〈19話〉

砂漠に赤い花

夕暮れの赤い光の中、オリンピアの腕に抱かれた勝と鳴海は砂漠の海を渡っていた。
一心不乱にオリンピアを繰る勝に鳴海が声を掛ける。
「お前、記憶が戻ったのか?」
「うん、オリンピアを繰り始めたら…だんだんと思い出されて来たんだ。」
勝はそう言って少しだけ鳴海の方に顔を向けた。
「じゃあ早くオリンピアを触ってみりゃ良かったな。」
「…多分、それじゃダメだったと思うよ。」
今度はちゃんと鳴海の方を見て、勝は含羞んだ笑みを浮かべる。
「何でだ?」
鳴海が不思議そうに尋ねた。
「僕が自分自身を本当に取り戻したいと思ったから、記憶が戻ったんだと思う。
 それまでの僕はフェイスレスの記憶が甦る事を怖がっていた。
 でも二人を助けるためにはどうしても、記憶を取り戻してオリンピアを繰らなきゃいけなかったんだ。
 …フェイスレスの記憶と向き合う事にも恐れなかった。だから、オリンピアを触った時に記憶が戻ったんだと思う。」
そう言って勝はしっかりと前を向いた。
「そうか…。」
少し嬉しそうな表情を浮かべて鳴海は勝を見やり、そしてまた前方を向く。
「オリンピアの顔をした女の子のおかげかもしれないけどね。夢の中で彼女はずっと僕を勇気づけてくれた。」
少し遠い所を見るような顔をして、鳴海に聞かせるでもなく勝が小さく呟いた。
その呟きは鳴海の耳にも届いていたが、彼は黙って自分たちの進む先を見つめていた。

「マサル、まもなく目標地点だ。」
「了解、ナルミ兄ちゃん。」
鳴海が端末の画面を見ながら言う。勝は少し緊張した声でそれに答える。
「この図体だからな。見つかってない事はねぇよな。」
少し固くなっている勝に、鳴海はおどけたような声で言葉をかける。
「この図体って…。オリンピアにひどい事言わないでよね。
 でも、あいつらには彼女が何か予想がつかないだろうし、警戒はしてるだろうけど…問題は無いよ。」
「油断はするなよ、マサル。」
「うん。あんな思いは一度でたくさんだから。」
勝の脳裏にはガイドのアリの姿が甦っていた。
彼は自分のミスで命を落としたのだ。クラークやケイトを同じ目に合わせるつもりはなかった。

狭くて薄暗い部屋にクラークとケイトは手足を拘束され閉じこめられていた。薄汚れたベッドの上に転がされている。
「ケイト君、すまなかったね。まさか、こんな事になるとは。」
クラークが顔だけをケイトの方に向けて声をかけた。
「仕方ありませんわ。以前からここは情勢の難しい国でしたから。今まで何もなかったのが運が良かったんです。」
ケイトもクラークに顔を向け、彼女に出来る限り気丈に言う。
「今度アメリカに戻る時には、君とお嬢さんを家に招こうと思っていたんだがな。」
「博士…?」
「マサルも来てくれればきっと楽しい家になったと思うんだが。叶わぬ夢になってしまったか…。」
そう言ってクラークは寂しげに笑った。
「なぁ、ケイト君。本当にもしも生きて戻れたら一緒に暮らさないか?
 …もっと早く言うべきだった。君を愛している。
 私の方がかなり年をとっているからな、なかなか言う勇気が持てなかったよ。」
クラークの言葉を聞いてケイトがにっこりと微笑む。
「嬉しいですわ。まさか博士からそう言っていただけるなんて。
 一度結婚に失敗して…私も気持ちを打ち明けるのに臆病になっていたんです。」
気持ちが通じ合った二人の間に暗い暗い闇がおりる。身動きのとれない二人はただお互いの気配を感じ合う事しか出来なかった。
しばらくしてふと気がつくと、扉の外が騒がしくなっている。人々が動き回り、怒号や叫び声、果ては銃声までが響き出した。
「ケイト君…。」
クラークは動かせない体を揺らし、何とか少しでもケイトの盾になろうと自分の位置を移動させた。
その時、大きな音と共にこの部屋の扉が破壊された。光が差し込み、何か巨大な人のような影が視界を遮る。
光に慣れたクラークが目を開けると、そこには女性の姿をした大きな人形が立っていた。
その人形の隙間をぬって、子供のような影が部屋に入ってくる。
「クラーク博士、ケイトさん!良かった無事で。」
目の前に現れた人物を見て二人は目を疑った。
「マサル…?」
「ナルミ兄ちゃん、二人を見つけたよ!」
扉の外に向かって勝が叫ぶ。そして勝は二人の戒めを解いた。
「大丈夫?二人とも。どこか怪我してない?」
自由になった二人に勝が心配そうな顔で声をかける。
「マサル、君…記憶が?いや、それよりどうやってここに?」
クラークがぼう然と驚いた顔をして言葉を発した。
「うん。博士やみんなのおかげで自分を取り戻せたんだ。でも詳しい話は後にしようよ。
 ドミニク牧師が教会で待ってるよ。」
そう言って勝はクラークを立たせる。その後ケイトにも手を貸し彼女を立たせた。
勝が腕を動かすと人形が彼の意のままに動く。兵士が襲いかかってきても、彼女の腕の一振りで敵がなぎ払われた。
「マサル、ちゃんと手加減しろよ!」
通路の奥からやって来た黒髪の大男が勝に声をかけた。
「ナルミ兄ちゃんこそ、やりすぎてるんじゃないの!」
勝も自分の前の敵を相手にしながら鳴海に憎まれ口を返す。その時、二人の前に新手の敵が現れた。
彼は他のゲリラ達に指示を与える立場の人間のようだった。銃を手にし、勝に向かってそれを構える。
それを見た勝の目が細められ、冷たく男を見据える。
「あなたがここのリーダー?
 悪いけど、この人たちはもらって行くよ。…僕にとって大事な人だからね。
 砂漠の悪魔がまた現れたと思って諦めて欲しい。
 でも、あなた達の神様だって、本当はこんな事を望んじゃいない筈なんだ…。」
勝の胸にはこの国の神を信じる優しいアイシャの顔が浮かぶ。
言葉を言い終えると共に、彼はオリンピアを操る手を振り上げた。彼女の体が大きく動き、その手が壁に大きな穴を開ける。
オリンピアの動きに慌てる男の隙をつき、鳴海がその体に拳を打ち込む。男はあっさりと意識を失った。
勝が開けた壁の穴の向こうにドロシーの乗る輸送機が到着していた。彼女が大きく手を振っている。
「良かった、ちょうど迎えも来てる。博士、ケイトさん、一緒に帰ろう。」
そう言って勝は二人に笑いかけた。


2007.12.19