〈前〉

人形の家

起き抜けの格好のまま、勝は窓からターゲットの家の窓を覗く。
「うーん…。やっぱりガセだよなァ…。」
ここ3日程、彼は一ヶ所に留まり、タレコミのあった隠れ家の様子を探っていた。
特にこれと言ってその屋敷におかしな所は無い。何より人の住んでいる気配さえ無かった。
それはある意味、勝の予想の範囲とも言える。
ある理由から、彼は今回の仕事にあまり乗り気でないのだ。
窓際から身を乗り出し半ば諦めた顔で頬杖をつく彼の背中に、突然、生暖かい重みが加わる。
「おはよう、マサル。…今日も朝から精が出るね。」
陽気な声が勝の頭上から降ってきた。彼が『乗り気でない理由』が背中を占拠している。
「…君にでっかいおっぱいがあれば、僕も何も言わないんだけどさ。その薄っぺらい胸をどけてくれないかな、ミシェル。」
眉間にしわを寄せ、勝が渋い声を出す。仏頂面のまま上に顔を上げようともしなかった。
「それって男女差別じゃない?」
勝の背中に体を預けていた人物が、今度は腕を前に回して勝の体を抱きしめた。
「わーっ。僕は裸の男に抱きしめられても嬉しくないッ!!」
鳥肌を立てた勝が両腕を振り回す。ミシェルは笑いながら体を離し、勝に向かってウィンクした。
「今朝もナイスリアクションだね、マサル。毎朝、君の反応を見るのが楽しいよ。」
「…僕はちっとも楽しくない…。」
キッチンへ向かう上半身裸の男を見送って勝はひとりごちる。
「ルームメイトがいて、しかもバイなんて、…聞いてない。」
そう言ってターゲットの家の方へ顔を向けて、彼は深い深いため息をついた。

話は一週間ほど前に遡る。例によってフウの元にオートマータの情報が寄せられた。
「私の旧知の人物のご子息が、自動人形を目撃したと言うんだ。
 正直、信憑性は薄いんだがね。マサル、手間をかけてすまないが一応調査に行ってくれないか。」
そういうフウの依頼を聞いて、ちょうど次のサーカスの契約まで時間があった勝は、特に深く考える事もなくその話を受けた。
そして目的の場所に行き、用意されたアパートメントに着くと、何故か出迎えがいる。
聞くとその部屋の住人で、勝の仕事を手伝うように言われていると言う。
相手は勝に手を差し出した。
「君が『しろがね』?。へぇ、意外と小さいんだ。」
相手の言葉の「小さい」は余分だと思いながら勝は相手の手を握り返す。
「…正確に言うと『しろがね』では無いですが。でもオートマータの掃除屋ではありますから。
 やつらを片づけるのに何も問題はありませんよ。」
そう言いながら、勝は相手の男を値踏みする。あまりじろじろと見ないようにして、それでも彼を子細に観察した。
年のころは二十代半ば。雰囲気といい、身に付けている物といい、この国のアッパークラスに属する人間のようだ。線が細く華奢な体つきで、…好奇心丸出しの表情をしている。
勝は実に嫌な予感がした。もしかして…彼がオートマータの目撃者?
「この部屋から自動人形らしい人物の隠れ家が見えるんだ。」
男は勝に流し目をくれながら、部屋の奥に入るように促した。
「君にはここから相手の正体を探って欲しい。僕の思い違いかもしれないからね。まずは奴らが本当にいるって証拠をつかんで欲しいんだ。」
男に案内された窓からは、古めかしいが立派な屋敷が見えた。ただ人は住んでいないようで、手入れもされていない。壁のレンガが見えない程びっしりと蔦が覆っていた。
…確かに自動人形が潜んでいるかもしれない。
勝は屋敷を見てそう思った。
この屋敷の周辺は、あまり治安の良い所とは言えなかった。
貧民街という程では無いが、安アパートが多く、所得が低い人間が多く暮らしている界隈だった。
住民の入れ替わりも激しい。人間の横の繋がりの薄い場所を人形たちは好む。
自分たちが入り込む余地が多く残されているから。
しかし同時にそれは…この依頼人が住むには相応しくない場所と言うことの証でもあった。
「ここには前から住んでいるんですか?」
勝は男に質問する。
「あぁ。5年ほどになるかな。でも家は別にあるんだ。ここは…遊ぶ為の場所だからさ。」
そう言って男はニヤリと笑った。
その顔を見て勝は悟った。自分がフウに人身御供にされた事を。
退屈な金持ちの好奇心を満たす為に道化を演じなければならないのだ。
多分この男の父親は、フウに対して絶大な権力を持つのだろう。最古のしろがねの力を持ってしても、拒み切れない依頼だったのだ。
「わかりました。一週間ほど調査してみます。それで何も無ければ、今回の件は思い過ごしだったと言う事で…。」
作り笑いを浮かべ、勝は男にそう告げた。
「うん、頼むよ。あいつ、本当に薄気味悪くてさ。」
男は少し顔をしかめる。
「でも、何も無いと分かればそれでいいから。」
そう言って彼はにこやかに微笑んだ。


