砂漠に赤い花
カツカツと苛立った足音がフウの屋敷の廊下に響く。
そしてすぐに男の大声が屋敷中に響き渡った。
「マサルが戻ってこないだと!?」
鳴海はフウに殴りかかる程の勢いで詰め寄る。
「オレがあのオートマータの本体を始末してここに来るのに1週間はかかってるんだ。
とっくに戻って来ててもおかしくねぇだろう!」
「そうだね。いつもなら次のサーカスに出掛けているくらいだろうな。
居場所は分かっているんだよ。オリンピアには発信機がつけてあるからね。
…その事はマサルも知っている。」
鬼の形相の鳴海に迫られても涼しい顔でフウは言った。
「居場所が分かってるなら何が問題なんだ。」
鳴海が苛立った声を出す。
「彼は今、自分を見失っているようだ。」
初めてフウの声色が変わった。表情も苦虫を潰したように歪んでいる。
「な…に?」
「案内を頼んだガイドが死んでね。自分のミスで人が死ぬのは、彼には初めての経験だったからな。」
「…だから!オレはマサルをこんな事に巻き込みたくなかったんだ。」
鳴海はフウを睨みつける。
「そうだな。君の気持ちは分からんでもない。」
そう言ってフウはため息をつく。
「だが、君ら二人では事態をカバーしきれんのも事実なんだ。
この世にオートマータを狩る事ができる『しろがね』は二人しかいない。
マサルが加わってくれたことで、犠牲になる人間が減ったろう?」
「そんな事は分かってる。だが、あいつはまだ子供だ。」
「…ナルミ。実はあたしはね、マサルにとってオートマータと戦う事が、
フェイスレスの記憶と向き合う為の有効な手段だと考えている。
そうでなければあたしも、彼を引き込んではいないよ…。」
そう言ってフウはまた、ため息をついた。
「フェイスレスの記憶と向き合う?」
鳴海は片方の眉をつり上げる。
「あぁ。子供の頃の彼は心の中に君を住まわせる事で、強靭な自我を手に入れていたのだ。
だが君が生きている事を知り、全てが終わった世界で彼は…
『カトウナルミでない自分』を生きるしか無くなった。
成長期の彼にとって『自分』とは、まだ不安や迷いと共にある不確定なものだ。
心の壁が薄くなり、自分以外の者の記憶をただ拒絶するだけでは済まなくなった。
何せ彼を取り巻く記憶を授けた者達は、彼の何倍もの人生を歩いて来たからな。
今にも彼の脳から溢れんばかりだろう。それを消す事は出来ないんだ。
彼が生き残る為にはフェイスレスの記憶を拒絶するのではなく、受け入れなければいけない。
その上で自分自身を築いていかねばならんのだ。
あたしも一度、機械的に彼の記憶を制御することを考えたが、それは彼の脳の一部を殺すも同然だ。
マサルは自分の力で、フェイスレスと才賀勝は別の人間だと自覚し、自我を作らねばならんのだ。」
フウはしっかりと鳴海を見据えて話す。
「あいつの中のフェイスレスが…問題なのは分かった。しかし、何故戦わなきゃならん?」
「普通の生活を送っていては、彼の自我は人並みにしか成長できん。
強い意志と気力が必要な環境に彼を放り込みたかった。
オートマータが残ってなけりゃ、あたしは彼をどこかの軍隊に入れたかも知れん。」
「強い意志が必要なら、スポーツでもさせときゃいいだろう!何故、命を削る必要があるんだ!!」
鳴海は表情に憤りを隠せない。
「私も…フェイスレスの記憶を見せてもらってるんだよ。
全ての記憶を自覚出来ないマサルと違って、私は全てを見てるんだ…。
あれは結構、強烈でね。
あいつが殺した人間のイメージを凌駕する為には、マサルが自分でそれを上回る経験をするしかないのさ。
オートマータがしでかした事を自分の目で見て、それを自分の手で裁く。
積み重ねて行けば、フェイスレスの記憶に負けん自我を作る事が出来るかもしれん。
…これも私の仮定でしかないがね。」
フウの表情は硬かった。
「あいつはまだ子供だぞ?米軍だってハイスクールも出てない子供(ガキ)なんざ入隊させねぇだろうが。」
「フェイスレスの記憶の解放は彼が大人になるのを待っていちゃくれないからね。
…ナルミ、あたしもマサルに生き延びて欲しいのさ。
200年以上も生きた私が、何故まだ生きていられると思う?彼が成長する姿を見てみたいんだよ。」
そう言ってフウは小さく笑った。
「…迎えに行ってくる。場所はどこだ?」
「君一人で行ってやってくれるかね?エレオノールは連れずに。」
「分かってるよ…。」
鳴海は薄く微笑んだ。
「あの砂漠の国の首都にいる。少なくともオリンピアはそこだ。」
「オレが戻って来る前に言えば早いものを。」
「出来れば自分の力で戻って欲しくてね。君が行くまで彼の体力なら何とかもつだろう…。」
フウの顔は寂しげだった。
「今回はアンタのペナルティだ。人形(メイド)借りてくぜ。」
「あぁ。」
鳴海は屋敷を出て勝の元に向かった。
2007.9.27