放蕩息子の『一時』帰還
「あ、やっと来た。」
涼子とリーゼが食堂に着くと、れんげが待ちかねたように声をかけた。
彼女が抱える大きなトレーには、取り皿や割りばしが山のように積まれている。
「今、男連中が注文したオードブルと飲み物を取りに行ってくれてるんだけどね。思ったより子どもが来そうだから、涼子に子供たちが喜びそうなお菓子を買って来て欲しくて。」
そう言ってれんげはテーブルにトレーを置いた。
「子どもって…寮以外の人も来るの?」
涼子が聞いた話では、今夜のパーティはサーカスの中でも内々の人間だけで開く事になっていた。
小学生の涼子が入団した頃のメンツと独身寮にいる人間だけのつもりだったのだ。
「うん。何か気付いたらみんなに話が回っててね。楽しい事は皆でやろうって。ま、マサルをダシに騒ぎたいばっかりなんだけど。」
涼子とリーゼにそう言うと、れんげは頭を掻いて苦笑いをした。
「全然ささやかじゃないね。」
「あんたと平馬は学校だけど、皆はちょうど明日から休みだし。ちょっと羽目を外そうって魂胆なのよ。…まぁいいんだけどね。」
楽しそうにクスクス笑う涼子を見て、れんげは次の日の部屋の惨状を想像して小さくため息をついた。
「みんなお祭り好きだもんね〜。でも楽しいのはいいよね。あいつも賑やかな方が好きだろうし。」
「そうですね。…れんげさん、後片づけはみんなでやりますカラ。」
涼子とリーゼは顔を見合わせて笑った。その二人にれんげが言葉をかける。
「じゃ、さっそく買い出しをお願いするわ。一応レシートじゃなくて領収書をもらってきてね。」
れんげは手にした財布をあけ、札を数枚とり出した。彼女はヒロと付き合って仲町サーカスに出入りするようになってから、事務仕事の一部を手伝うようになっ
ていた。結婚が決まった今では、将来を見据えて資格のための専門学校にも通っている。彼女はこういう形でサーカスを支えて行ける事に喜びを感じていた。
「あ、れんげちゃん。お料理の材料も頼んで良い?買ってきて欲しいものがあるの。」
れんげの言葉に、キッチンの一角で料理をしていた女性が振り返る。
「え?メイさん、何か足りないモノがあった?」
「子供が来るならお菓子だけじゃだめじゃない。頼んだオードブルは揚物やお酒のつまみばっかりよ。女の子達も来るならサラダやフルーツも用意しないと。…どうせ帰っちゃった子達にも連絡してるんでしょ?」
そう言ってメイはれんげに苦笑いの表情を見せる。
彼女は仲町サーカスで舞台美術を担当していた。実は寮を利用している団員はほとんど男性ばかりで、女性は涼子とリーゼ以外には彼女と経理のマミしかいな
かったのだ。れんげも結婚式の準備や事務所の雑務に追われて寮の一室に泊まる事が多かったが、実際は近くにヒロと一緒に住むための部屋を借りていた。その
他は家族と暮らしたり一人で部屋を借りたりしている。
「そっか、そうよねぇ。でもそれだと量も多くなるから涼子とリーゼに頼むんじゃ悪いわね、あんたたちじゃ車も使えないし…。」
「じゃ、私が一緒に行こうか?」
思案顔のれんげにメイが言った。
「うーん、メイさんには料理の仕込みをお願いしたいしなぁ。…むしろこの中じゃ私が一番料理の役に立たないし。私が涼子と一緒に行ってくるわ。メイさん、買うものを書き出してくれる?」
そうと決めたられんげはエプロンを外し、てきぱきと動いて出掛ける準備を始めた。
「じゃ涼子、つきあってね。」
「うん分かった。リーゼはどうする?」
涼子がリーゼに尋ねた。
「買い物に手が多い方がよければ行きますけど…お料理を手伝った方がいいデスカ?」
リーゼはキッチンの女性二人に顔を向ける。
「うん、リーゼさんはこっちを手伝って〜。あなたが料理したって言うと男どもが喜ぶから。」
