人形の家
「協力者の顔をなぐるなんて…。」
勝の部屋のベッドに座り込んだミシェルが額に氷嚢をあて、苦虫を潰したような顔をする。
「悪かったよ。君があんまりしつこいから手が滑って…。」
そう言って勝はコーヒーカップをミシェルに差し出す。
クリスが出ていってからもしつこく戯れついてくるミシェルに業を煮やして、勝は力づくで彼から逃れようとしたのだ。
本気を出せばミシェルを組み伏せる事は容易かったが、それもどうかと思って、ただ、本当に彼の腕を自分から引き離そうとしただけだったのだ。
しかし手元が狂ってミシェルの額に肘をしたたかに打ち込んでしまった。
もちろん彼はその場に伸びてしまい、慌てて勝は彼をベッドに寝かせ氷嚢を用意した。
しばらくしてミシェルは意識を取り戻し、今の状況に至っている。
「この償いはしてもらえるんだろうね。」
そう言って額を痛そうに押さえながらもミシェルの目が輝く。
「…出来る事なら…ね。」
そう言って勝はため息をついた。
「じゃあ…」
「もちろんセックスは無し。」
勝はミシェルに有無を言わせない。
「えーっ。そんなのズルイ。」
「狡くない、当然だよッ。」
堪忍袋の緒が切れそうな顔をして勝はミシェルを睨みつける。
ミシェルは勝の視線を受けて、少し顔を背けた。
そしていつもの元気な声と違い、低く思い詰めた声を出す。
「…じゃぁ、あの屋敷の中を調べてみてくれない?僕も行くから…。」
「え?」
ミシェルの言葉に今度は勝が戸惑う方だった。
オートマータの調査と言う名目でここにいるので、もちろん、この短い日数の間でもできる限りの調査を行っていた。
屋敷の成り立ち、周辺の聞き込み等、外から出来る屋敷の調査はもうあらかた済んでいたのだ。
それで、怪しいとおもわれる情報は手に入っていなかった。すでに残る調査は中を調べる事くらいだったのだ。
ただ、今まではミシェルの話は信憑性が薄いとされていたので、屋敷の中の調査をする事に疑問を感じていた。
しかし今は…
「返事をする前に一つ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
勝はクリスに聞いた三ヶ月前の彼の変化が気になっていた。
「僕が答えられる事なら…。」
ミシェルは珍しく真面目な様子をしている。
「さっきクリスに聞いたんだけど。ミシェル、君…三ヶ月くらい前から様子がおかしかったんだって。何かあったのかい?」
それを聞いてミシェルは目をしばたたかせる。
「…それを知らないで君はここに来たのかい?」
今度はミシェルの方が戸惑っている様子だった。
「え?」
「僕は三ヶ月前、人形にあの屋敷に監禁されたみたいなんだ。だから君を呼んだ。」
「何だって?フウはそんな一言も…。君の話に信憑性が薄いって…。」
ミシェルの座るベッドの前に立っていた勝は、彼の話を聞いてその場にヨロヨロと座り込んだ。
「僕の父が連絡を取ったのはそのフウと言う人物だから、もちろん僕の言った事も全部知ってる筈だよ。」
不安そうな表情をしてミシェルは勝の顔を見つめる。
勝は顔を上げてミシェルのその表情を受け止めた。自分に助けを求めるその表情を。
「悪いけど、僕にもその話をしてくれないかな?…フウが話さなかったのは、僕が君から直接その話を聞いた方がいいと判断したからだろう。
あの人のやる事には、それなりに、意味があるんだ。」
そう言って勝は、ミシェルに小さく微笑みかけた。
「三ヶ月くらい前、何者かにあの屋敷に監禁されたんだ。身代金目的かと思ったけど家にも連絡はなかったらしい。
でも一日や二日くらい連絡がつかなくても心配されるような生活をしてないんでね。
情けない事に、丸二日閉じこめられていたのに誰も気付いて無かったよ。でもそれだけだったんだ。
