虹
その日は星空がキレイだった。
眠れなくて宿舎を出た広い場所で、僕はオリンピアの整備をする。
「早く戦う必要が無くなって、サーカスのリングだけで踊れるといいのにね。」
傍から見るとおかしな奴だと思われそうだけど、彼女の整備をしていると、僕はつい話しかけてしまう。
オリンピアがあの子の顔をしているから。
「なぁに、それ?」
突然声をかけられて、僕は心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
今、僕はどんな顔をしてオリンピアを見つめていただろう?
「すごい人形ねぇ。」
声の主はターニャさんだった。
多分、僕は今、赤い顔をしていて…今が夜で、僕の顔色が彼女に見えないだろう事を喜んだ。
「この糸を操って動かすマリオネットなんだ。
僕の大事な相棒さ。たまにこうやって手入れをしてあげないと、必要な時に動いてくれないからね。」
オリンピアの腕を動かしながら糸を見せて、赤い顔に気付かれないようにと、努めて普通な声で言う。
「すごく精巧な人形なのね。…高価そう。
この前、遺産がどうとか言ってたけど、マサルって金持ちのボンボンなの?」
オリンピアの整備をする為につけたライトに照らされたターニャさんは、少し意地の悪そうな顔をしていた。
「本当にそうだった時もあるけどね。」
僕はそう言ってニヤリと笑って見せる。
なんだかターニャさんのそんな顔を見るのがとても嫌だった。
「二、三年くらいかな?大きな屋敷で暮らしたのは。
でもその前もその後も、暮らしぶりは今と変わらないよ。」
多分、今の僕も少し意地の悪い顔をしてる。
「僕は愛人の子で、八歳になるまでは名字も違ったんだ。
母さんが死んでその家に引き取られるまでは地味な暮らしだったよ。
遺産相続でごたごたした時に飛び出してからは、拾ってくれたサーカスでずっと暮らしてたし。」
…ま、大筋はウソじゃない。
「まだ子供なのに苦労してるんだ。」
そう言ってターニャさんは小さく笑った。
また子供扱いされた事で僕は少し腹を立てる。…そこが子供なんだって事も分かってるんだけど。
「ターニャさんっていくつ?…女性に年齢聞いちゃいけないか。」
「別にいいわよ。」
子供っぽい僕の問いに彼女は笑って答えてくれた。
「十九歳よ。」
…ウソ。僕と二つしか違わないじゃん。それにリーゼさんより年下!?
「な、なによ。黙っちゃって。」
「僕、この前十七歳になった所なんだ…。」
「…日本人って若く見えるって聞いたけど…。」
お互いにしばらく絶句する。
そして相変わらず子供っぽく機嫌の悪い声のまま僕は言った。
「…日本人の中でも僕は特別だよ。…ターニャさんこそ、もっと年上だと思ってた。」
「ごめんごめん、子供扱いして悪かったわ。
いくつだと思ってたか言ったら、きっと怒るわね。」
そう言って楽しそうに笑う彼女に、僕は毒気を抜かれた。
「言わなくていいよ。これ以上いじめないでくれない?」
僕はそう言って、手入れの済んだオリンピアのスーツケースを閉じる。
すねた気分はどこかに行ってしまっていた。
「すごく大事にしてるのね。マサルって普段から丁寧に仕事をすると思ってたけど、その人形の手入れの仕方、いつも以上だもの。」
「僕にマリオネットの操り方を教えてくれた、先生の形見なんだ。」
「マサルも大事な人を亡くしてるのね。」
…うん、本当に。
たくさんの大事な人が、僕の腕をすり抜けて行った。僕が幼く弱かったから。
でもターニャさん。あなたのその腕からも、たくさんの大事な人の命がこぼれ落ちていったんだね。
あなたがあの国からやって来たのなら。
そんな事を思っても、僕は目の前に立つそのきれいな女の人に何も言えなかった。
