放蕩息子の『一時』帰還
呼ばれてやってきた平馬と勝は場所を空けてくれたノリの隣に座り込んだ。
「お前ビール飲んでるのか?」
ノリが自分の隣に座った勝のコップを覗き込む。
「うん。あっちではいつも飲んでるから。」
しれっとした顔で勝がノリに返事をする。
ニヤッとしてノリは勝のコップにビールを注ぎ、そして平馬に目をやってからかうように笑った。
「平馬は人の多い所では飲まねぇんだけどな。」
「ノリさん、人聞きの悪い事を言わないでくれよ。」
ノリの言葉に平馬は唇を尖らせる。それを見てヒロがニヤニヤして平馬に笑いかけた。
「いつも親父が寝た後にオレらと飲んでるだろ?」
それを聞いて勝も嬉しそうに平馬の顔を覗き込む。
「へぇ〜。平馬、お前ミセイネンじゃなかったの?」
「…今日は飲まねぇ。マジで明日起きられないとヤバいんだよ。」
そう言って平馬は勝を横目で睨む。涼子が横から説明を追加した。
「私たち、今年卒業なのに出席日数がギリギリ足りないから。早めに学校行って補習を受けてるの…でも私はお酒なんて飲まないわよ、未成年なんだから。」
言葉の最後に涼子は平馬を軽く睨む。平馬は苦笑いをして頭を掻いた。
「ふうん…大変なんだな二人とも。」
勝は普通に高校生活を送る二人を少し羨ましく思う。自分が選んだ道に何の悔いも無いが、遠目で見る他人の芝生は青い。
彼が紙コップのビールをぐっと仰いで空にすると寮に住む中年男が呆れた顔をした。
「本当にお前、底なしだな。最初からずっと飲みっ放しだぜ?顔色も全然変わらねぇしよ。そんなんじゃビールがもったいねぇ…。」
アルコールで真っ赤な顔になった男はビール瓶を持って勝の前に中腰になり彼の顔を睨む。
「もったいなくないですよ源さん。結構いい気分になってますって。でもまだまだ飲めるけど。」
勝は男にニコッと笑いかける。それを見て彼はガハハと笑い、振り返って後ろに声をかけた。
「こんな事いってるからさ。リーゼちゃん、彼氏にこれをついでやりな。」
男は手に持った茶色い瓶を掲げてリーゼを呼ぶ。
「何を遠慮してるか知らないけど女ばっかりでつるんじまって。好きな男が帰ってきたんだろ?ビールの一杯くらい注いでやれや。」
そう言ってニコニコと笑う彼は悪気無く勝をリーゼの彼氏呼ばわりした。
「ハーイ!」
呼ばれたリーゼもニコニコと笑って立ち上がる。
その様子を見た勝と涼子の顔が強張った。二人とも心中穏やかでいられない。れんげや平馬はニヤニヤとそれを見守っていた。
慣れない酒に酔ったリーゼは足元がおぼつかない。慌てて涼子が彼女の後を追い体を支えた。
「り、リーゼ、まっすぐ歩けてないよ…。」
「そんな事ないデスヨ〜。私、まっすぐ歩いてマス!」
涼子に支えられてリーゼは男の前に辿り着く。彼は笑顔でビール瓶をリーゼに渡した。
「ほい、リーゼちゃん。たっぷりついでやんな。」
「源さん、アリガトウゴザイマス。」
リーゼはニッコリ笑って瓶を受け取る。そしてリーゼの為に場所を空けた男に代わって勝の前に陣取った。その後ろに心配そうな顔の涼子が立つ。
「ハイ、マサルさん。コップを出してクダサイ。」
「う、うん。」
恐る恐る差し出したコップの中にリーゼの手からビールが注がれた。手元もおぼつかない彼女は加減が出来ず、白い泡が勝のジーンズにこぼれ落ちた。
涼子が慌ててリーゼの手から瓶を取り上げる。覗き込んで顔を見るとリーゼはポロポロと涙を流していた。
「ゴメンナサイ、マサルさん!こんなにしちゃってワタシ…。」
彼女はそう言って勝の目の前で泣きじゃくる。
「大丈夫だよこれくらい。リーゼさん、泣かないでいいから。こんなのすぐ乾くって。」
勝は慌てて優しくリーゼを慰めた。だが仲間たちの見ている前でのこの状況に、恥ずかしさで顔が真っ赤に染まっている。
「オレ、何か拭くもの持ってくるわ。よかったらリーゼ、こっち座れよ。」
笑いをこらえた様子の平馬が立って自分の席をリーゼに譲る。彼女は涙に濡れた顔をあげ、平馬の言う通り勝の隣に座った。
「ち、ちょっと平馬。あんなリーゼを勝の横に座らせるなんて…」
立ち上がってタオルを取りに行こうとする平馬を追いかけて涼子が小声で囁いた。
「いーだろ?別に。」
そこにれんげが乾いたタオルを差し出す。受け取った平馬が勝にそれを丸めて投げ渡した。
