〈9話〉

砂漠に赤い花

『マサル…無事だったんだな。良かった…。』
それは勝を探しにやってきた鳴海だった。通訳の為にとフウのメイド人形を連れて来ていた。
この国に着いてすぐ、勝の泊まっていたホテルが蛻けの殻だと知り、関係各所に問い合わせたのだ。
クラークが届けていたため、すぐこの教会の事が伝えられた。
ほっとしたような笑顔をする鳴海を見て勝の口が動く。
『銀(イン)…兄さん?』
『な、何を言ってる!?マサル…。』
自分を〈イン〉と呼ぶ勝を見て鳴海は狼狽えた。フウの言葉が脳裏に甦る。
〈彼は自分を見失っているようだ…。〉
鳴海は勝の肩をつかんで揺さぶった。
『お前はマサルだろう?』
『そ、そうだよマサルだよ。痛いよ、銀兄さん。』
自分の肩をつかむ鳴海の力が強く、勝は痛みを訴えた。その二人の間にドミニクが割って入る。
「ちょっと落ち着かんか、君。彼が痛がっているよ。」
そう言ってドミニクは鳴海の手を取り抑えた。
「あ…すまねぇ。少し驚いちまって…。」
「彼は…あんたの顔を見るまで言葉も話せなかったんだ。私も驚いているよ。…その言葉は日本語かね。」
「あぁ…そうです。」
鳴海の顔は青ざめている。
「彼を見つけた男も私も、彼には英語で話しかけていたんだ。意味は分かるようだったが。」
そう言ってドミニクは首をひねる。
「ドミニク牧師…、僕、英語も話せるみたいです。」
勝が口を開き、ドミニクの方を見た。
「兄さんの顔を見て…僕の中で何か鍵がはまったような気がして…自然に口から言葉が…。」
「記憶は戻ったのかね?」
優しい声でドミニクが問う。
「…いいえ、兄さんとフランシーヌの事だけ。他は何も思い出せません。」
勝は首を横に振って目を伏せた。
「マサル…。」
「白銀兄さんじゃないの…?」
勝は不安気な目で鳴海を見る。
「フランシーヌの何を覚えてる?」
鳴海は表情を和らげて言った。
「何って…兄さんの奥さんでしょう?僕たちが勉強中にプラハで知り合った。」
フランシーヌの名を呼ぶ時、勝は笑みを浮かべた。
「自分の事は?」
「自分…?僕、あ…名前以外何も…どうして?兄さんとフランシーヌの顔は鮮明に思い出せるのに。」
「さっき俺たちが勉強中に、って言ってただろ。お前も何か学んでいたんじゃないのかい?」
鳴海は勝の肩に手を置き、腰をかがめ彼の目を見つめる。
「…わからない…。」
勝は悲し気な顔でそう答えた。
「仕方ねぇな。記憶が混乱してるらしい。
 アメリカに戻ってフウに診てもらおう。ヤツなら何か分かるかもしれん。」
鳴海は立ち上がり、頭を掻いてそう言った。とたんに勝の顔が曇る。
「あの…出来たら博士に挨拶していきたんだけど…。」
怪訝な顔をする鳴海にドミニクが説明する。
「博士というのは彼を砂漠で助けた男だ。今朝まではそいつと助手のケイト君がこの子の面倒をみていたんだよ。」
「…助けてもらったのに黙っていなくなるなんて出来ないよ…。」
勝は必死な面持ちで鳴海を見た。
「クラークは自分が居なくても、君が記憶を取り戻したら親元に戻してやれと言っていたがな。」
ドミニクはそう呟いた。
「でも!」
勝は顔を歪める。
「中身は元のマサルのままらしいな。安心したよ。
 そうだなぁ、世話ンなった人に礼も言わないのは良い事じゃねぇな。
 …牧師サン、その人たちはいつ戻ってくるんですか?」
「一〜二週間で戻ると言っていた。砂漠の調査に出ていてね。正確な日程は分からんのだ。」
「そうですか…。今のところ他の奴らの動きも無いようだし…いいだろう、マサル。
 その人たちが戻るまでこの国にいよう。とりあえずフウには状況を説明して…対処法だけ聞いとくか。」
「そのフウと言う人物は親御さんかね。」
ドミニクが尋ねる。
「う…ん、こいつの親代わりみたいなもんかなぁ。マサル、フウの事は分かるか?」
「…ごめんなさい。分からない…。」
やはり勝は悲しげに言う。鳴海は苦笑いをして彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「牧師、知っていたらこいつを拾った時の状況を教えてもらえませんか。こっちの身元も説明します。
 …ただ出来れば二人で話したいんですが。こいつを無駄に混乱させたくないんで。」
「あぁ、クラークは身内が迎えに来た時の為にと説明していったからな。だいたい分かるよ。
 …ふむ、そこらへんに記憶喪失の原因があるかもしれないな。」
ドミニクは顎に手をあて思案するように言った。
「助かります。」
「だが…君はイン君と言ったかね。昼食はまだじゃないのかな。
 パンとスープくらいしか無いが、まずは一緒に食事をしよう。
 あそこのお嬢さんも一緒に。話はその後でかまわんだろう?」
鳴海は口に手を当て一瞬言葉につまり、メイド人形の方を見る。もちろん人形は食事をしない。
「俺たちはもう済ませてあるんで…どうぞ食事をして下さい。」
「そうかね?じゃお茶をいれようか。それくらい入るだろう?」
ドミニクが厳つい顔を笑顔にして言った。
「じゃ、遠慮なく…。」
人形はもちろんお茶も飲めないが。それくらいはごまかせるだろう。


2007.11.7