〈7話〉

放蕩息子の『一時』帰還

「私の片思いではいけまセンカ…?」
マミに顔を覗き込まれて思わずリーゼは視線を横に反らした。
「そういう訳じゃないけど、リーゼさんモテるから。今まですっごくかっこいい人に交際を申し込まれてもことわってたし。お忍びでサーカスを見に来てたイケメン俳優の誘いもよ!アタシ『マサルさん』はどんなスゴイ人なんだろうなぁって思ってたのよね。」
そう言ってマミは口元に手をやってクスクス笑う。
「だけど会ってみたら…人懐こくって可愛い子だな、とは思うけどリーゼさんと釣り合うほどの男の子じゃないなぁってカンジ。てっきりあの子の方がリーゼさんを…。」
「マミちゃん、人を好きになるのに釣り合うとか関係ないでしょ。」
面白がってリーゼにからむマミの話の途中にメイが割り込んだ。
リーゼはマミの言う事を黙って聞いていたが、彼女は顔を赤くしてそっと唇を噛みしめている。
「マサル君は優しくて良い子よ。男は見た目じゃないし、マミちゃんは彼を良く知らないでしょう?」
「えー、優しそうなのは分かるけど、でも良い子って言うのはどうかな。」
メイの言葉にマミは上目遣いで挑発的な視線を投げる。
「そりゃあの子とはちょっとしか喋ってないけど、真面目ってカンジじゃ無かったよ?アタシ、これでも男を見る目はあると思うんだけどなぁ。」
そう言ってマミは、今度はリーゼに面白がっているような視線を向けた。
「…そんな事ないデス。」
俯いたままリーゼが小さく呟いた。そして顔をあげ、マミの方に向き直る。
「マサルさんは良い人デス!…いつも自分の事より人の事ばかり考えていて、優しくて、強くて、スゴイ男なんデス。私の事は何を言ってもいいですけど、マサルさんを悪く言うのは許しません!!」
大きく目を見開いてマミの方に1歩足を踏み出した。いつになく強い口調のリーゼにマミがたじろぐ。
「わ、わかったわよ。もう、リーゼさんって本当に『マサルさん』が好きなのね。」
ちょっと押された形になったマミが口を尖らせて拗ねた口調で言う。
「…でも彼はそうじゃないんじゃないの?。」
その言葉にリーゼの瞳の光が失われた。
「…そう…ですね。そこはマミさんの言う通りだと思いマス。」
俯いて唇から絞り出された声は小さく震えていた。

「あつぅ!」
突然メイが小さく悲鳴をあげた。顔をしかめて右手で耳たぶをつかんでいる。
「ドジね私。お鍋でちょっとやけどしちゃった。ね、リーゼさん。事務所に行って何かクスリを持ってきてくれないかな。あと絆創膏も。」
「わかりマシタ、行ってきます。」
顔をあげたリーゼは少し救われたような顔でキッチンを出て行った。それを見送ってからメイがマミを振り返る。
「ばかね、マミちゃん。一体何言ってんのよ。」
彼女はマミにぶつぶつと小言を言った。
「だって何か悔しかったんだもん…。」
「は?」
「ウチの大スターじゃん、リーゼさんは。アタシ、普段からリーゼさんにちょっかいかけるけど…本当は憧れてるからなのよ。」
そう言いながらマミは大きなテーブルの上にクロスを敷いた。そして中央にれんげが用意していた取り皿やお箸を置く。
「同じような年齢なのにもう完璧なプロでさ。舞台に立ってるあの子はサーカスの中の誰よりもワイルドでかっこいいし。アタシは猛獣使いのリーゼロッテが大好きなのよ…。だからさ、ファンとしては夢を見たいじゃない。舞台を降りてもカッコよくいて欲しいって言うか。」
「バカじゃない、あんた。」
マミの言葉を聞いてメイは堪え切れずに吹きだした。
「わかってるわよぉ。彼女、舞台降りると大人しいしそのくせ意外と天然だし。舞台とのギャップに耐え切れない事があるのよねぇ。…自分でもバカだと思うけどさぁ。その上最愛の男って言うのがあの子じゃ…何かイメージ狂っちゃって。」
「…でもリーゼさんだって舞台を降りたらただの女の子だよ?」
メイは二つ目の鍋を用意し、先ほどとは違う材料で準備を始めた。
「だから分かってるって。でも…どうしてもマサル君にも納得できなくて。片思いって事は彼女の気持に何にも応えて無いって事でしょ?あのリーゼさんに思われて答えを出さないなんて信じられないし、そんなの良い子じゃないじゃん。」
「そればっかりは当人同士のことだしねぇ。お互いでは何も言ってないのかもしれないし。」
そう言ってメイは苦笑いする。
「…サーカス中の人間がリーゼさんの好きな男を知ってるのにそれは無いでしょ。」
テーブルセットを続けながらマミは口を尖らせた。
「そう言えば、マミちゃんはこのサーカスの噂を知ってたっけ?」
「例の事件で何か活躍したとか…って話?眉唾だからあんまり知らないよ。」
「私も詳しい事は知らないんだけど…本当にね、あの病気を直す為に色んな事があって…このサーカスが関わってたんだって。ナオタ君の話だから半分冗談のつもりで聞いてたんだけど。でもね、その中心にいたのがしろがねさんとナルミさんと…マサル君なんだって言ってた。」
「あの頃ならマサル君って…まだ小学生じゃない。そんなバカな話…。」
「そう、うそっぽいんだけど。でもあの見栄っ張りのナオタ君が言うのよ。何でも自分の手柄にして話をするような人が『あの三人のおかげで世界は救われたんだ』ってね。」
メイの話を聞いてマミはぽかんと口を開けた。
「……さすがにそんな話、信じられないけど…。」
「別に私だって信じてないわよ。…だけど中学生の頃のマサル君が真面目で良い子だったって言うのは本当の話。私が一緒に暮らして感じた事だからね。」
そう言ってメイはマミに向かってにっこりと笑った。