言葉を口に出す代わりに、ジーンズの後ろポケットからタバコを取り出す。
「いい?吸っても。」
僕の風体に似合わないから、彼女はすこし驚いたようだった。
「タバコなんか吸うんだ、マサル。ふふ…一本くれない?」
「いいよ。」
僕たちはしばらく黙ってタバコを吸った。
「最近のサーカスアーティストには、タバコは流行らないと思うけど。」
ターニャさんはニヤリと笑ってそう言った。
サーカスアーティストに限らず、最近はどこでだってタバコは流行らない。
自分自身の見た目もこんなだし、僕は普通人がいる所でタバコは吸わない。
だけど、彼女の前でタバコを取り出したのは、何だか落ち着かない気分になっていたから。
「僕はいいの。ターニャさんだって吸ってるじゃない。」
そう言って僕はターニャさんを見た。
「小銭があれば、ヘビースモーカーになってるわね。幸いにというか、ならなくて済んでるけど。」
彼女は苦笑いを浮かべている。
「ここの給料そんなに悪いの?」
僕も何を聞いてるんだか。バイト代を考えれば分かるけれど。
「まァ、高くはないわね。でも住む所があるだけで十分よ。
下っ端だけどサーカスの仕事は楽しいし夢があるわ。
お金がなくても、練習がきつくても、ここに来る前にくらべたらマシ。」
そう言って微笑む彼女はちょっと寂しそうで、それでもとてもキレイだった。
「でもマサル、ここでバイトするくらいで旅をして生きて行けるなんて、やっぱりお金持ちなんじゃない。」
「サーカスを回る間に違う事をやって稼いでるんだよ。そっちの方がお金になるんだ。
将来的にはサーカスで食べて行けるようになりたいんだけど。
あのマリオネットを使ってやる、特別な害虫駆除でさ。
本当は彼女もサーカスのリングに立たせてあげたいんだけど。……信じてないでしょ。」
ターニャさんはいたずらっ子のような顔でニヤニヤしながらこっちを見てる。
あきらかに僕の話を信じてない。
「だってマサル、この前言ってたみたいにウソつきなんでしょ?
そんな普通じゃない話ばっかりして。本当の事言いたくないなら、別に何も言わなくていいのに。」
ま、僕の人生荒唐無稽だし。…多少脚色しても嘘っぽいか。
オートマータを始末したってお金になんかならないけど。
そっちの仕事をする時の経費はフウインダストリー社からいくらだって支給される。
必要以上にもらった事なんかないけどさ。
それにアイツの個人資産だってほとんど全部寄付したんだけど…
フウに唆されて少し残した分を動かしたら、また結構な額に膨らんでしまった。
あの人、僕にそういう事が出来るか試したかったみたい。
それもこっそり寄付して、今はある程度の金額を残して放ってある。
僕はお金の怖さも大事さもそれなりに知ってるつもりで。
いざと言う時に自由になるものが無いのはやっぱり少し怖かった。
結局、いつか阿紫花さんにあげた金額くらいは残ってるんだと思う。
…それでもオリンピアに戦闘用の装備をさせたら吹っ飛んじゃうけどね。
ターニャさんの言う通り、僕は『お金持ち』なんだ。全部自分で稼いだお金なら文句ないんだけど。
つらつらとそんなどうでもいい事を考えながら、僕はターニャさんのキレイな顔に見とれていた。
「なによ、ぼーっとして。」
自分の顔に見とれている僕に気付いて、ターニャさんは赤くなった。
「さっきの話、まったく嘘って訳でもないんだけど…。」
「まぁいいわ。もう一本くれる?」
苦笑いを浮かべた僕に笑いかけてターニャさんは言った。
「うん。」
そうして僕たちはタバコを吸い終わるまで、並んでそこに座っていた。
無駄に金持ってるし、気が多いし、ウチの勝さんはホント最低な男(笑)。