(絶対…フウの奴、面白がってるッ。あの変態ッ、絶対ミシェルが暇つぶしに依頼してきたって知ってるに決まってるッ。)
気分直しに熱いシャワーを浴びながら、勝は心の中で最古のしろがねに悪態をついていた。
(もうちょっとちゃんと話を聞いてれば、この話を受けないで済んだかも…。
 でも、ナルミ兄ちゃんやしろがねには向いてない話だしな。
 フウに断る余地がなかったなら…結局僕にまわってきてるんだろうなぁ。………これ、絶対貧乏くじだ。)
シャワーを止めると、扉をドンドンと叩く音が聞こえてきた。
「…うるさいなぁ。」
そう呟いて勝は片手で顔を覆い、深くため息をついた。
「マサル、鍵閉めちゃダメだって言ったろ?洗面所が使えないじゃないか。」
扉の向こうではミシェルが声を張り上げている。
タオルで体を拭き服を身に着け、一通りの身支度をして、やっと勝は扉を開ける。
「…人がシャワーを浴びてる間くらい我慢してよ。」
扉の前に立つ男に疲れた声でそう言った。
「ちぇっ、もう服着ちゃったんだ。つまんないの。」
ミシェルは唇をとがらせて言う。本当に面白くなさそうだった。
しかし勝も学習している。
一度、バスルームからローブを羽織って出た時に大変な目にあったのだ。
華奢なミシェルの力で自分を押さえられる訳がないので、貞操の危険は感じないが…とにかく戯れついて来るのだ。
服を着ていても鬱陶しいのに、裸の時は…本当に勘弁して欲しかった。

「朝から何言ってんだよ、友達はもう帰ったの?」
勝はフェイスタオルを頭にかぶせ、髪を拭きながらミシェルに尋ねた。
彼は遊ぶためのこの家で、勝がいるのもお構いなしで普段通りの生活を送っている。
(手伝うって言ってたのは何なんだよ…。)
何人もの友達を呼び、一晩中騒ぎ戯れている。
少し付き合うには面白い連中だが、ずっと一緒にいるとやはり疲れる相手だった。
自分だってあまり道徳的とは言えない生活を送っているが、彼らに比べたらまだ可愛い物だ。
退屈のあまり、彼らは今どきドラッグとセックス漬けの日々を送っている。
(ったく、ここはハリウッドかローマ帝国かっての…。)
勝は彼らのような金持ちの退廃的な趣味に辟易としていた。
今はある程度の金を手にしているとは言え、元々貧乏な暮らしをしていた彼には『働かずにおもしろおかしく生きて行く』ということに抵抗感があった。
そんな事を考えて仏頂面をしている勝に向かって、ミシェルが楽しそうに言葉を返す。
「クリス以外はね。君に朝食を作ってやるって言ってキッチンにいるよ。」
「クリスってブロンドの?」
「ああ。…女の子ならいいんだろ?君に興味があるみたいだぜ。」
クリステルはミシェルの友達のスレンダーなブロンド美人。大きな瞳が印象的だった。
やはり資産家の娘らしい。勝にしても、彼女のような女性に興味を持たれて嬉しくない訳はない。
「そりゃ女の子なら特に選好みはしないけど…。今は仕事中だからさ。」
その内心をミシェルに見透かされるのは癪なので、勝は特に表情も変えず言葉を返した。
「ずっと屋敷を見張ってる訳じゃ無いんだから、少しは僕等に付き合ってもいいじゃない。」
「いいよ、遠慮しとく。僕は貧乏人だからね、君らの遊びにはとても付いていけないよ。」
ミシェルの誘いを素気なく切り返す。勝は本気で彼らに呆れていたのだ。
「…でも朝食くらいいいだろ?クリスも美味しいの作るって張り切ってたからさ。」
勝の表情に、ミシェルが彼の機嫌を窺うような顔をする。
「まぁ…食事くらいは別に…。」
そう言うと、ミシェルは本当に嬉しそうな顔をして笑う。
とても二十歳過ぎの男の表情とは思えない開けっ広げな笑顔に、勝は少し毒気を抜かれた。

相変わらず動きの無い屋敷を観察する自分の肩に、手を置く者がいる。
「ミシェール!僕に構うなって……あれ、クリス?」
振り返った勝の前にブロンドの美人が立っていた。
ミシェルだと思い込んで振り上げた拳をそっと元の位置に戻す。
「…仕事熱心ね、マサル。」
クリスが勝に笑いかける。彼はくわえていた煙草を灰皿に置いた。
「何か用?」
「別に…気になる男の子に声を掛けるのに理由なんているの?」
素っ気ない勝の言葉にそう言って、彼女はベッドに座る彼の隣に腰かける。
「…朝食、ありがとう、美味しかったよ。さっきはお礼も言えなくて。」
勝はクリスに小さく笑顔を見せる。
朝食の席では、マシンガンのように喋りまくるミシェルに相づちを打つしか出来なかったのだ。
「どういたしまして。そう言ってもらえると嬉しいわ。」
クリスもそう言って小さく微笑んだ。