鍋の様子を見ていたマミがリーゼに声を掛ける。それを聞いてリーゼは俯いて顔を赤らめた。
「もうマミさんったら。そんな事言ってからかわないで下サイ。」
「でもマサル君には手料理を食べさせてあげたいでしょ?」
困った表情をうかべるリーゼにそう言って、マミが面白そうな顔をして笑う。それを聞いたリーゼの頬がもっと赤く染まった。
「マミさん!それ以上リーゼで遊ばないでよね。」
涼子がリーゼを庇うように声を挟む。眉間にしわを寄せてちょっと怒った表情だ。
それを見てマミは目を真ん丸にして、更に面白がったような声をあげた。
「遊んでないわよぉ。お姉さんがせっかく気をつかってあげてるのに。」
「それが…!」
その様子にカチンときた涼子がムキになった表情をする。マミは普段からリーゼに何かとちょっかいをかけるのだ。大人しいリーゼはその事に対して特に何か言う事は無かったが、涼子はいつも苦々しく思っていた。
「涼子さん、いいんデスよ。…恥ずかしいけど私、本当にマサルさんにお料理作ってあげたいし。」
リーゼが涼子をなだめるようにそう言って彼女の肩に手をやる。涼子が振り向くとリーゼが諦めたような顔で小さく笑っていた。
「れんげさん、涼子さんと二人でも大丈夫デスカ?」
「うん。すぐ帰ってくるから、みんな後はよろしくね。」
自分の方を見て首を傾げるリーゼにれんげは軽く頷いて、まだ納得いかない表情の涼子と連れ立って食堂を出ていった。
「なんかマサル…雰囲気変わった?」
買い出しを終えた帰りの車中でれんげが涼子に声を掛けた。白い小型のワゴン車の後部座席には子ども向けのスナック菓子や食料品が山と積まれている。れんげに話しかけられて、助手席でぼーっと窓から外を見ていた涼子は顔を彼女の方に向けた。
「正直、私は小学生の頃のあいつしか良く知らないから…。日本を出る前もあんな感じだった?」
「あんなって?」
「調子が良いって言うか…昔っから人当たりはいいけど、女の子相手にぺらぺらしゃべる方じゃ無かったでしょ。」
「うん。」
れんげの問いに涼子は大きく頷いた。
「中学校の時もどっちかって言うと、女っぽい子は苦手だったと思うよ。でもクラスメートの女の子とは仲よかったし、誰とだってよくしゃべってたけど。」
「ふうん…。」
ハンドルを握りながら、れんげは涼子の表情を横目で追う。
涼子はその視線を仏頂面の上目遣いで受けた。
「少なくともあんな軟派な感じじゃ無かった。…リーゼに対してももうちょっとマシな態度だったと思うけど。なんかリーゼも元気ないんだよね、せっかくマサルが帰ってきたのに。」
「そう…。」
「どうしちゃったのかなぁ。何年も帰らなかったくせに突然帰ってきたと思ったら、どっかよそよそしいし。」
そう言って涼子はれんげから視線を外して、膝に置いた自分の手の方を見た。
「もし何か悩んでるんなら言って欲しいのになぁ……。私たちみんな、あいつの…家族なのに。」
うつむく涼子の頭にふわっと何かあたたかいモノが乗る。涼子が顔をあげると、れんげが左手でぽんぽんと軽く彼女の頭を叩いていた。
「涼子も心配してたんだね。」
「当たり前じゃん、………友達だもん。」
「……青春だねぇ。」
そう言ってれんげは小さく微笑んだ。それを聞いた涼子が小声で言葉を返す。
「れんげさん。それ、おばさんみたいだよ?」
「なんですってぇ…?」
涼子の言葉に憤慨したれんげが片手をあげて助手席に顔を向ける。
「わっ!れんげさん、前見て、前。信号変わるって!」
れんげがよそ見をした途端、前方の信号機が黄色から赤に変わった。気の早い歩行者が横断歩道を渡り始めている。れんげがあわててブレーキを踏むと、キキーッと甲高い音を立てて白いワゴン車が止まった。
