〈後〉

人形の家

地下室への階段は更に深い闇に覆われていた。
一瞬、勝の目が闇に呑まれ足が竦む。彼は階段の上で少し立ち止まる。
その時、扉の向こうから微かな足音が聞こえた。
(…オートマータ?この状況で見つかったら少しマズイかな…。)
近づいてきた足音が扉の前で止まる。足音の主が扉のノブに手をかける気配がした。
勝の額に汗が滲む。彼は身を固くして息を呑んだ。
開いた扉の向こうには、見慣れた華奢なルームメイトの姿。
それはアパートメントから姿を眩ませていたミシェルだった。
「ミシェル?バカッ。何で来たんだよ。オートマータに見つかったらどうするんだ。
 僕はマリオネットを持って来てないんだぞ。今襲われたら君を庇い切れないじゃないか。」
「だって…マサルが連れてきてくれないからさ…。」
勝はミシェルに詰め寄り、声を潜めて苛立ちを彼にぶつける。ミシェルは泣きそうな顔で勝を見つめていた。
「ここは本当に危険なんだ。だから君を置いてきたのに…。仕方ない一度戻ろう。君がいちゃあこれ以上先には進めないよ。」
ミシェルの表情を見て勝は小さくため息をついた。
「…ダメだよ、ちゃんと調べなきゃ。邪魔にならないようにしてるからさ…お願いだよ、マサル。」
そう言ってミシェルは勝に取り縋る。
「僕の悪夢の原因を調べて。…一刻も早く!」
彼は悲痛な表情を浮かべ勝の顔を見つめる。その体は小刻みに震えていた。
「ミシェル…わかったから少し落着いて。」
勝はミシェルの肩に手をやり、声を和らげて彼に言葉をかけた。その声を聞いてミシェルの体の震えが少し治まる。
「マサルに言われた通り部屋で…、連れてってもらえないならせめて、屋敷の外で待っていようと思ったんだ。」
顔を伏せ、かすれた声でミシェルが呟く。
「でも…ダメだった。部屋に戻って、君がこの屋敷に向かった事が分かったら、いても立ってもいられなくて…。」
ミシェルの言葉を聞いて勝が表情を強ばらせる。
「…我慢出来なかった?」
「う…ん。」
「君は元々オートマータの暗示にかかってるんだから…しまったな。もっとちゃんと手を打つべきだった。」
勝の呟きとともに開いていた階段の扉がしまる。暗闇に閉ざされた空間の奥に、白い明かりがぼおぅっと浮かび上がった。
「『しろがね』よ…」
その薄明かりの方から不気味に響く、低いかすれた声がする。
「あまりその『擬似餌』を責めるな。そいつは『しろがね』を丸腰で私の元に誘き寄せる事が本能になっているのだから。」
部屋の奥の壁が白く光り、人の顔のような物が浮かび上がっていた。
「…あんた、あの時のじいさん…。」
壁から浮き上がった顔はミシェルの悪夢の主だった。
突然四方の壁から金属で出来た紐のような触手が飛び出し、勝の四肢を搦め捕った。
「な、何っ。」
彼は自由を奪われ空中にぶら下がる。
「マサルっ!」
ミシェルの口から悲鳴が上がった。
「ふむ…お前は『しろがね』か?…銀色をしていないな。」
触手は勝を白い老人の顔に近づけた。触手が彼の首筋を掠めて切り裂くと、赤い色をした血が薄く滲んだ。
「くっ…。あまり手荒に扱わないでくれないかな。僕は『しろがね』じゃないんだ。すぐ壊れてしまう…。」
「貴様の血からは『しろがね』の匂いがするのにな。」
勝の首筋の血を近くに寄せ、老人の顔が思案に暮れた表情を浮かべる。勝が口の端を持ち上げ言った。
「少し『しろがね』の血を飲んだだけのただの人間さ。」
「ではおまえは『しろがね』では無いのか。」
壁の顔の声にはかすかな落胆の響きがこもっていた。
「人間を殺す為にあの『擬似餌』を作った訳では無いのだがな。」
「作った…?」
勝が壁の顔に問いただす。
「あぁ。『しろがね』を誘き寄せる為にあの『擬似餌』…人形を作ったのだ。」
