〈2話〉

放蕩息子の『一時』帰還

「バカヤロウ!ちゃんと連絡がつくようにしとけっつっただろうが!!」
勝が仲町信夫の前でしおらしくうな垂れて正座をしている。
すでに一発特大のゲンコツを食らっている。
覚悟をしていたとはいえ、想像以上のカミナリに彼は首を竦めるしかない。
「本当にゴメンナサイッ!」
畳に指をついて頭を下げた。
信夫の言う事は至極もっともで、勝はひたすら彼に謝った。
電話を換えてうっかり連絡し損ねていた、という言葉は本当だった。
でも勝は、信夫や仲間たちが自分の事を心配しているだろうと分かってはいても、
こうやって一度顔を出そうと決心がつくまで、仲町たちに連絡を入れる事が出来なかったのだ。
過去の自分と今の自分。子供の頃の自分と大人になろうとしている自分。
ここにいた頃の幼い自分はとても強かった。
今の、何もかもに迷い、怯え、悩む自分とはあまりにも違う。
その事実を目の当たりにするのが怖かったのだ。
そして未だ彼は自分の中の二人の男達との折り合いがつかずにいた。
そもそも『自分』という物にも確固たる自信が持てずにいたのだ。
心の弱いままの自分が仲町サーカスに帰っても迷いが深くなるだけでは無いか、時々無性に帰りたくなるのはただ甘えているだけでは無いのかと悶々と考え、そのうち電話をかける事自体が苦痛になっていった。
「…まぁ、お前なりの事情があんだろうがよ。」
畳に額をつけている勝に向かって、幾分優しい口調で信夫が言った。
勝が恐る恐る顔をあげる。
「あっちの仕事はどうなんだ。順調なのか?」
信夫にはオートマータの残党狩りの件を話してある。この『仕事』は人形狩りの事だ。
その事を口にした信夫は心配そうな顔をしていた。
「うん、一向に数が減らなくて。最近はサーカスを回るより人形の相手をしてる時間の方が長いかもしれない。」
「そうか…。お前、それで大丈夫なのか?」
父親が息子を気づかう顔で信夫が言う。
「何とか。でも昔と違って、新しい人形を作る大元の親玉がいないから。散らばってる奴らを地道に潰して行けば、最後にはいなくなると思うんだけど。しろがねとナルミ兄ちゃんもいるし、最近は協力してくれる軍隊もあるからね。まだ先は見えないけど何とかなると思うよ。」
そう言って勝は信夫を安心させるように笑顔を見せる。
「くれぐれも体には気をつけるんだぞ。しろがねや鳴海と違ってお前は普通の人間で、一人で動いてるんだからな。何かあったら取り返しのつかない事になりかねん。」
「うん、気をつける。」
勝は信夫の言葉に素直に頷いた。そういえば最近の自分は鳴海が相手だとこうはいかない。
信夫を前にすると勝は自分が小さい子供に戻ったような気分になる。やはり少し甘えているのかもしれない。

「ここに来る前、母さんの所に寄ってきたんだけど…とてもきれいにしてあって。あれは誰が?」
ふと勝が信夫に問いかける。彼はここに帰る前に母親の墓を訪れていた。3年近くほったらかしていたので少し荒れているだろうと思っていた。しかし、墓はきれいにしてあり、活けられた花はまだそんなに日がたっていないようだった。そういえば母親の命日が過ぎたばかりだ。
「しろがねと鳴海がな。命日や彼岸に日本に来れない時は、かわりにオレとリーゼで行ってるよ。お前の事だから忘れてた訳じゃねぇんだろ?早く毎年顔が出せるようになってやれ。」
そう言って信夫が片方の眉を上げた。
「人間はな、一人で生きてる訳じゃねぇんだ。お前が一番良く知ってる事だろが。」
「うん、わかってる。でも…。」
小さく呟いて勝は顔を伏せた。
「しょうがねぇなァ、まったくよ。」
そう言って信夫は小さくため息をついた。
「まぁこれを機会にたまには顔を出せや。色々と気まずい事もあるかもしれんが、ここはお前の家なんだから。」
「うん…団長、ありがとう…。」
俯いたまま勝は小さく呟く。信夫に涙ぐんだ顔を見られたくは無かった。