「勝にはいいクスリよ。」
「そうそう。」
そう言ってれんげと平馬は涼子に笑いかける。
「でもリーゼが…。」
「もし何かあってもあんたがいるじゃない。リーゼには。」
れんげが渋い顔をする涼子の鼻を指でつっつく。はっとした顔で涼子はコクンと小さく頷いた。
「マサルさん、冷たく無いデスカ?」
平馬に渡されたタオルでジーンズを拭いている勝にリーゼが心配そうに声をかける。
「平気平気。」
勝は赤い顔のままリーゼに向かってそう言った。
「なんだよ、ビールより彼女の方が効くんだな。お前、顔が真っ赤だぜ。」
いままでずっと顔色が変わらなかったくせにと、リーゼに泣かれただけで真っ赤になった勝を見て男がおかしそうに笑う。勝は照れ隠しにハハハと笑った。
普段ならこんな状況でも適当な冗談の一つや二つ平気で言えるのに、リーゼが傍にいると思うとてんで口が回らない。勝は自分がかなり動揺している事に気が付いた。
こうやって一度仲町サーカスに戻れば、皆に何かしらリーゼについてとやかく言われるであろう事は覚悟していた。
勝が旅に出る前からリーゼの気持は周囲の人間に筒抜けだったのだ。彼だってその事は知っていた。
だから自分がいない間にそれがどのような話になっているのか、勝はさっきまでの皆との雑談の中でそれとなく探ってみたのだ。
結果、最近入団した連中は、自分とリーゼが付き合っているらしいと思っているのが分かった。
古いメンバーはその事をいちいち否定したりしないようだった。多分リーゼも「自分には好きな人がいる」としか言わないのだろう。他人に自分たちがどう思われているのかを知らないのかもしれない。あるいは聞かないようにしているのかもしれないが。
…リーゼさんのいない所で話を合わせるのはどうにかなったけど。
だけどリーゼさんがこんな状態じゃ…何かややこしいことになるかも。
リーゼは自分の隣に座って心配そうにこちらを見つめている。この状況を不安に思いつつ勝はどうにか顔に笑みを貼り付けた。そしてなるべく優しい声でそっと彼女に囁いた。
「リーゼさん、そろそろ休んだ方が良くない?かなり飲んだんでしょう、眠そうだよ。」
「まだ全然眠くナイデス。」
酔っ払いは他人の忠告を否定するものだ。そう言ってリーゼは目尻と頬を赤く染めたまま勝にちょっと怒ったような顔をする。
「ワタシ、ココにいちゃダメデスカ?マサルさんの隣にイタイデス。」
酔っぱらったリーゼは自分の気持に忠実な言葉を述べた。
「でも…。」
勝の方は今まで飲んだアルコールがすべて出ていくんじゃないかと思うほどの冷や汗をかいていた。リーゼが自分の想像の範囲外の行動をしたら、うまく立ち回る自信が無い。
「別に眠くなったらここで寝ちまえばいいじゃねぇか。誰もそのままリーゼちゃんをここに置いてきゃしねぇだろ?お前もいるんだし。」
笑いながらさっきの男がリーゼと勝に声をかけて来た。
「なぁリーゼちゃん、少しでも長く彼氏と一緒にいたいよなぁ。」
「ハイ!」
男の言葉にリーゼは満面の笑顔で返事をする。嬉しそうな彼女に勝もそれ以上は何も言えなかった。
「マサル君、本当によく飲むのねぇ。はい、リーゼさんにもコップよ。」
さっきの男と入れ替わりに二人の前にビール瓶を持ったマミが現れた。
「ささ、二人とも飲んだ飲んだ。」
彼女はリーゼに紙コップを渡し、その中になみなみとビールを注いだ。
「マミさん、アリガトウゴザイマス。」
リーゼはニコニコと杯を受け取る。そのリーゼのコップを勝が取り上げた。
「リーゼさん、今日はもう止めようよ。飲み過ぎだよ?」
「そんな事ナイデスヨ〜。まだ大丈夫デス!」
言葉の内容とは裏腹に彼女の呂律は怪しくなっていた。そして一生懸命に勝の手からコップを取り戻そうとする。勝はそんな彼女を押さえつつ、隣に立っていたマミに聞いた。
「ゴメン、マミさん。ビール以外にジュースか何か無いかな?」
勝の問い掛けにマミはこう言ってにっこりと笑う。
「だめよぉ。今日はリーゼさん、とことん飲みたいって言ってたんだからぁ。」
「え?」
マミの言葉に勝が小さく驚いた顔をする。その彼にマミがちょっと意地悪そうな顔でニヤリと笑った。
「理由には心当たりがあるんじゃないの、マサル君?」
2009.6.26