったかもしれないし。」
これ以上は無いリーゼの笑顔に、勝はしろがねの言葉にムキになって逆らう事も無かったかな…と頭の隅で思う。
「うふふ。私はしろがねさんにマサルさんをたき付けてくれたお礼を言わなきゃ。」
「うーん…。それ何か悔しいなぁ。」
改めてリーゼにしろがねのおかげと言われると、やっぱり少し面白くない。
「大丈夫、勝さんの気持ちは分かってますよ。しろがねさんの事が無くても、きちんと言ってくれたって。」
「リーゼがそう言うなら…ま、いいか。
 悪いけどこのまま少し付き合ってくれる?母さんに報告しときたいんだ。この人と結婚しますって。
 ドイツには、さすがに今日は行けないけど…リーゼのお母さんにも報告しないとね。」
「ハイ!」
二人を抱いたオリンピアは、初夏の星空をそのまま飛び続けた。

「勝さん、携帯は持ってきました?」
勝の母の墓前に報告が済み、オリンピアをスーツケースの中に戻し、二人は夜道を肩を並べて歩いていた。
「ん?あ、無いや。テーブルに出してきちゃったかな…。」
リーゼの言葉に勝はジーンズの後ろポケットに手をやるが、そこに入っている筈の携帯電話が無い。食事の片づけをしている時、テーブルに置いたのを忘れてしまったようだ。
「じゃ、私のを使って下サイ。しろがねさんと鳴海さんにも早く報告しなきゃ。私のお母さんには今簡単にメールを入れたの。多分まだ寝てる時間だから。」
自分の携帯電話を勝に差し出しリーゼが言う。
「うえ。いいよ、今度言うから。ホントに来週には会うんだし。」
「ダメです!二人はマサルさんの肉親みたいな物なんですから。しろがねさん、心配してるんでショウ?」
照れてしり込みする勝の顔に携帯を突きつけリーゼが詰め寄った。
「え〜ちょっと待ってよ。イイって、こんな事いちいち報告するのハズカシイよ。」
「………マサルサン!」
なおも電話をしようとしない勝にリーゼの叱咤が飛んだ。勝の目にはリーゼの黒い髪の間に立派な角が生えているように見える。
「………分かりました。電話します。」
勝はリーゼの携帯電話を受け取った。
(結局しろがねの思った通りになっちゃったじゃん。しかも、なんかこのシチュエーションにデジャビュを感じるし。ナルミ兄ちゃんの気持ちがちょっと分かる気が。でも………そういうのもいいのかもなぁ。)
勝はしろがねと鳴海の二人に電話をかける。
「…あ、しろがね?僕だけど…。」
黄色い街灯の光りに照らされて二人は舗道に立っている。その後も続く勝の声が、穏やかな夜のしっとりとした空気の中に吸い込まれていく。
電話を掛ける勝の姿をリーゼがニコニコと見つめている。二人の頭上で星々が彼らを見守るようにキラキラと輝いていた。


2008.5.29

実は、この未来話で勝がリーゼにプロポーズする話なんて今まで全然考えた事がなかったの(笑)
桃部屋の「どきどき…」ではちゃんと考えてるくせに。「100質」も「君子危うきに」も結婚についてはあくまでネタだった…。
でも空さんがそのネタで色々書いてくれたら、なんかちゃんと勝にプロポーズさせなきゃいけない気がしてきましたよ。
ただそれに伴って若干 time series が変わってしまいました。「君は僕の何を好きになったんだろう」の後に最近の一連のSSが来ます。
婚約してたらおんなじ部屋で寝ててもいいんだろうなって思って(笑)。勝が帰ってきてて涼子とリーゼが同じ部屋ってのは無いよね?
しかしあんまり気がないんで話が短けー。すまん、リーゼさん(汗)