砂漠に赤い花
暗い部屋の中、勝はベッドの上にうずくまっていた。
その位置からはちょうど大きなルームミラーが目に入る。
そこに映る自分が自分を見つめていた。
「…お前は誰だ?」
鏡の中の顔がヘラヘラと笑う。
「…僕は…誰だ…。」
鏡の中の顔が涙を流す。
「うっ…ぐふっ。」
勝はベッドの上に、吐く。何度も嘔吐を繰り返し、もうすでに胃液しか出ない。
「僕はあいつの記憶をトレースしてるだけなのかもしれない…。
人形を操る僕がフェイスレスの操り人形だなんて…お笑い草だ。」
フラフラと立ち上がり、彼は鏡の前に立つ。
「この体の中に、僕はどれだけを占めている?
白金(あいつ)の二百年近い記憶を前に、十数年しか生きていない僕が…消えずにいられる?」
膝をつき、鏡に両手をつく。
「…しろがねを愛したと思ったのは…本当に僕の気持ちなんだろうか。
あいつの記憶をなぞっただけじゃないのか?」
冷たいガラスに額をつけ彼はつぶやく。
「…リーゼに恋をしたと思ったのは…僕の中のフェイスレスを認めたくなかっただけじゃないのか?
あの気持ちは本当に僕のものなんだろうか…。」
彼はそのまま鏡の前で気を失った。
この国の空気は乾いていた。
この首都を1歩出れば果てしない砂漠が広がる。
その砂漠で暮らす遊牧民以外の人々は、点々とある集落で暮らしていた。
この街は一見他の国の都会と何の変わりもない。
スーツを着たビジネスマンや身なりの良い女性が通りを行き過ぎる
だが、この国で富める者はほんの一部で、ほとんどは貧しい暮らしを強いられていた。
暮らせなくなり自分たちの集落を出た人々は、この首都のスラムで生活していた。
勝はそんなこの街の中を、一人フラフラと歩いていた。彼の瞳は何も映さず、意識もはっきりしない状態だった。
熱に浮かされたように、夢遊病者のように、ただあてもなく彷徨っている。
時おり通りを歩く人々にぶつかり倒れる。相手が声を掛けても彼は何も答えない。
まるで薬でもやっているかのような様子に人々は諦め、ため息をついて去ってゆく。
稀に、警察に連れて行こうとしたり、面倒をみようとする親切な人々もいたが、
勝は気が付くとその場から姿を消しているのだった。
今、彼の頭の中を子供たちの悲鳴が支配していた。
子供たちの恐怖とフェイスレスの狂気が彼に伝染していた。
その狂気から逃れる為に、やみくもに彼は足を動かしていたのだった。
いつしか勝の足は、この首都のスラムの方を向いていた。
どんな国でも貧しい人々の暮らしは変わらない。
彼らは自分たちが生きる事に必死で、闖入者の存在を無視した。
灰色の空気の中を彼はただフラフラと彷徨い歩く。そんな彼の前に数人の男達が群がった。
『…まだ子供じゃねぇか、コイツ。怪我ぁしたくなきゃ金出しな。』
男の一人が言う。勝には彼の言葉が分からない。
『コイツ薬でもやってんじゃねぇか。』
うつろな目の勝を見て他の男が言った。
『だったらかまうことねぇ。勝手にいただいちまおうぜ。』
男達の一人が勝を羽交い締めにしようとする。
自分に危害が及ぶと知り、彼は無意識に抵抗した。
いつもの動きには及ばないが自分を捕らえようとする男を叩きのめす。
だがそれが、他の男達の怒りに火をつけた。男達が束になって勝に襲いかかった。
常態でない彼はひとたまりもない。
『てこずらせた割にたいして持ってねぇな。』
ジーンズに入っていた現金を奪われた。
『なんだこの傷…。コイツ、どっかで飼われてたんじゃねぇか。』
勝の体の傷を見て、男達は嘲笑する。その笑い声が勝の中であの男の笑い声と重なった。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁ…。」
勝は耳を塞ぎ、叫び声をあげた。
『うるせぇ、だまりやがれ。』
男達が勝を押さえつける。それでも彼の叫びは止まない。
彼の心は今、フェイスレスへの恐怖で満たされていた。
男の一人が勝の口を手で塞ぐ。
『…面倒くせえ。殺(や)っちまうか?』
『外国人だぜ、コイツ。こんな小さい国だ、探しに来たら俺たちが殺(や)ったってすぐバレるぜ。
そっちの方が面倒だ。勝手にのたれ死ぬ分には関係ねぇけどな。
しかしうるせぇなぁ、大人しくさせろよ。』
男達の一人が勝を殴り倒し、彼は叫ぶのを止めた。
2007.9.24