気味の悪いひび割れた嗄れ声が辺りに響く。
「私は人間の住む屋敷に取り憑く人形。『しろがね』を狩るための専用の道具だ。
 取り憑いた屋敷を自分の体にする。…私の体内に入った『しろがね』は二度と外に出る事は叶わない。
 100年もの間、私はマスターの元で『しろがね』のための恐怖の館であり続けた。
 我々は『しろがね』に接触が可能な人間を捜し出し網を張る。
 そして『擬似餌』にする人間に近づきゆっくりと時間をかけ、人形と入れ替える準備をするのだ。」
その言葉を聞いたミシェルが階段に座り込んだ。
「…人形と入れ替える…って何の事…?」
勝を締めつける触手の力がますます強くなり、彼の口から小さく悲鳴が上がる。
「うぁッ…。」
「マサルッ!!」
空中に浮かび、体を軋ませる勝の姿にミシェルも悲鳴を上げた。それを無視して壁の老人の独白は続く。
「そう、この人形の元となる人間を捜し出し、この屋敷に取り憑いたのは5年前。
 ゾナハ虫が去ってマスターは動く事を止められたが、マスターに作られた私はゾナハ虫を必要としない。
 この世に置いていかれた私は、それでも私の使命を果たすしかない。
 その人間そっくりのボディを作り、記憶を取り出し人形に移し替え、寸分違わず動くように作り上げたのだ。
 それにこの『擬似餌』は特別なのだよ。なにしろ私のマスターの体を素体にしているのだ。
 …今までの囮と比べても最高の出来なのだ。
 何せそのもの自身が自分が人間でない事に気付かないのだから。」
壁から張り出した老人の不気味な顔はニヤァと笑った。


「何の事だよぉ!…僕が…人間でないって何なんだよぉお!!」
白い老人の顔に向かってミシェルが叫んだ。
座り込んでいた階段から勝が掴まっている場所まで駆け降りる。
「…この人間が『しろがね』で無いなら、お前を無駄にする訳にもいかないのでな。
 少し大人しくしていろ。この人間を始末した後、お前の記憶を再インストールする。」
地に響くような低い老人の声がミシェルの恐怖心を煽る。彼は宙に浮く勝の下で体を竦ませた。
「…残念だな。」
人形の触手に拘束された勝が咽の奥から言葉を絞り出す。
「もう外に…『しろがね』はいないよ。」
「何だと?」
「ゾナハ虫を失ってお前のマスターが壊れた時に…すべての『しろがね』は役目を終えた。
 知っているだろう?『しろがね』は目的を失うと死ぬ。」
そう言って勝は老人の顔を睨みつけた。
「…じゃなかったら、人間の僕がお前の相手をしにこんな所に来ていない。…知らなかったのか?」
勝の唇の端が上がり、人形に向けて皮肉な笑みを送る。
「ではお前は、この世で最後の『しろがね』の血を受けた者か?」
人形の声に感情のような物がこもる。少なくとも勝の耳にはそう聞こえた。
「そうだ。」
「それならばお前を殺せば私の役割も終わる。…私もお前と一緒に、動く事を止めてやろう。」
人形の声に喜びが満ちているように聞こえた。
「…いや、動きを止めるのはお前だけだ。僕はまだ、死ぬ気は無い。」
その勝の言葉とともに屋敷内に爆発音が響く。勝が屋敷に仕掛けた火薬を爆発させたのだ。
衝撃で人形の勝を縛りつける力が緩む。彼はその隙を突いて拘束を逃れた。
「ミシェル、どけっ!」
勝は、彼の叫び声を聞いて後ろに飛びすさったミシェルの横に飛び降りる。
そして地下室と屋敷全体の様子を窺った。
「へっ?…計算間違えたかな…。もう少し建物にダメージがある筈なんだけど…。」
先ほどの揺れが治まった地下室は元の静寂を取り戻している。
「…この屋敷はすでに私の体として機能しておる。壁の素材は人間が作り上げた物から変質しているのだよ。
 その程度の爆発では、私の体に何の影響も与えぬぞ。」