気付いたら解放されて…僕はそのまま家に帰った。家族も僕の携帯電話のGPSが機能してない事に気付いた時は焦ったらしいけど。
でも家族が騒ぎだしたちょうどその時、僕が戻ったから。」
ミシェルは一息でそこまで話をした。そして大きく息継ぎをする。
「それだけでは人形がしたことかどうか分からないよね?君の言う通り身代金目当ての犯罪者かもしれないし。
何が君にそれを人形の仕業だと思わせたんだい?」
勝の台詞を聞いて、ミシェルは何とも言えない奇妙な顔をする。
「……その後、僕自身がおかしいのさ。上手く言えないんだけど。何だか自分が自分じゃない気がするんだ。
記憶と僕の体が一致しない、そんな気がする。
食事の量も極端に減ったし、それでもあまり疲れない。眠れない。
セックスをしても記憶の中ほどの快感は無いんだ。相手が男でも女でも。
まるで僕自身が何か違う物になったみたいだ。」
そう言ってミシェルは口の端を歪めた。
「医者は、監禁されたショックでそういった症状が出てるんじゃないかって言うんだけどね。」
そう言ってミシェルは顔を伏せ、ため息をつく。
「…そういう事もあるかもね。僕も…経験あるし。」
「マサルも…?」
「そうやって現実感を失うような症状じゃなかったけど。」
勝はフェイスレスの記憶のトラウマで自己を失った時の事を思い出していた。
「そんな仕事をしてると大変な事も多いんだろうね。」
ミシェルが勝を気遣った言葉をかける。
「まぁ…ね。でも普通のしろがねと違って、僕はこれを自分で選んでやってるから。」
ゾナハ病にかかり、死ぬ代わりにしろがねになる道を選ばざるを得なかった者たちは、強制的にオートマータと戦う事を義務づけられた。
しかし自分はそうではない。フウに請われはしたが、オートマータを片づける事は勝が自分で選んだ道だった。
「…でもやっぱり、しろがねが必要な話とは思えないんだけど。君が監禁されたって事…警察には言ってないの?」
「あぁ。五体満足で戻ってきたし…何より僕は元々そんなにイイ息子じゃないからね。監禁されたって言うのが僕の証言だけじゃ信憑性がないんだ。」
そう言ってミシェルは淋しげに笑い、勝の方に顔を向けた。
「それでさ、確かにそれだけならただの病気なんだけど。
実はしばらくして、頭の中に『しろがね』という単語が浮かんで来たんだ。『あの屋敷には人形がいる。』それを『しろがね』に伝えろって。
何の事かわからずに気味が悪かった。でも焦燥にかられてそれを父に話した。何年も…父に自分から何か話すなんて事、無かったのに。」
『父』と言う単語を話す時、ミシェルは少し遠くに目をやった。その表情を見て、何故だか勝は阿紫花の話をする時の平馬を思い出す。
「自分に話があるって言う僕に、父も怪訝そうな顔をしてたよ。でも『しろがね』って単語を聞いたら顔色を変えてね。
すぐそのフウと言う人に連絡を入れてくれて…それで…君が来てくれたんだ。」
ミシェルは勝の方を見て小さく微笑んだ。
「ミシェルは元々『しろがね』を知らないの?」
「そりゃ…この事があって父に少し事情を聞いたけど、よっぽどの事情通しか知らないんだろう?」
そのミシェルの言葉を聞いて勝は考え込む。勝の見る所、ミシェルはウソがつけるタイプの人間では無い。
人形に監禁されて何かしらメッセージを頭に植え込まれたというのは本当なのだろう。
(フウはもちろんこの話を知ってるんだよな。なんで僕に黙ってたんだろう。
つまり…僕はミシェルじゃなくて彼を監禁した奴らへの『餌』って訳?
それは確かにそうだけど…それだけじゃ無いのかもしれない。僕に隠しておくメリットが無いもの。
こんなわかりやすい罠に、なんの準備もせずに挑む訳にもいかないしなぁ。
オートマータを誘き寄せる為なら言われなくったって囮にくらいなるし。他に何かあるんだろうか…?)
