放蕩息子の『一時』帰還
「マサルさんを忘レル…?」
「そんなに思い詰めないでってことよ。」
抱きしめたリーゼの体を離し、涼子は彼女の瞳を見つめてやさしい顔で微笑んだ。
「リーゼはずっとマサルの事を考えてて、あいつの事でいっぱいになり過ぎてるんだよ。好きになっちゃったら仕方ないけど…でも、もったいないよ。」
「どういう…。」
涼子の言葉の真意が分からずリーゼは眉をくもらせる。
「私が言っても説得力ないかもしれないけど。男も女も含めて色んな人がリーゼの周りにいるんだよ。でもリーゼは新しい友だちを作る事に臆病になってるでしょう?
………マサルが仲町サーカスを出てから。」
リーゼの顔がカッと熱くなった。
涼子の言う事は正しかった。勝が旅立ってから彼女は自分の殻に閉じこもりがちになっていた。
もちろん仕事に付随する人間関係は過不足なくこなしていたし、涼子や平馬等の近い仲間たちとはそれまで以上に仲良く過ごしていた。
しかし、それ以外に人間関係が広がりそうな時、彼女はそこを避けて通ってきたのだ。
新しい出会いの中から、自分の勝への思いを断ち切るような何かが起こるのが怖かったから。
「そんな事…ないデス。私は別に…。」
「そう?」
涼子が真っすぐな瞳のままリーゼの顔を見つめていた。リーゼはそっと彼女から顔を背ける。
自分の弱い気持ちを涼子に見透かされていた、その事実を知るのは恥ずかしかった。
背けた顔に笑顔を貼り付けて、リーゼは涼子の方を向いた。
「…涼子さん、ありがとう。もう落ち着きましたから…食堂に戻りまショウ。」
涼子は少し心配そうに眉をひそめる。
「…リーゼ、我慢しなくてイイよ?辛いんなら部屋で休んでても。みんなには上手く言っといてあげる。マミさんも…悪い人じゃないんだけど、デリカシー無いからさ。また絡んでくるかもしれないよ。」
「私が一緒にいなかったら余計気にされちゃうモノ。大丈夫です、涼子サン。」
「う…ん、わかった。じゃあ行こうか。」
涼子にはリーゼの虚勢が分かった。
ただこれ以上は彼女が自分の言葉を聞いてくれないと悟って…諦めたのだった。
「くぉら、お前ら。未成年が酒なんかのむんじゃねぇ。」
信夫が平馬のコップに入っている物に気付いて雷を落とした。
勝の帰還祝いパーティという名目で始めた飲み会は、その主役も関係なく賑やかに進んでいた。
あちこちで人の輪が出来て、子供らが走り回り、食堂には楽しげな笑い声が響いていた。
勝と平馬は男連中とつるんで話の花を咲かせている。そこに信夫がやって来た。
「おやっさん、これノンアルコールだよ。オレ明日学校あるし飲む訳ないじゃん。気分気分。」
平馬がそう言って持っていた紙コップを持ち上げる。
「本当か?」
「本当本当。飲んでみてよ。」
にっこり笑って平馬が信夫に紙コップを押し付けた。
「それならいいがよ。」
平馬の紙コップを押し返し、信夫は今度は勝に目を向ける。
「…オマエのも、ノンアルコールなんだろうな?」
「もちろん、平馬と同じ奴だよ。」
そう言って勝は笑顔で紙コップを持ち上げる。
「よし。じゃ、オレは先に休ませてもらうわ。みんなも明日休みだからって飲み過ぎるんじゃねぇぞ、程々にしとけ。」
「了解ッス!」
信夫に向かってその場にいた男衆が挨拶をする。彼が部屋を出ると平馬がため息をついた。
「オレのと同じって何言ってやがる。普通のビール飲んでるくせに。」
「って、え?平馬のって本当にノンアルコールビールなの?」
平馬の言葉に逆に勝が目を丸くする。
「あたりまえだろ。俺たちはミセイネンなんだからな。」
平馬はぶすっとした顔で勝を睨んだ。
「まったく、子どもの頃はコップいっぱいの日本酒で出来上がっちまったくせに…。」
「…あっちでは水よりワインやビールの方が安いからね。いつの間にか鍛えられちゃったよ。」
「別に買えないほど高い訳じゃねえだろ、水も。」
「まぁね。」
勝が平馬にニヤリと笑いかける。そこに芸人の男が一人、ビール瓶を持ってやって来た。
「ビール、空いてんじゃねえかよマサル。ほれ飲め飲め。」
「あ、源さんありがとうございますっ。」
勝が男から嬉しそうな顔をして杯を受ける。その後彼らはまた男衆に交じって飲み始めた。