老人の声が楽しげな響きを帯びる。勝の顔もニヤリと笑う。
「ふん。お前から体が自由になっただけで十分さ。
 手が使えればお前なんか道具で分解してやる。…中枢機関を分解すれば、すべての機能が停止する筈だ。」
人形の触手が先ほどとは違う方向から伸びてくる。それに気付いたミシェルが勝の前に体を投げ出した。
「マサルッ、危ないっ!!」
触手にはね飛ばされ壁に激しくに打ち付けられたミシェルの体から、人形の部品である歯車がこぼれ落ちる。
触手によって彼の体は大きく切り裂かれていた。
人間に見せかける為のカモフラージュの組織の下には、オートマータの体が隠されていた。
「ミシェル、君…本当に…。」
勝は彼を抱きかかえる。
「無事で良かった。マサル、ここは早く逃げて。マリオネットを持ってこないと敵わないよ。
 …僕はもういいから。」
体を上下に切り裂かれたミシェルは下半身を動かす事が出来なくなっていた。
それでも彼は勝に大きく微笑みかける。
「やはり『擬似餌』は『しろがね』を庇うか。」
淡々とした老人の声が地下室の中に響いた。
「…我々の作る『擬似餌』は完璧に本人と同じ行動をとる。
 ひとつ違う点はそやつが我々が最初に与えた命令に忠実に動く事。
 それはこの『擬似餌』の本能になっている。『しろがね』を我らの元に導かずにはおれないのだ。
 そして、その行動が『しろがね』の命を危険に晒す事だと理解できない。
 無意識下にしかけた命令は、そやつらには自覚が出来ないのだ。」
勝はミシェルに声をかける。
「ミシェル、大丈夫か?」
「やっぱり…僕は僕じゃなくなってたんだ…。
 こんなに体を切り裂かれたって言うのに、死にもしないし、最初に感じた痛み以外何も感じない。」
彼の腕の中でミシェルは目を閉じる。
「…本物のミシェルはどうした。」
「その人形を起動させる時に殺したよ。3ヶ月ほど前の事だ。」
笑みを浮かべた老人の顔が言った。
「3ヶ月前…。僕が僕でなくなった…あの時…。」
老人の声にミシェルが反応する。彼の目は空ろで勝の事も意識出来なくなっていた。
「しっかりしろ、君はミシェルだ。気を確かに持つんだ。傷は僕が後で直してやるから。」
抱きかかえたミシェルを勝は激しく揺さぶる。そうして彼の意識を自分に向けさせた。
「…マサル、こんな僕を助けてくれるの?」
「君を死なせるつもりは無いよ。友達だろ?
 …人間とか人形とかそんな事は関係ない。君は僕が知ってる、ただ一人のミシェルだ。」
勝はミシェルに微笑みかける。
そして彼をその場にそっと横たえて、屋敷を支配する人形の顔に体を向けた。
老人の顔が面白そうに笑っている。
「マリオネットを持たずやって来て、私が倒せるとでも思うのかね?」
「…てこずるとは思うけどね。お前くらい、オリンピアの手を借りなくても倒せるさ。
 僕はお前達の造物主の記憶を持っている。すべての自動人形は僕の子供のような物だ。」
フェイスレスの記憶から、この人形に近い構造を持つオートマータを参照する。
勝は小さく口元を綻ばせた。…この屋敷の中枢が透けて見える。
「造物主様の…?」
「あぁ。…だから僕の手でお前を眠らせてやる。」
人形の顔に向かって勝は体を大きく跳躍させた。


人形が繰りだす触手を避け切り、勝の手が人形の家の中枢を分解する。
部屋の中を埋め尽くしていた触手が力を失いボタボタと床に落ちた。
「…一度見れば、お前の攻撃パターンなんかすぐ分かるんだ。お前はオートマータが作った人形。ただの道具だからな。」
壁から浮き出した老人の顔がひきつり、うろんな目が勝をのぞき込む。
「人間…。私をただの道具と呼ぶのか?」
「あぁ。お前はマスターに従う以外、出来る事があるのか?