「…ミシェル、君は監禁された時の事は何も覚えてないの?」
「残念ながら…本当に何も覚えてないんだ。」
勝の問いにミシェルは不安そうに顔を歪める。
「そうか…。」
「でも、もっと前から僕はあの屋敷の事が嫌いだった。…怖かった。」
ミシェルは顔を伏せ小さい声で話し出した。
「5年前、ここに住むようになってすぐの事さ。
当時からあそこは無人だった。でも…時々あの屋敷の一室に明かりが灯るんだ。
この界隈では幽霊屋敷のように言われて有名な場所だったけど、実際に何かを見た者はいなかった。
人に聞いてもその明かりをを見たのは僕だけなんだ。
そこで僕は興味を持って、暇があると、この窓からあの屋敷を観察していた。
そうしたある日、黒ずくめの服をきた老人が中に入って行くのを見かけたんだ。」
そこでミシェルは、脅えた瞳を勝に向ける。恐怖が彼の瞳に溶け込んでいた。
「彼は屋敷に入る時、僕の方に顔を向けたんだ。そしてにぃっと笑った。
…あの場所からここに居る僕を見つけたんだよ?僕が屋敷を覗いている事を知っていたんだ。
気味の悪い笑顔だった。ドラキュラが獲物を襲う前にはあんな表情をするんじゃないのかな。
一瞬で元の方を向いて屋敷に入っていったけどね。
それ以来その男は見てない。
屋敷に明かりが灯る事も無くなったけど…僕はあそこにすごくプレッシャーを感じるようになった。
今もあの老人の笑顔の悪夢を見るんだ。」
そう言ってミシェルは頭を抱え身を震わせる。勝は隣に座り、元気づけるようにそっと彼の肩を抱いてやった。
「…そんなにあの屋敷が怖いなら、どうしてここを出なかったんだい。君なら他の家を借りる事だって簡単だろう?」
「何故だかそんな気にはなれなかったんだ。
…あの屋敷の事が怖くて仕方が無いのに、どうしてもこの場所を離れられなかった。」
震えながらミシェルは勝の体にしがみつく。
最初から、彼はあの人形の家に取り憑かれていたのだ。
「ミシェル大丈夫?…最初にちゃんと話を聞いてあげなくてごめんよ。
話を聞いていれば証拠も何も、あの屋敷に人形が潜んでいるってすぐ分かったのに。」
勝は腕の中で震えているミシェルに謝った。
彼は自分の傍で苦しんでいる人の心に気付けなかった。その事に対して少し自己嫌悪に陥る。
「今聞いてくれたからいいよ。それに君が来てくれた事で僕の不安は小さくなったから。」
勝の謝罪の言葉を聞いてミシェルは少し顔をあげて微笑む。
「君は昔の僕の記憶にいない人だからね。
その…違和感が無いんだよ。両親やクリス、昔なじみの友達にはみんな記憶との違和感を感じるんだ。
でも君にはそれが無い。
だから君といると楽しいんだ。何も気にしなくていいから。自分の現実感の無さを忘れられる。
…それにやっと肩を抱いてもらえたし。」
そう言ってミシェルは本当に嬉しそうに笑う。
「…仕方ないな。そんな事言われたら邪険にしにくいじゃないか。」
困ったような顔で、勝はミシェルの肩を抱く反対の手で頭を掻く。
「じゃ、僕と寝てくれる?」
「それはダメ。…だいたい人間の楽しみはセックスだけじゃないだろ?」
勝は少々自嘲気味な気分になる。自分だって女を抱く事で心の中の不安を解消している。
ミシェルのやっている事と大差は無いのだ。勝はミシェルの肩を抱いた腕を外し、彼と向き直る。
「今夜、通りに人気が無くなった頃に、屋敷に行ってみるよ。もちろん僕一人でね。
まずは様子を探ってくる。マリオネットを持っていては忍び込めないし、中がどうなってるか一度確認しないと。」