「リーゼさんがこんなに飲むなんてめずらしいわね〜。」
リーゼの隣に座っていたマミが嬉しそうな声をあげた。
「いっつも最初の1杯は私たちに付き合うけど、あとはずっとソフトドリンクでしょ?」
「何となく、酔う感覚に慣れなくて…たくさん飲まないようにしてたんですケド。本当は美味しいんですね、お酒ッテ。」
リーゼはにっこり笑って言葉を返す。普段より多めのアルコールを体内に入れた彼女はほんのりと頬を赤く染めていた。
彼女達はさっきまで子どもが多いグループと一緒の輪に入っていた。
子供たちと遊んだりみんなで騒いで楽しく過ごしていたが、時間が夜の10時を過ぎると、さすがに子ども連れのメンバーは家に帰って行った。
寮に住んでいる女三人はそのままテーブルで話を続けている。
「そうでしょそうでしょ。次は何にする?シークワーサーもおいしいわよぉ。」
「ち、ちょっとリーゼ、大丈夫?マミさんも飲み過ぎだって…。」
彼女たちの中で一人素面の涼子が心配して声をかけた。
「えー涼子さん、私なんか変デスカ?」
「目、据わってる…よ。」
あきらかにいつものリーゼでは無い。空元気で強がっているのが分かる。
マミもそんなリーゼを面白がって飲むのをけしかけているのは明らかだった。だから涼子は心配なのだ。
「マミさん、リーゼ…どれくらい飲んだの?」
「レモンとグレープフルーツのチューハイを1缶ずつとビールもコップで2、3杯ってトコよ。」
そう言ってマミは新しいチューハイの缶をあけた。そして新しい紙コップに注いでリーゼの手に渡す。リーゼはそれをニコッと笑って受け取った。
「…急にそんなに飲んで平気なの?リーゼは今までほとんど飲んだ事ないんだよ。」
「りょーこちゃん、心配する事ないって。このカンジなら救急車を呼ぶような事も無いし。へいきへいき。」
「何よ、救急車って!もう、マミさんだってへろへろじゃない〜。」
涼子が酔っ払いの女二人を前にしてオロオロしている所にノリ達がやってきた。
独身寮の男衆数人と一緒にヒロやれんげ、ナオタやメイもくっついている。
「お、リーゼ。今日はやっぱりご機嫌だな。何か目が潤んで色っぽいぜ〜。」
「ノリさん、それ酔っぱらってるだけだから!しかも軽くセクハラだし!」
「そうだよなー。マサルがいなくなってからどっか元気なかったもんな。」
「わ、ヒロさんまで。だからそういう事言うの止めてよ。」
酔っ払いの男達が投げる危険球に、涼子は一人冷や汗をかいていた。その涼子の隣の椅子にれんげが座る。
「いいじゃない涼子。こういう席なんだし。」
そう言ってチューハイの入ったコップを片手にウィンクした。
「リーゼも少しくらい羽目を外せばいいのよ。それにノリさん達が言ってる事、気にならないみたいだよ。」
リーゼは仲間達に囲まれて楽しそうに笑っている。
「もしかしたらリーゼも…お酒の力を借りたら言いたい事が言えるかもしれないし。」
「そんなの…良くないよ…。」
「いいのよ、きっかけは何でも。前に進む事が出来れば何でもいいの。でしょ?」
そう言ってれんげはニッコリと笑う。
「そうかなぁ…」
素面の涼子はオレンジジュースを手に、一人釈然としない顔をしていた。
ノリ達は涼子達がいるテーブルの横の床に輪を描き座り込む。そして酒と肴を中央に置いて飲み始めた。
「しかしなんでちゃんとしたテーブルがあるのに床に座り込んじゃうのかね、アンタ達は。」
れんげの横の椅子に腰掛けたメイが呆れたような表情で言う。
「やっぱよぉ、机とか無い方がみんなとの距離が近くて楽しいからよ。」
ノリが鼻の下を人さし指でこすって笑った。
「そーいや、あいつらはどこにいるんだ?」
ヒロがきょろきょろとあたりを見回す。そして他の連中と飲んでいる勝と平馬を見つけた。
「おーいマサル、ヘーマ!こっちこいよ。」
そう言って手招きをするヒロに、平馬が分かったそっちに行くよと返事をする。
思わず涼子はリーゼを振り返った。彼女はトロンとした目をして勝の方を見ている。
その様子を見て、涼子は自分の心臓がばくばくと大きな音をたて始めた事に気づいた。
2009.6.19
お酒もたばこも二十歳になってから(笑)
ちなみにおいらは焼酎ならストレート派。