 マスターの命令通り『しろがね』を誘き寄せる家を作り、餌をまく以外の事は…出来ないんだろう。」
老人の顔を見やる勝の顔に…奇妙な表情が浮かんでいた。
「『しろがね』の匂いのする人間よ。貴様は二度とこの屋敷を出る事はかなわん。
 この屋敷は私の体…。
 私が死ねばこの屋敷も動きを止めるが、貴様の力では外に出る事は出来んだろう。
 この屋敷は貴様らを閉じこめる棺桶になるのだ。
 外気が一切入らんからな。この中の酸素もいつか尽きる。
 人形はともかく、人間のお前はもがき苦しむ事になるだろう。
 貴様はただの道具の私と共に、ここで死ぬ。
 私の作った『擬似餌』もいつものように『しろがね』を庇って壊れたしな。」
老人の顔は満足げに口を閉じた。
「僕は『しろがね』じゃない。お前達から見たらまだ少ししか生きてないんだ。死ぬのはゴメンだよ。」
そこで勝の口調が変わる。
「……なぁ、お前が今まで作った囮は…『しろがね』を庇って死んだのか?」
勝の目が人形の顔を見据えた。
「人間の記憶を持った『擬似餌』は自分が囮と知った後、必ず『しろがね』の前に身を挺したよ。
 …私には何故だか分からん。
 何故だか分からんが、私はそれを見る事が厭わしく思えるようになっていた…。」
老人の声が小さくなる。
「人間よ。お前の力ではこの地下室の扉でさえ開ける事は出来ぬ。
 マリオネットがいない事を嘆くのだな。
 …これでやっと私の役目が終わる…。
 100年動かしてきた歯車を止める事が出来るんだ…。感謝するぞ。」
老人の顔のうろんな目が、ただの…空洞になった。
「…何が『ただの道具』だよ。お前だって疲れてたんじゃないか。ただ『しろがね』を殺す為だけに動き続ける事に。」
勝の呟きが地下室に低く響いた。

地下室内を調べると、人形の言葉通り壁はおろか扉でさえ勝の力では開けられない事が分かった。
そして、地下室内の機密性が高く、遠くなく室内の酸素が無くなる事も目に見えた。
フウに通じる筈の通信機も一切繋がらない。
望みは、定時連絡がない事を不審に思ったフウが様子を見に来てくれる事だった。
勝は少しでも酸素が持つようにと、体の動かないミシェルの横にじっと座り込んでいた。
「何か喋っててよ、ミシェル。僕が喋ると酸素が減っちゃうけど…君なら大丈夫だからさ。」
「一人で喋ってろって?…それにさりげなくひどい事言われてる気がするけど。」
勝の言葉を聞いてミシェルは顔を彼に向け返事をする。そして少し顔を伏せて呟いた。
「こんな体で…僕、生きてる価値があるのかな。」
「少なくとも僕は、君に生きてて欲しいと思ってる。」
そう言って勝はミシェルに少し微笑んでみせる。
彼の脳裏には、あの戦いで自分を守って壊れていった、少女の姿をした人形の笑顔があった。
「本当に?」
「でも、それは君が決める事だよ。僕はずっとは力になれない。…君ほど長くは生きられないから。」
二人の間にしばらくの間、沈黙が降りる。
「…親にとって、子供が死ぬのとバケモノになっても生きてるのとどっちが良いと思う?」
俯いたまま、ミシェルが小さく呟いた。
「それは…。」
ミシェルを見つめる勝は言葉を失う。
「本物のミシェルは三ヶ月前に死んだんだ。…父さんの本物の息子は。
 …僕はウソはつけない。人間のミシェルのフリをして父さんの前には立てない。
 でも、僕もミシェルなんだ…。僕はみんなを愛しているのに。」
「ミシェル…。」
「マサル、ここを出たら直してよ。僕を。…やっぱりムズカシイ事を考えても僕には分からないや。
 でもこのまま死にたくない。
 家族には受け入れられないと思うけど、ミシェルの記憶を持った僕は…死ぬのに向いてない。」
そう言って勝の方を向くミシェルは微笑みを浮かべた。
「…うん。元通り直してあげるよ。それに一人が辛かったらフウの会社に行くといい。
 彼は全てを知っているし、あそこには心を持った人形もいるから。」
「そうなの?」