「あれ?リーゼ、どうしたの。」
車の鍵をしまおうと事務所に入ってきた涼子とれんげが、机の上に置いた薬箱を見つめてじっと動かないリーゼを見つけた。
「…あ。」
涼子の声に振り返ったリーゼが慌てて手で目を拭う。
「何かあったの?」
「な、何でもありません。メイさんが指をやけどしたのでクスリを取りに来たんです。」
訝しげに言う涼子の言葉にリーゼは明るい調子でそう答えた。でも彼女の目は真っ赤で、二人には彼女が泣いていたのがすぐ分かった。
「私、先に戻ってるね。クスリと食材を持って行くから、後で涼子とリーゼがお菓子を持ってきて。」
れんげが薬箱を開けていくつか箱をとり出した。やけど用のクスリをみつくろって選ぶ。
「分かった。お菓子だけ入口に置いたままにしといて、二人で持ってくから。」
涼子はそう言って事務室の扉に手をかけたれんげに頷いた。れんげは軽く手を振ってから部屋を出て行った。
事務室には涼子とリーゼの二人が残された。
「…もしかしてマミさん?彼女に何か言われたんじゃない?」
「何でもないデスヨ。」
心配そうに自分を見つめる涼子に、リーゼは笑顔を作ってそう言った。
「うそ。そんな事言っても信じないわよ。そんなに目を赤くして。」
「目はちょっとゴミが入ったダケデ…。」
取り繕うリーゼの言葉を涼子は無視した。そして正面から彼女の両肩を掴んで言う。
「マサルの事、言われたの?」
リーゼは涼子の真剣な眼差しから逃げるように視線を外す。
「そうなんだね。」
「…ハイ。」
リーゼは小さく頷いた。
「私はマサルさんを好きだけど、マサルさんは私を好きじゃないんでしょうって言われマシタ。…分かってる事でも人に言われるとやっぱりショックで。」
そう言ってリーゼは泣き笑いの表情を浮かべる。
「そんな…そんな訳ないじゃない。マサルは絶対リーゼの事が好きだよ?」
涼子の頭には、工房の入口でリーゼに気付かれないように彼女をじっと見つめる勝の顔が浮かんでいた。
…あの顔を見たら誰だって勝の気持ちが手に取るようにわかる。だけどあいつはそれを他人には分からないようにしてる。もちろんリーゼにも。私にはその理由が分からない…
彼女の言葉を聞いて、リーゼの瞳にみるみる大きな涙が溜まった。
「だったらどうして…何も言ってくれないの?ドウシテ…。」
「理由は分からないけど、あいつなりに何か考えてるんじゃ…。」
必死な表情でリーゼは自分を見つめている。涼子は彼女を慰めようと懸命に言葉を探していた。
そのリーゼの大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「私、もう自信が無いんデス…。このままマサルさんを待ち続ける…。」
「リーゼ…。」
「自分の事も、マサルさんの事も信じられない。もう何も…」
「リーゼ、しっかりして!」
俯いて顔を手で覆って泣きじゃくるリーゼの肩を涼子がつかむ。揺さぶって落ち着かせようとするが、リーゼは泣きやもうとはしなかった。
「リーゼ、辛いんならマサルの事なんか忘れちゃいなよ。」
涼子がリーゼの体に腕を回して抱きしめた。
「私は…マサルはリーゼの事を好きだと思うけど。でも…今みたいにリーゼを苦しめるなら、リーゼを待たせる資格なんか無いよ。」
「りょうこ…サン?」
涼子の言葉にリーゼは呆然とする。マサルを忘れる…その思ってもない言葉に胸がぎゅうっと締めつけられた。


2009.6.18