〈1話〉

放蕩息子の『一時』帰還 

仲町サーカスの敷地の入口で、大きなスーツケースを右に置き、
そして小さなデイバッグを左肩に担いだ青年が所在なげに立っていた。
「知らない間に大きくなっちゃったなぁ。
 何一つ問題が解決してない状態で帰ってきちゃって…。
 むしろ増えてるよな。うう…足が進まないや。」
目の前に複数立つテントを呆然と見やり、小さくため息をつく。
「でもこんな所にいつまでも立っていられないし…行くか。」
彼は意を決したように両手で自分の頬を叩き、気合いを入れて一歩を踏み出した。

受付兼事務所から楽しげな笑い声がする。ここはあまりアポなしで来客のあるような所では無い。
その予定に無い話し声を聞いて不思議に思った女性が一人、首を傾げながら事務所に入って行った。
彼女が中に入ると、見覚えのある小柄な背中がカウンターの前に立ち受付の女の子と話し込んでいる。
「マミさんみたいなステキな人がいたら、外国なんか行ってないよぉ。」
「やだ君、調子いいわね。え!君が才賀勝くんなの?…三年前にここを出て世界を回ってるって言う。」
「まだ三年はたってないと思うけど……。」
戸が開いた音に気付き小さな背中が振り返る。
扉を開けて現れた女性を見て、受付の女の子と話していた彼が素っ頓狂な声をあげた。
「あれ、れんげさんじゃない。どうしてここに?」
入ってきた女性は阿紫花れんげ。平馬の三人の姉の一人だった。
「マーサールー…あんたこそ何でここに居るのよッ。半年くらい前から携帯も繋がらなくなるし。
 その様子じゃここに来たのはフウさんや鳴海さんに言われたからって訳じゃなさそうね。」
彼女は目をつり上げて頭から湯気を出している。
「あっ…忘れてた。ばたばたしてたんで、番号替えたの連絡してなかったんだった。
 そういや最近メールがないなぁって思ってたんだよね。そっか、そういう事かー。」
勝はれんげの剣幕に冷や汗をかきつつ頭を掻いた。
「あんた何ぼけてんのよ。まぁ、無事に帰ってきたんだからもういいわ。おかえり、マサル。」
そう言って表情を和らげたれんげの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
何年も日本を離れ、しばらく音信不通だった勝を仲間達はずっと心配していたのだ。
信夫以外の仲町サーカスのメンバーは、勝がフウの指示の元で自動人形と戦っている事は知らなかった。
しかし彼の海外での身元をフウが保証しているのは知っていたので、鳴海経由でおおまかな行方は掴めてはいた。
身体的に問題ない事も分かっていたが、しかし勝の方から積極的に便りをよこす事は無く、特に彼に心を寄せるリーゼは心を痛めていた。
「……何日かしたらまたヨーロッパの方に行っちゃうんだけど。そっちのサーカスで少し働かせてもらえる事になってて。」
安堵するれんげの表情に、すまなさそうな顔で勝は口を開く。
「なんですってぇ。帰ってきた訳じゃないって言うの?」
れんげの顔に再び怒りの色が浮かんだ。
「う、うん。実は平馬に頼みがあってサ。マリオネットの調整を手伝って欲しいんだ。…それよりれんげさんは何でここに?」
勝はれんげの表情に慌てて取り繕うように訳を言って、最後に疑問を口にした。
「…半年先には名字が変わるのよ。阿紫花から仲町に。
 あんたに連絡つかないから、一週間くらい前、鳴海さん達だけじゃなくてフウさんにも連絡しといたのに…。
 それも聞いてないなんてどういう事よ!」
れんげは勝に噛み付くように言う。
「ここに来るのにフウや鳴海兄ちゃん達には何も言ってないから…。
 それよりおめでとう、れんげさん!ヒロさんもこんなきれいなお嫁さんもらえて幸せだね。本当、良かったァ。」
れんげの怒りを物ともせずそう言って、勝は満面の笑みを浮かべた。
れんげとヒロの二人は勝が仲町サーカスに居た頃から交際していたので、彼はいつかはこんな日が来るだろうと思っていた。
ちなみにノリとナオタは阿紫花家の他の姉妹とは交際していない。
ナオタは舞台装置担当の芸術家肌の女性と交際しており、ノリは未だにフリーである。
子供の頃と同じに無邪気な勝の笑顔を見て、れんげは怒りのボルテージを下げた。
こいつはどうしたって憎めない男なのだ。
「もういいわ。どうせ今から皆にも怒られるんだから。覚悟しときなさい。」
そう言ってれんげはニヤリと笑う。
「やっぱりそうだよね。」
勝は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。れんげが受付兼経理のマミに声を掛ける。
「マミちゃん、団長はどこにいるんだっけ。」
「ノリさんなら次回公演の為の打ち合わせに出てますよ。前団長は今日のお出かけの予定は無い筈だけど…。」
マミは壁に貼ってある予定表を眺めて言った。
「えっ、ノリさん団長なの?」
「そうよ。それも一緒に伝えてあるわよ。何やってたのよ、あんたはもう。」
驚いた顔をする勝をれんげは軽く睨む。
「ご、ごめん。」
勝は小さい体をさらに小さくしてひたすら恐縮する。その横でれんげが電話を手に取って内線を回す。
「あ、お義父さんですか?驚かないで下さい。ウチの放蕩息子が帰国してきたんで、今からそっちにやりますから。
 うんとお灸を据えてやって下さい。」
「れんげさ〜ん、かんべんしてよぉ。」
信夫からのお小言を想像し泣きべそをかく勝にれんげは小さく微笑んだ。
「早く行って挨拶してきなさい。お義父さん、本当にあんたの事心配してんだから。
 もちろん皆も同じだけど。特にリーゼにはあとでちゃんとあやまんのよ。」
「うん、分かった。ありがとれんげさん。」
「式にはちゃんと戻ってくんのよ?」
「うん、もちろん!」
勝はその場に笑顔を残し、信夫のいる部屋に駆けて行った。

「れんげさん、今の子がリーゼさんの好きな人?」
意味あり気な含み笑いの表情でマミがれんげに聞いた。
「え?うん、そうよ。…まったくあいつ、何年リーゼを放っとく気なんだか。」
そう言ってれんげは小さくため息をつく。
「想像してた人と全然違いましたよ。みんなの話からはもっと真面目な人だと思ってたのに。」
マミはクスクスと笑いながらそう言った。
「…あいつ、超がつくくらいくそ真面目よ?」
「そうですか?さっき喋ってた時は軽い感じでしたよ。調子よくて。ナンパとかも慣れてそう。
 顔も可愛いし、もうちょっと背が高かったら女の子がほっとかないんじゃないですか?
 …ウチの看板スターの彼氏としては問題ありそう。」
そう言ってれんげの方を上目遣いで見てニヤッと笑う。
「第一印象でそれなんだから、マミちゃんの感想当たってるのかもね。
 …あいつ、外で一体何やってんのよ、もう。」
マミの言葉にれんげは少し考え込む。自分の中には小学生の頃の勝のイメージしかない。
その後仲町サーカスで会った勝もそれほど変わらない印象だった。
(何かあったのかなぁ…。)
ここを出て旅をしている間に、確かに少し印象が変わったようだ。
(リーゼを泣かすような事、してないといいんだけど。)
れんげの胸に一抹の不安がよぎった。


2008.6.23

前後編のつもりだけど、まだオチがまとまってないの(汗)
増えても3本以上にはならないと思うけど…。