「あぁ。話し相手にはなると思うよ。…僕もたまには顔を出すし。」
勝もミシェルに微笑みを返す。しかし彼のそれは少し淋しげだった。
「ねぇマサル。本当に…『しろがね』はいなくなってしまったの?」
ふとミシェルが勝に尋ねる。
「いや…あと3人、生き残ってる。フウと…ナルミ兄ちゃんとエレオノール…。
 でも他の『しろがね』は皆、役目を終えたんだ。みんな、普通の人間に戻って大切な人達と天国にいるよ。」
静かに勝は天井を見上げた。


屋敷に閉じこめられて数時間が経ち、勝は苦しげに顔をしかめる。
「ゴメンよ。僕が直してやるって言ったけどもう無理かも…。それでもきっとフウは様子を見に来てくれると思うから、君だけでも助かる…。」
「マサルッ、しっかりしてっ!」
上半身しか動かす事の出来ないミシェルが勝の方に手を伸ばす。その時突然爆音がして天井に大きく穴が開いた。
もうもうと立ち込める爆煙の中に下をのぞき込む人影が見える。その方向から大きな声が聞こえてきた。
「マサル様、ご無事ですか?遅くなって申し訳ありません。この屋敷の壁を破壊するための装備をするのに手間取りまして。」
「ドロシー…、来てくれたんだ…。」
その声はフウの作った自動人形のドロシーの物だった。彼女は天井に開けた穴から勝の元に飛び降りる。
「フウ様のご命令でマサル様の護衛についておりました。」
「ありがとう、助かった…。フウはミシェルの事、気付いてたんだね?」
屋敷の壁が破壊されて地下室内の酸素が戻り、勝は息をついて立ち上がった。
「はい。そのため万が一に備えてマサル様に気付かれないように様子を窺っておりました。
 …あちらがミシェル様ですか。」
「うん。…僕より彼を支えてやってくれないかな。僕はもう自分で歩けるから。」
勝の言葉を受け、ドロシーはミシェルを抱きかかえた。ミシェルは自分の姿を見られる事に怯え、勝に視線を送る。
「マサル、彼女は一体…。」
「フウの作った自動人形のドロシーさ。いつも色々と助けてもらってる。さっき言ってた心を持った人形って彼女の事なんだ。」
そう言って勝はミシェルを安心させるように笑いかけた。


〈元々ミシェルの行動に不審な点があってアタシも彼を疑ってたのさ。
 …ただ、君に先入観を与える訳に行かなかったんだ。ミシェルを操るオートマータに気付かれてはマズイからね。
 だからそのかわり、ドロシーを君の護衛につけた。
 彼自身が人形である可能性があった。…だからナルミより君の方が相手に相応しいと思ったのさ。〉
通信機の向こうのフウの声は内容の割に楽しげな響きを帯びていた。
「まぁね。…少しでも疑って悪かったよ。」
こちらで勝は苦笑いを浮かべつつ答える。彼はバイトに入ったばかりのサーカスで、仕事の空き時間にフウと話をしていた。
〈アタシが本当に人形のいない所に君を送り込むと思ったかね?〉
勝の耳元でククッとのどの奥をならす音がする。それを聞いて彼は小さくため息をついた。
所詮、自分はこの老人の手のひらで踊っているだけなのかも…と。
ふとフウの声音が変わる。
〈実は彼の両親に頼まれたんだ…。どんな形ででも息子を生かしておいてほしいと。
 詳細を話さなかったのは、君自身の感覚でミシェルを判断して欲しかったのもある。
 …人か人でないか。
 結果は君も知っての通りだがね。
 アタシも少し、オートマータに甘いのかもしれないねぇ。
 この件はナルミやエレオノールにはいい顔をされないだろう。〉
「そうだね。ナルミ兄ちゃんやしろがねでも、あんなミシェルを見捨てられない気はするけど…。
 でも、今度の件は僕に回してもらってよかったよ。彼を助ける事が出来て、少し気が楽になった。…代償行為だって分かってるけど。」
フウの言葉に勝は自嘲気味に笑う。それを聞いて老人の声が和らいだ。
〈今、彼には会社の方を手伝ってもらっているよ。父君に似て商才があるようだな。
 …定期的にボディを替えれば、人に混じって暮らせるだろう。そうする気は無いようだがね。〉
