砂漠に赤い花
「…目が覚めた?どこか痛いところはない?」
勝が目を開けた時、彼は毛布にくるまれジープの荷台に寝かされていた。
「何かひどい目にあったのね、体中痣だらけよ。傷は…古い物のようだけど。」
助手席に座った女性が勝に声をかける。年の頃は三十代半ば、落ち着いた風貌をしている。
「まったく驚いたよ。フィールドワークから戻る途中に、街のはずれの砂漠でフラフラ歩く君を見つけて。
声をかけた途端、気を失ってしまうし。」
眼鏡をかけた温厚そうな五十歳くらいの男性が、運転席から声をかける。
勝は声のする方に顔を向けるものの、うつろな視線を送るだけで返事をしない。
…彼の意識は混濁し、外からの情報は入ってくるものの自身を外界にフィードバックする事ができなかった。
自分の状態をはっきり理解できているかどうかも怪しい。
彼の心はまだフェイスレスの悪夢に捕らわれていた。
男がため息をついた。
「やれやれ、これじゃあ名前もわからないなぁ。
この国の警察に連れて行っても埒が明かないかもしれん。」
「そうですね、博士。外国人ですし、直接、大使館に問い合わせた方が早いかもしれませんね。
まだ子供ですから正規に入国していれば記録がすぐ見つかるでしょう。」
女も心配そうに勝の顔を見て言った。
「正規にね。この様子では何か事件に巻き込まれていた可能性もありそうだが…。」
男が眉間にしわを寄せてつぶやいた。
この世界はゾナハ病の危機から脱し「しろがね」を必要としなくなっていた。
しかし、いまだそのルールは生きていた。
現在それが頻繁に適用される事はもう無いが、生き残りのオートマータの存在が確認された時、
そのルールを利用する者がいた。
それはオートマータを狩る者たち。
鳴海、エレオノール、勝の三人が「しろがね」を名乗り、各国でオートマータを始末していた。
勝は今回の入国にあたり「しろがね」を名乗っていた。
急だった事もあり、複雑で時間のかかるこの国の入国手続きを避けたのだ。
そのため、勝を助けたこの二人の男女が大使館に問い合わせても、該当する少年の情報は無かった。
「ケイト君。だめだ、最近入国した東洋系の少年の中に行方不明者はいないようだよ。」
男性は部屋に入ると勝の面倒を看ていた女性にこう言った。大使館に出掛けて話をして来たようだった。
研究のため借りている家屋の一室で彼らは話をしている。勝は同じ部屋のソファに寝かされていた。
この男女の名はクラークとケイト。彼らは、砂漠の研究をする為にこの国を訪れている地質学者だった。
「そうですか…。警察にも電話をしたのですが、身元不明者の中に該当する少年はいないようです。
そもそもこの国に、外国人の子供はそんなにいない筈なんですが…。親御さんは心配されているでしょうね。」
「あぁ、そうだね。とにかく身元がわかると良いんだが…。まだ意識ははっきりしないのかね?」
「えぇ…、目を開けても全然反応が無いんです。誘導すれば立って歩く事は出来るんですが。
病院で診察してもらっても原因がわからなくて。
自分で食事も出来ないので点滴をしてもらいました。…ただ身体の回復が異常に早くて。
助けた時の痣や傷が、ほとんど無くなってるんです。古い傷には変化が無いんですが。」
「不思議なことだ…。やはり何か、事件に巻き込まれていたのかもしれないな…。」
クラークが眉間にしわを寄せて言った。
「とにかく、しばらく様子を見よう。この状態で外に放り出す訳にはいかないからね。
次のフィールドワークまで今日を入れて三日ある。それまではここで面倒をみてやろう。先の事はその時考えれば良い。」
「そうですね。」
そう言って二人は小さく頷きあった。
勝は心の深い深い場所に沈んでいた。自分を心配する人間の声も届かない。
心の隅で少女が泣く。黒い髪で黒い瞳の少女。
「どうして泣いてるの?」
彼の問いに彼女はさらに瞳を潤ませる。
「泣かないで…。」
彼女の涙を見ると胸がしめつけられる。彼がいくら願っても彼女の涙は涸れる事がない。
少女の唇が動く。勝には声が聞こえない。彼は彼女の唇を見つめる。
〈カエッテキテ…〉
言葉が読み取れた。
その途端、彼の心にまた子供の悲鳴が満ちる。男の嘲笑が響く。
さらにあの男達から受けた暴力も勝の心を蝕んだ。
力づくで蹂躙され、嬲られ、今まで経験した事のない痛みを与えられた。
屈辱に塗れたその痛みが、黒い塊の中に埋もれたフェイスレスの記憶を呼び覚ます。
フェイスレスが手にかけた人間達の悲鳴、怒号、嗚咽が勝の頭に溢れる。
フェイスレス自身の劣等感、絶望、焦燥…。
…サビシイ、サビシイ…。ダレモボクトイテクレナイ。コンナセカイハイラナイ、ナクナレバイイ!…
黒い闇が勝の心を覆い尽くそうとしていた。
その心の隅で、少女はずっと泣き続けている。悲しみに歪むその瞳が勝の胸をしめつける。
その切なさが、彼の全てをフェスレスの記憶に埋もれさせるのを留めていた。
二つに引き裂かれた心は悲鳴をあげる。
心の奥の闇の中で勝はもがき続けていた。
2007.10.3
色々考えたんですが、多分フェィスレスの記憶と共存しないと勝は生き残れないんだろうな、と思うようになりました。
それでその記憶と対等に向き合うには、彼自身が辛い経験をしないといけないんじゃないかと。
原作でももちろん辛い目に遭ってるんだけど、彼自身が「責任」をあんまり負ってない。
そりゃ小学生にそこまで求めるのは酷なんだけど。鳴海は自身のために犠牲になった命を背負っていたのにね。
何処まで行ってもどっか上から目線だったんで、一度落ちるところまで落ちて欲しい。
それで初めて自分と向き合えると思うのです。その時、彼の心の底にいるのがリーゼさんだと良いなぁ。
…それでこんな話になりました。