〈7話〉

砂漠に赤い花

次の日の朝、ケイトが勝の部屋を訪れた時、ベッドの中に彼の姿は無かった。
部屋中見回してみても見当たらない。もちろん隠れるスペースなどありはしなかった。
「…いったいどこへ?」
彼女の顔が青ざめる。そこへリビングの方からクラークの笑い声が響いてきた。
「博士?坊やが…。」
少年がいなくなった事を伝えようと慌ててケイトはリビングに駆け込んだ。
一瞬、彼女は自分の目を疑う。あの少年がクラークと共にソファに座り、にこやかに笑っていたのだ。
「おはよう、ケイト君。どうだい、彼の回復ぶりは。…逆に面倒をみるのが大変になったがね。」
そう言ってケイトに笑いかけ、クラークは口にしていたタバコを灰皿の上に置いた。
彼がケイトの方を向いたとたん、勝が灰皿のタバコを口にしてゴホゴホとむせる。
「こらっ、君にはまだ早い。」
勝を喜ばせるために、クラークがタバコの煙を輪にして見せたのだが、同じ事をしてみたかったらしい。
「何が…どうなったんですか?」
クラークと勝を交互に見て、ケイトは目をしばたたかせた。
「意識は戻ったんだが幼児退行をしているようでね。感情は表現出来るが…言葉は話せんし、もちろん記憶も無いようだ。」
クラークは苦笑いを浮かべたが、目は笑っている。勝が意識を取り戻したのがよほど嬉しいらしい。
「そうですか…、ひとまず良かったですね。」
ケイトも笑顔でそう言った。
と、突然勝の眉が曇る。横にいるクラークの手をつかんで何かを訴えるような顔をした。
「おい、坊や。急にどうしたんだ?」
ぐうぅぅっと少年のお腹で立派な腹の虫が鳴った。
「ぷっ…。もう大丈夫ですね。」
「そうか、朝メシがまだだったな。何か用意出来るかね。」
「はい、もちろん。」
クラークとケイトは笑い合い、食卓の準備をした。

その日の午後、クラークと勝は街の中を歩いていた。
昨夜ケイトに話した通り、彼を知っている者がいないか聞いて回っていたのだ。
勝の体力は食事が取れるようになるととたんに回復し、一緒に歩いているとクラークの方が先にくたびれてしまいそうだった。
「こら、坊や。一人で歩くんじゃない。私が話す間は近くで待っていなさい。出来るかい?」
勝は言葉を発する事が出来ないものの、相手の話す言葉の意味はだいたい分かるようだった。
言いつけも割りと素直に聞く。ただ、小さい子供と同じであまり持続力は無かった。
「君は砂漠に出る前、よほど街中を歩き回っていたんだな。どこで聞いても君を見た人間がいるぞ。
 しかし、肝心な身元の分かる者が見つからん。一体君は、どこから来たんだろうな…。」
二人は道端のベンチに座りペットボトルの水を飲んでいた。勝は上手く飲めずに顔に水をこぼしてしまう。
それでもそれが面白かったのか、勝は満面の笑みを浮かべた。
「本当に赤ん坊と同じだなぁ。服がぬれてもここならすぐ乾いてしまうからいいが…
 でも、水は大切にしないといけないよ?
 そんな風にこぼしてはだめだ。みんな苦労して水を手に入れているんだからね。わかるかい?」
クラークの言葉を聞いて、勝はペットボトルの蓋を固く締めた。やはり言葉の意味は分かるらしい。
「よし、いい子だ。目が覚めてから急速に回復してきているのかもしれないな。
 朝より物事が理解出来るようだ…。なぁ坊や、君は自分の名前も思い出せないのかい?
 私はクラークだ。君は?」
クラークは名前を言って自分を指さし、そして勝を指さした。同じ事を二、三度繰り返す。
勝は思案するような顔をし、クラークと同じように自分と彼を指さした。そして勝の唇が動く。
「マサル…。」
そう言って勝はにこうっと笑った。
「そうか、君の名前はマサルか。と言う事は日本人だね。私には君と同じ名前の日本の友人がいるよ。」
クラークは勝の頭をくしゃくしゃと撫でた。そうして二人は笑い合った。


「また厄介な荷物を拾ってきたもんだな。」
スラム地区近くにある教会にクラークは勝を連れて訪れていた。
二人の目の前には、牧師の衣装で窮屈そうに身を包んだ厳つい大男が立っている。
温和な雰囲気のクラークと並ぶと、その装いに反してどこか犯罪者めいて見えた。
「…ドミニク、あわれな子羊を砂漠に放置しておく訳にはいかないだろう?」
クラークは眼鏡に手をかけ、相手を睨んでそう言った。
「犬猫じゃ無いんだ。自分で面倒がみれんのなら警察へ連れて行け。」
ドミニクと呼ばれた男もクラークを睨みつける。
「ここの警察が当てになるか。それに面倒をみんとは言っとらん。
 フィールドワークに行っている間、預かってくれと言っとるだけだ。」
「…どれくらいだ。」
「一週間から二週間。」
「お前が拾ってからまだ二日なんだろう?情が移る前に警察に連れて行け。」
二人の男が言い争っている間放っておかれた勝は、机の上に乗っていた修理中のラジオを見つけた。
ドミニクがやりかけて途中にしてあったものだ。彼はその手の作業が苦手だった。
言い争いの最中ドミニクは、その机で勝が何やらゴソゴソと動いているのに気が付いた。
「おい、お前。それに触るなよ。一台しかないラジオなんだから…ん?」
ラジオからクリアな音で音楽が聞こえてくる。その横で道具を手に勝がニコニコと笑っていた。
「マサル…君、機械いじりが得意なのかい?」
クラークが勝に問いかける。勝は笑顔で頷いた。
「たいしたもんだ。買ってきた時より音が良いんじゃないか。」
ドミニクの言葉に、褒められている事が分かるようで勝の笑顔がもっと大きくなる。
「……分かった。預かってやるよ。」
「何か下心があるんだろう?…まぁ良い、頼むよ。
 もし私がいない間に記憶が戻っても、そのまま親元に返してやってくれ。必要な金はある程度置いて行くから。」
小さく笑ってクラークが言った。
「金はいい…と言いたい所だが、貧乏な教会だからな。あの子の食事代くらい置いてってくれ。それで十分だ。」
ドミニクは苦笑いで答えた。
「明後日の朝、砂漠に行く途中で連れて来るよ。迷惑をかけてすまんな。」
「…いいさ、文句は言ったが最初から追い出す気は無かったから。身寄りの無い子供を放り出す訳にはいくまい。」
「そうだな…。」
見た目こそ違えど、この二人は似た者同士だった。


2007.10.26

ごめんなさい…。困った時の腹の虫で…。あと長い…