放蕩息子の『一時』帰還
工房の前に立ったまま、リーゼは勝にサーカスの近況をポツポツと話す。
勝は適当に相づちをうちながら、リーゼの声を心ここにあらずと言った風情で聞いていた。
その勝の様子を見てリーゼの心に苛立ちがつのる。話の区切りをつけた彼女が小さくため息をついて視線を横に反らすと、大きな荷物と工具箱を抱えた平馬と涼子がやってきた。
「おぅ、マサル。約束通りマリオネットの調子をみてやるよ。」
平馬は片手をあげて勝に声をかけた。そして持っていた工具を工房の入口近くの地面に置き、涼子が持っていた荷物を受け取る。
「サンキュ。」
「あ〜重かった。人形の整備するのにどんだけ道具がいるのよ。」
そう言って涼子は痺れた腕を擦るような仕草をして、平馬の方に顔を向けて眉をしかめた。
「悪かったね、涼子。言ってくれれば僕が持ってきたのに。」
二人を見て勝は少しほっとしたような顔をし、涼子に声をかける。そんな勝にリーゼは顔を軽く曇らせた。
俯くリーゼを見て、涼子がことさら明るい声で言葉を掛ける。
「リーゼはこっち手伝ってね。ノリさん達が今晩マサルのご帰還を祝ってパーティをしようって。まぁささやかに、だけどね。」
「はい、もちろん。一緒に準備しマス。」
リーゼは顔を上げて涼子に小さく微笑みかけた。
「え…?そんな悪いな。突然帰ってきたのに。」
涼子の言葉に勝が困ったように頭を掻いた。さすがに少し恐縮しているようだ。
「そうよ突然過ぎるのよ、まったくもー!今まで飛び出したっきりほとんど連絡してこなかったくせに。一体全体何してたのよ。」
勝の言葉を聞いて、涼子が左手を腰に当て右手の人さし指を勝の目の前に突きつける。
「サーカスの修業だよ…?」
子どもの頃のように威勢のいい涼子の剣幕に、勝は思わず首をすくめた。
「別に電話くらい出来るでしょうが。」
涼子の言葉に平馬もリーゼも頷いている。
「そりゃそうなんだけど。でもその、何て言うか…余裕がなかったって言うか…。」
勝が困ったような顔で言い訳にもならないことを口にした。
彼を囲む三人から軽く視線を外し、空を見上げるような仕草をする。
なんとなくその場に気まずい空気が流れた。
どこか自分たちに気兼ねがある様子の勝に三人はもどかしい思いを抱いていた。
涼子が諦めたようにため息をついた。
「もういいわ。マリオネットの整備が終わったら食堂においで。多分その頃には用意が出来てるだろうから。…でも食堂に入る前に着替えておいでよ。汚れた埃っぽい格好のまま来たら許さないから。」
「あぁ、後でちゃんとシャワー浴びさせるからいいよ。マサル、お前こっちの道具持て。」
平馬が勝に持たせる分の道具を指さし言う。それに頷いて勝は荷物を抱えた。
「任せたわよ平馬。行こう、リーゼ。」
「はい、涼子サン。」
リーゼの方を向いて涼子が小さく微笑んだ。それに応えるようにリーゼも微笑んで、二人は工房のそばを離れた。
「…おまえ、これ…オリンピアじゃねぇか。」
整備のためにスーツケースから出して起き上がらせたマリオネットを見て、平馬が驚いた声を出した。
オリンピアは薄暗い工房の中央で、天窓から入る陽の光を浴びて、さながら女神のように立っていた。
「うん、フウが直してくれたんだ。ぼくとしろがねも手伝ったんだけどね。」
勝は愛しそうな顔で、人形の手を撫でながらそう答えた。彼女は純白の衣で美しいシルエットを形作っている。
「へぇ。ローエンシュタインで見つけたって聞いてたけど、ちゃんと直って良かったな。」
平馬も嬉しそうな顔で美しい人形を見上げる。そしてちょっと眉をしかめた。
彼の視線の先の人形の命がある筈の場所が、ぽっかりと黒く空いている。
「なぁマサル、何でこいつのマスクを外してあるんだ?」
「え?別に理由は無いけど…。」
とぼけた顔をして勝が答える。平馬にオリンピアの顔を見せるのが照れ臭くて外していたのだ。
「じゃ、ちゃんとつけろよ。マスクだってかなり重量あるんだから、つけてないとバランス取れねぇだろ。」
