〈8話〉

砂漠に赤い花

「彼はマサルって言うんですか。この調子なら記憶も早く戻りそうですね。よかったわ。」
戻ってきた二人を出迎えたケイトが言った。
「ああ。帰りに大使館と警察に寄って来たよ。ここと教会の連絡先を報告にね。…身内が連絡を取れるように。」
話し合う二人の横で、勝はソファに座り雑誌を眺めている。
文字が読める訳ではなく写真を見て喜んでいるようだった。
突然彼の様子が変わり、一枚の写真を見てポロポロと涙を流し始めた。
「おや、どうしたんだい?マサル。」
クラークは横から写真をのぞき込む。そこには戦争の犠牲になった子供の姿が写っていた。
「君は優しいんだね。世界からこんな悲しい事が無くなる日が来るといいんだが…。」
勝の横に座り、クラークは彼の肩を抱いた。
「でももう泣くのは止めなさい。泣いてるだけじゃ世界は変わらないんだよ。君は早く記憶を取り戻すんだ。
 そして自分の出来る事を精いっぱいやるんだ。それが、少しでも世界を変える事につながるんだよ。」
そう言って勝に微笑みかける。
「博士、そんな事を言っても彼には分かりませんよ。」
「いやいや、彼は話せないが聞く耳はあるよ。証拠に私の話をまじめな顔で聞いていたじゃないか。」
二人の横で、さっきの写真を勝は真剣な目で見つめていた。

次の日彼らは三人で日用品の買い出しに出掛けた。その様子は本物の親子のように微笑ましい。
相変わらず勝は名前以外の言葉を口に出来なかったが、理解力はどんどん増しているようだった。
彼は昨日のようにあちこち動き回る事もなく、大人しく二人と共に歩いていた。
「私たちが砂漠に持って行く物と…彼の着替えだね。」
「そうですわ。いつまでも私たちの服を着せておく訳にもいきませんから。」
三人はさほど大きくない街の中をあちこち回って買い物を済ませた。
クラークとケイトはたくさんの荷物を抱えている。勝のための物品もあるので普段と比べても多い。
重みの為に少々フラフラとしながら荷物を持つケイトの袖を、勝が引っ張った。
「なぁに、マサル。」
勝は自分を指さし、彼女の荷物を指さした。
「あら手伝ってくれるの?」
ニコッと笑って勝は軽々とケイトの荷物を受け取った。もっと持てるよ、という顔で彼女を見る。
「ありがとう、十分よ。助かるわ。」
彼女は勝に微笑んだ。
「マサルは男の仕事を分かっているようだな。なぁ、マサル。
 私たちが砂漠から戻った時、もし君が今のままだったら、一緒にアメリカに行こう。
 そこで専門医に診てもらうんだ。きっと君のご両親も心配しているだろう。
 君は早く自分を取り戻さないといけないよ。」
語りかけるクラークの顔を勝はじっと見つめる。
その言葉を噛みしめるような表情をして、勝は小さく頷いた。
陽が陰り出した街を後にして、三人はそのまま帰途についた。

クラークとケイトが砂漠に旅立つ朝、三人は教会を訪れた。
勝をドミニクに預け、二人はジープに乗り込む。
「マサル、いい子にしてるのよ。」
「なるべく早く戻るようにするからな。ドミニク、本当によろしく頼んだぞ。」
声を掛ける二人に勝はニコニコと頷いた。
「分かった分かった。面倒はみてやるから早く行け。その車は音がうるさくてかなわん。」
ドミニクは悪態をつきながら御座なりに手を振った。
少年と牧師に見送られてジープは教会を後にした。

「さて、マサル。さっそくだが働かざる者喰うべからず、だ。
 私はこれから菜園に行くが、君は手伝えるかね?」
勝が二人に与えられた当座の荷物を教会の中に持ち込むと、ドミニクが口を開いた。
その言葉に勝は笑顔で頷く。ドミニクが彼の手を取ってじっと見た。
「ふむ。体つきもこの手も、怠け者では無いようだな。じゃ、手伝ってもらおうか。」
二人はそのまま、午前中一杯畑仕事をした。
勝に畑仕事の経験は無かったが、ドミニクに教わりながら真面目に作業をする。
いつもならドミニクが一日かけてする作業を、二人で午前中に終えてしまっていた。
「君は働き者なんだな。…いや助かったよ、そろそろ昼食にしよう。手伝いのアイシャも来ている頃だ。」
二人が裏の畑から教会に戻ると、入口に少女が立っていた。
『どうしたね、アイシャ。そんな所に立って。』
牧師はこの国の言葉で話しかけた。そのため勝は不思議そうな顔をする。
『お客様がお見えです。…たぶん、その子の事で。』
そう言って少女は勝を指さす。勝はきょとんとした顔で少女を見つめた。
「君、どうやらお迎えが来たようだね。」
牧師が微笑んで、そして小さくため息をつく。
二人が教会の扉を開け中に入ると、大柄で精悍な顔つきをした逞しい男と小柄だが美しい人形のような女が立っていた。


2007.11.1

や、やっと動いて来た…。