ハンドルに突っ伏してれんげが大きく息を吐く。そして顔をあげて怖い顔をして涼子の方を向いた。
「涼子…それまた言ったら…許さないよ?」
「もう言わないよ〜。」
れんげの剣幕に冷や汗をかいた涼子が首をすくめて返事をする。
その様子を見てれんげが口元を綻ばせた。
「少し様子見よっか。マサルもあんたたちと気まずくなるために帰ってきた訳じゃないだろうし。」
「…。」
「今頃は平馬が何か聞き出してるかもよ。突然帰ってきた理由、とか。」
涼子は顔をあげて前方の信号機に目をやった。赤信号が青く代わり、れんげがゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
「何にも無いかもしれないけどね。…家族の顔、見たかっただけなのかも。」
「そうだね…。」
車はだんだんとスピードを上げてゆく。その後二人は他愛ない話をしながら家までの車中を過ごした。
キッチンではメイとマミとリーゼの三人で着々と料理を仕上げていた。
メイが大鍋で煮込みを作り、マミとリーゼで飾り用の野菜をカットしていく。女が三人もいれば手が動いていても勿論口も休む訳が無い。楽しげにしゃべりながら仕込み作業は続いていた。
「ねぇ、リーゼさん。実際のところマサル君とはどこまでの仲なの?」
まだ仲町サーカスに入って二年目のマミは二人の仲に興味津々だ。
「マミちゃん、そんな事別にいいじゃない。」
「だって興味あるもの。教えてくれたっていいじゃない。」
やんわりと自分を牽制するメイにマミは口を尖らせた。
メイは中心メンバーに次ぐ古参だったから、中学生の頃の勝を良く知っている。
もともとメイは演劇畑で舞台美術の仕事をしていたが、子どもの頃に見たきらびやかなサーカスの魅力が忘れられずに、その仕事がしたくて仲町サーカスを訪れ
たのだ。彼女は「女に力仕事は無理」という法安を口説き落としてサーカスの裏方に収まった。専門分野には頑固で納得するまで持論を変えないタイプだが人柄
は良く、入団当初から子供たちと打ち解けていた。
そして勝がサーカスにいた頃から在籍している団員にとって、リーゼが彼に首ったけなのは周知の事実だった。肝心の勝がそのリーゼにたいしてあまり気のない風であったことも。
「誰に言い寄られても『好きな人がいるんです』って断ってきたリーゼさんの本命が帰ってきたのよ。ここにいてそれが気にならない方がおかしいって。」
メイの牽制もマミにとっては何の障害にもならないようだった。
「…その、どこまでの仲って言っても…私の片思いみたいなモノデ…。」
観念したリーゼは赤い顔を俯かせて小声でマミにそう答えた。
「ち、ちょっと待って、リーゼさんが片思いってどういう事?!付き合ってて遠距離恋愛中…って訳じゃ無かったの?うっそ〜!」
リーゼの答えにマミは思わず大声をあげた。
とにかくリーゼはモテるのだ。その容姿もさることながら物腰から雰囲気から、やたらと男心をくすぐるらしい。
そのはかなげな外見で獰猛な猛獣を意のままに操る姿は、一部に熱狂的なファンを生んでいた。
「マサル君ってちょっとは可愛いけど、別に普通だし…まさかリーゼさんの片思いだなんて思ってなかった〜」
マミはそう言って面白そうな表情でリーゼの顔を覗き込んだ。
2009.6.17
げっ。書き出してから一年たってしまった…表なのに…。これ本当にたいした内容じゃないのに…。
あうあう下手な文章がどんどん回りくどくなってくよ〜
そしてまた勘違いが発覚(滝汗)。キャラの年齢がめちゃくちゃだよ!
すんません。この話ではれんげさんの年齢はリーゼさんより一個上です……。
菊さんもれんげさんも早生まれって事で(滝汗)