「…うん。ミシェルはウソをつけるタイプじゃ無いから。人間のふりをして両親と暮らす事は出来ないさ。
 そこならドロシーもいるし、過ごしやすいんじゃないのかな。」
勝はドロシーの横で真面目に働いているミシェルを思い浮かべて少し微笑む。
…しかし彼が働く姿などまともに想像出来なかった。
フウの言葉は続く。
〈…ゾナハ虫を持たないオートマータに感情が無いというアタシの持論を覆さなきゃならんかもな。
 人間の血が必要なのかと思っていたがそうでもないようだ。〉
「…うん、僕もそう思う。
 それにミシェルは人形の家のマスターのボディを素体にしたらしいんだ。
 そこに本物のミシェルの記憶を移し替えた。
 ひとりの人間の記憶の上に情報を追加していけるほどハードも優れていたって訳さ。
 バックアップ装置がちゃんとしてなきゃ情報を重ねても飽和しちゃうからね。
 昔の人形の家の『擬似餌』は、彼ほど精巧ではなかったようだよ。
 …それでもみんな最後は『しろがね』を庇って壊れていったって…。
 人であった時の記憶のせいで自分が人形だと気付いても、『しろがね』を罠に嵌めた事に耐えられなかったのかな。」
白い老人の顔をしたオートマータ。彼の顔を勝は思い出す。
〈人形の家と話したのかね。〉
「…うん。奴もマスターであるオートマータの道具に過ぎなかったんだけど。
 道具だから…ゾナハ虫がいなくなっても死ねなかった。
 …疲れてたよ、『しろがね』を殺す使命に。
 100年そうやって動き続けて、少しずつ記録が重なって、それが記憶に…意識になっていったみたい。」
〈そうか。〉
フウの声が屋敷で聞いた嗄れ声に聞こえた。
「僕を最後の『しろがね』に見立てて壊れていった。僕とミシェルが助かった事も知らないで。」
〈…君が助かって良かったよ。まぁアタシは君が多少の事でへこたれないのは分かっているからね。〉
「信頼してもらってうれしいよ。」
苦笑いを浮かべながらフウに答える。
「でも助かったのはあなたがドロシーを僕の護衛に付けておいてくれたからさ。…全然気付かなかった。
 本当に色々と…自信が無くなったよ。」
そう言って勝は小さく笑う。
〈君は『しろがね』ではないからね。万能という訳にはいかないさ、気にする事はない。〉
「そういう事にしておくよ。」
勝の耳に、少しフウの声が遠くなる。
〈君には他に…見逃したオートマータがいるのかね?〉
「残念な事に、見逃せなかったオートマータしかいないよ。
 …でも関わる人間にとって彼らは『人形』じゃなくて『人間』だ。そのオートマータを壊す僕は、ただの人殺しさ。
 僕はこれからも人間と人形の間で揺れ動く。胸の内で彼らへの愛情と憎悪を持て余す。
 僕にとってミシェルの存在は奇跡だ…。でも生き延びた事が彼にとって幸せなのかどうか…。」
〈彼は自分の意志で生き延びる事を決めたのだ。君の所為じゃない。
 それと…父君にだけ事の真相を報告しておいた。それはミシェルには話してない。
 彼に『息子をよろしく』と頼まれたよ。人形より人間の方がとんだウソツキだな。〉
フウの言葉が切れた後、二人はしばらく無言のままでいた。
そしていつもと変わらない、明るい青年の声が老人の耳に届いた。
「そろそろ設営が始まる時間だから、行くね。ドロシーとミシェルによろしく言っといて。」
〈あぁ。〉
勝は通信機を切り、設営を待つテントに向かって歩き出した。


2008.2.7-2008.2.11

タイトルは文字通りですが、一応イプセンの戯曲も頭にあった(内容はうろ覚えだけど)。
私の未来話の勝は慌て者だなー。作戦失敗ばっかりしてるよ(笑)。本当は頭が悪いかもしんない。
いやー書いてる人が頭悪いから、頭良く書いてあげられないんだよねぇ。ゴメンよ、勝。
伏線が上手く張れなくて、色々と唐突感満載なのが情けない…。つ、次こそは上手く…(無理)。
人形の仕組みには突っ込まない!オリキャラばっかりなのも気にしない!(涙)