どたどたと数人の人間が廊下を走る音がして、信夫の部屋の扉がバタンと開いた。
「マサルが帰ってきたって!?」
開いた扉から平馬と涼子、そしてリーゼが顔を出した。
三人は部屋の中に入って畳に座る勝を取り囲む。彼は慌てて立ち上がった。
「どこ行ってやがった、このバカヤロウッ!!」
顔を合わすなり平馬が勝を怒鳴りつけた。その勢いに少し滲んでいた勝の目元の涙が止まる。
「……あちこちを点々と……。」
握られてブルブルと震える平馬の握りこぶしの前で、勝は冷や汗をかいて頭を掻く。
「それが人に心配かけといて言うご挨拶か?あ?このバカタレッ!」
「いやぁ…その。」
平馬の怒りの表情に勝は言い訳も思いつかず、しどろもどろと口を動かした。
「まぁ平馬、ひとまず勝が元気そうで良かったじゃない。」
二人の様子に苦笑いを浮かべつつ涼子がそう言って助け船を出した。無論彼女も勝を心配していたが、五体満足な姿を見て何より彼の無事を喜んでいた。そして、彼女の隣には勝の帰還を心の底から喜んでいるリーゼの姿があった。
「おかえりなさい、マサルさん。」
勝の前に立ち、少し涙ぐんでリーゼが言葉を発した。その顔を見て、強張っていた勝の表情が和らいだ。
「ただいまリーゼさん。平馬も涼子も心配かけてゴメン。」
そう言って三人の方に向かって頭を下げる。
「最初っからそう言やいいんだ。」
「平馬がいきなり怒鳴っちゃ勝だって何も言えないわよ。」
仏頂面で顔を背ける平馬に涼子が取りなすように言う。
「それで気は済んだのか?ちゃんと帰ってきたんだろうな。」
平馬がぶすっとした表情のまま勝に向き直る。
「あ、それが…また来週ヨーロッパに行くんだ。雇ってくれるサーカスがあって。ヒロさんとれんげさんの結婚式の時には戻ってくるけど、まだしばらくは旅を続けるつもりで………。」
平馬の反応を予想して恐る恐る勝は言葉を口にした。
信夫以外の人間にはオートマータの事を話していない。平馬達には次に行く場所に自動人形が待ち構えて いる事は話せなかった。彼らに無用な心配はかけたくない。
もっともまだ、人形狩りの件が無くてもこの場所には戻れない心境なのだが。
「何ィ!」
勝の予想通り、平馬の沸点がまた上昇したらしい。さっきは握りしめるだけに留めた拳を、思い切り振り上げている。
「いや、だから今回は平馬に頼みがあって帰ってきたんだ。フウさんにもらったマリオネットの調子が良くなくて。自分で調整してても埒が明かないから、一度平馬に見てもらおうと思ってさ。」
勝は慌てた表情で平馬の肩を両手で掴み、どうにか口元に愛想笑いを浮かべて帰ってきた事情を説明し、怒りの表情が収まらない親友に懇願した。
「…………。」
勝の話を聞き、平馬が目だけを軽くリーゼの方に向けた。そしてすぐ視線を勝に戻す。
平馬の目に映ったリーゼは悲しげな表情を浮かべていた。
「ご、ゴメン。勝手な事言って。その、まだここに帰るには何かが足りない気がしてて。その…もう少し、外で勉強を………。」
三人の様子を見て、勝も心底申し訳なさそうな声を出す。
彼自身も自分の言っている事が理不尽な事は分かっていた。リーゼに対して何の答えも用意をせず戻った自分を、彼らにどれほど責められても仕方がない。
そもそも彼女が自分を待っていてくれている、かどうかはこの時点で勝には知る由も無かったけれど、「答えを出す」約束だけはしているのだ。たとえ彼女が今誰かと付き合っているとしても、それとこれは別の話だ。
「…わかった見てやるよ、お前のマリオネットの調子。でも夕方だぞ………とにかく今からノリさんやヒロさん達にも謝ってこい!」
「わ、分かった。行ってくるっ。」
平馬に言われて勝は慌てて部屋を出ようとする。その勝にスッと近づき平馬が涼子とリーゼの二人に聞こえないように囁いた。
「落着いたら工房に来る前に、リーゼと話はちゃんとするんだぞ。」
「う…ん。」
平馬のその言葉に勝は少し困ったような顔で、それでも何とか肯定の返事をしてから部屋を出た。


2008.7.21