「僕もついていくよ。マサル、言うことを聞いてくれるって言ったじゃないか。」
一人で屋敷に向かおうとする勝にミシェルが食ってかかった。
「ダメだよ。あそこに人形がいるのはほとんど確定なんだ。危険な場所に人間の君を連れて行く事は出来ない。」
自分より年上の男を諭すような口調で勝が言って聞かせる。
ミシェルは自分の握りしめた拳を見つめた。
「…僕は僕の不安の正体を知りたいんだ。」
「ダメだ。はっきり言うよ、君は足手まといになる。だから連れていけない。」
勝にもミシェルの気持ちはよく分かったが、ここで引く訳にはいかなかった。
連れて行けば彼の命が危険に晒される。多少きつく言ってでも、彼をここに留めなければならなかった。
「ケチ!」
そう小さく叫んで、ミシェルはベッドから立ち上がる。
「何といってもダメだ。君はここで僕が戻ってくるのを待っててよ。人形を壊せば君に掛けられた暗示も解けるさ。」
ミシェルに部屋に留まるよう、再三言って聞かせる。しかし彼は勝の言葉を最後まで聞かずに部屋を飛び出した。
部屋の扉が大きな音を立てて閉まる。
「ミシェル…。」
勝はしばらくミシェルが出ていった扉を見つめていた。
その日の夜半過ぎ、勝はターゲットの屋敷に忍び込んでいた。
結局あの後ミシェルと顔を合わす事は無かった。アパートメントを出て、友人の所にでも行ったらしい。
(作戦中の行動は独自の判断に任されてるけど…フウに連絡入れた方が良かったかな。
でも今回、あの人の考えてる事が読めないしなァ。
まぁ、この偵察を終えたら一度連絡してみよう。何か他に装備も必要になるかもしれないし。
…それにしてもミシェル、どこに行ったんだろう?自暴自棄になってなきゃいいけど。)
そんな思いを振り払い、当たりをつけていた忍び込めそうな窓に飛びつく。
窓枠を乗り越え、彼はひらりと屋敷の中に入り込んだ。足音をさせないように細心の注意を払う。
古めかしい屋敷の中は、薄暗い闇に包まれていた。
「…なーんか、人形以外のモノが出そうな感じ。幽霊屋敷って噂が立つのも仕方ないな。」
勝が忍び込んだ部屋は、想像以上に荒れ果てていた。虚を突かれた彼の口から小さな呟きが漏れる。
堅牢なレンガに覆われた外観は、隙間なく蔦に覆われ所々剥落してはいるものの、この屋敷の過ごした長い時間を風格と呼べる物に変えていた。
しかし、住む人がいなくなって久しい屋敷の中は、ネズミや虫が這い回り、残された家財道具や壁材が腐り落ち、見るも無残な状態を晒していた。
壁に掛かった鏡は大きくひび割れ、そこに映る勝の顔は大きく歪んでいる。歪んだ顔は気味の悪い微笑みを作って彼を見つめていた。
部屋から廊下に出て地下室がある方へ向かう。彼は事前にチェックした屋敷の平面図を思いだし確実に歩を進めた。
「嫌な…匂いがする。ネズミかな?」
古びた家屋の匂いに混じってかすかな腐敗臭がする。
「…人形の隠れ家なら色んな可能性があるけど…でもま、今考えるのは止めとこう。」
この屋敷の構造上、人形が潜んでいると考えられるのは地下室だった。
地下室へ向かう途中、勝は要所要所に万が一の逃走用に火薬を仕掛ける。
「使わなくて済むならいいけど。」
そう独りごち、彼は扉を開け、地下室への階段に足をかけた。
2008.2.2-2008.2.5
ミシェル=ミカエルで実は天使のイメージ。
クリスはクリスチャンを女の子名前にしてクリステル。それだけなんですけど(笑)。