「私だって嫌がる子に無理強いしないわよ。ミシェルだってあなたをからかって遊んでるだけ。」
「からかってるだけには思えないけどなぁ…。」
勝と話しながらクリスは堪え切れずに肩を震わせる。
「だって君みたいな子、私たちの周りにいないもの。男も女も関係ないから…君みたいな反応が新鮮なのよ。」
ミシェルの執拗なアプローチに困っているという勝の話を、彼女はおかしそうに笑い飛ばした。
「クリスも女の子と寝たりするの?」
彼女の話を聞いて、勝は素朴に尋ねてみる。
「気になる?」
「まぁ…ね。」
青い瞳に婀娜っぽく見つめられて、勝は少し頬を染めた。
「ふふ、お気に入りの子はいるわよ。同性だとお互いによく分かるから。男とするのと違ってまた気持いいのよ。」
「ふぅん、そうなんだ。」
答えながら勝はつい、クリスが女の子と絡んでいる姿を想像してしまう。
その相手がしろがねだったりリーゼだったりして、我に返った彼は慌てて妄想を打ち消した。
「マサルもミシェルとしてみれば?私の言うことがわかるわよ。」
ニヤニヤと笑いながらクリスが言う。
「それ無理、絶対無理!!男とセックスなんて死んでも嫌だ!!!」
本当に嫌そうにふるふると頭を震わせる勝に彼女は苦笑いを浮かべた。そして少し表情を和らげて言う。
「でも、あなたが来てミシェルは本当に楽しそう。ここ数ヶ月、ずっとおかしかったのよね。
 すぐ苛ついてどなったり、セックスしてても途中でやめちゃったり。なんだか薬もあんまり効かなくなってたみたい。」
「…そうなんだ。彼に何かあったの?」
「詳しくは知らないんだけど。三ヶ月くらい前から変だったの。」
「ふうん…?」
クリスの言葉に勝は首をかしげる。…一応ミシェルも何かに怯えていた?
『しろがね』を呼び寄せたのは悪戯じゃなくて本当に何かを目撃してる?
(…もしかして僕が聞いてない事があるのかな…。)
ふと考え事に沈む勝の耳元でクリスの声がした。さっきまでと違い、声に媚びるような響きがある。
「それにしても忍耐力があるのね、マサル。私たちずっとうるさいでしょ?」
彼の顔を覗き込むクリスの瞳が淫靡な光を放っていた。
「…したくならないの?」
「人に無理強いしないんじゃ無かったの?」
勝は上目遣いで自分より年長の女の顔を見る。彼女の艶めかしい視線に応えるようにして。
「…嫌ならね。どう?マサルは。」
「別に嫌じゃ無いけどさ。ここはちょっと落ち着かなくて。」
彼は少し唇の端を持ち上げる。そして出来る事なら彼女の期待に応えたかった。
正直この家の環境で、ストイックに過ごすのはとても骨の折れる事だったのだ。
「落ち着かないかしら?」
「うん…例えばさ…。」
そう言って勝は自分の方に首を傾げた女の唇に、そっと唇を重ねる。
彼女の背中に腕を回し、口内に舌を差し入れようとしたその時、部屋の扉が勢いよくバタンと開いた。
「ずるいぞ、クリス。」
そこにはミシェルが立っていた。
「ほらね。…そんな気がしたんだ。」
クリスから身を離した勝が、扉の方を見ようともせずボソリと呟く。
「何よミシェル、あんた覗いてたの?」
クリスも少し呆れた声を出す。
「続きは僕も混ぜてよ。いいだろ?」
「やだ。」
ミシェルの台詞に間髪をいれず勝が答える。
「何で。」
「だから、ミシェルがいるなら嫌だ。男とするのはヤダって言ってるだろ。」
「男女差別だー!」
「そういう問題かよッ。」
喧々囂々と勝とミシェルが言い合っている。
クリスはその二人をじっと見つめた後、立ち上がった。
「……勝手にやってなさい。私、帰るわ。」
言い争う二人にそう言い置いて、彼女は部屋を出ようとする。
扉に手を掛けてから少し振り返り、そしてニヤリと笑った。
「なんか仲良よくて妬けちゃうわ。マサル、いっその事、本当にミシェルに抱かれてみたら?
 ミシェルは上手いからね、新しい世界がひろがるかもよ。」
「そんな気色悪い事言うなよ。それよりこいつと二人きりにしないで、クリス!」
勝の悲鳴を聞き流し、クリスは部屋を出ていった。


2008.2.1-2008.2.2

SSは書きたいけど、なんか上手くまとまらないので。
思いつき状態で雑記にアップします…と言っていた物をテキスト部屋に移動しました。
元々は楽しくてちょっとエッチなお話が書きたかったんですッ。
…いつもの通り、最終的にはエッチでも楽しくも無くなっちゃいますが。
〈前〉だけです…。この最初のコンセプトが生きてるのは…