もっともな平馬の言葉に勝は仕方なくオリンピアの顔を取り出し装着した。
「お前、この顔…。」
オリンピアはいつものように白く美しい面差しを明るい日差しの中で輝かせている。
平馬はもちろん、今のオリンピアの顔のモデルを知っている。
「……自分で作ったのか?」
勝の方をちらりと横目で見て、平馬はあきれ顔で問い掛けた。
「違うよっ。フウが勝手にやったんだって!」
平馬の言葉に慌てて勝が大声を出した。今までのポーカーフェイスが崩れて顔を真っ赤にしている。
「狭いトコで大声出すな、うるせえぞ。」
慌てふためく勝の様子に平馬はニヤリと笑う。
「そんなムキになるなんて、満更じゃねえって事だな。」
「だから、そんなんじゃないって…。」
「嫌なら自分で新しい顔を作りゃあいいじゃねぇか。お前だったら出来るだろ?」
「そうだけど…。」
ニヤニヤ笑う平馬の横で、勝は不貞腐れた赤い顔を反らした。
顔を背ける勝を見ていた平馬の顔からふとニヤニヤ笑いがはがれ落ちる。
「真面目な話、お前、リーゼの事どう思ってんだよ。」
その言葉に勝の顔だけでなく、耳の裏まで真っ赤になった。勝の後ろ姿しか見えない平馬にもよく分かる。
顔を背けたまま無言でいる勝に向かって、苦笑いを浮かべた平馬が言った。
「…あんまり待たせるんじゃねぇぞ?」
「え?」
平馬の言葉に勝が驚いたような顔で振り返る。
「女の貴重な時間を無駄に過ごさせんな。お前の方が年下なんだしよ。今ん所、リーゼはお前の帰りを待ってるみてぇだぞ。」
小さく口角を上げて素っ気ない口調で平馬が言う。そんな彼に勝がコクンと頷いた。
「う…ん、分かった。」
真面目な顔を赤らめて自分を見ている勝に、平馬はフッと小さく笑った。
「じゃ、そろそろ始めるか。てきぱきやんないと、夕飯に間に合わなくなっちまう。…どっから見やいいんだ?」
二人はオリンピアの整備に取りかかった。
勝と平馬は子どもの頃のように、息の合った様子でオリンピアの整備を続けていた。
そろそろすべての調整が済もうと言う頃、平馬がぼそっと呟いた。
「なぁ。別にオレと一緒じゃなくても、フウさんの所でちゃんと整備は出来るんじゃねぇのか?」
平馬の言葉に勝が振り返る。
「そんな事ないよ。」
そう言って勝はにっこり笑った。
「あそこはフウ以外は自動人形しかいないからね。きめの細かい整備が出来ないんだ。もちろんフウが付き合ってくれれば出来なくも無いけど。あれであの人は忙しいからね。どっちにしても力仕事はもう無理だし。」
「ふぅん。」
平馬があんまり納得してないような声を出す。
「黒賀村に頼むのも考えたけど…あんまり大事(おおごと)になるのも嫌だったからさ。」
「…確かにこれを村に持ってってたら、オヤジに小言の二つ三つはくらいそうだな。このスーツケース、やたらヤニ臭ぇぞ。」
そう言って平馬がじろりと勝を睨んだ。
「…わかる?」
「わかるわっ。お前、ギイさんにも怒られるぞ。オリンピアにこんな臭いつけちまって。」
「はは…。」
平馬の苦言に苦笑いをして勝は頭を掻いた。そんな彼を平馬が更にきつい目つきで睨みつけた。
「…お前、何してんだ?」
平馬は真剣な目で勝を見つめる。
「タバコの臭いだけじゃねぇ、かすかに火薬の臭いもする。これは仕掛けに使うような種類じゃねえだろ。それに…サーカスで演技するだけなら、こんなに微調整はいらねぇ。そんな柔な造りじゃねぇ筈だぞ、オリンピアは。」
それを聞いて勝は小さく息を吐いた。
「平馬にオリンピアを見てもらったら、もしかしてばれるかもって思ったけど。」
「…危ない事をしてんのか?」
「うん、まぁ…『しろがね』の代わりをしてるから。多少は危ないかな。」
そう言って勝は頭の後ろで腕を組んで天井を見上げた。
「何だよ、しろがねさんの代わりって。」
「しろがねって言ってもエレオノールの事じゃないよ。実は少しオートマータが残ってたのさ。今、僕は人形破壊者の仕事をしている。」
少し困った顔をして、天井を見つめたまま勝が呟く。その予想外の言葉を聞いて平馬は絶句した。
2009.1.15