砂漠に赤い花
「さあさ、みんな見においで。凸凹兄弟のスペシャルアクロバットだよ!」
明るい日差しの元、少女の口上が響く。
フェンスの前の広場で、鳴海と勝がバランス芸を披露していた。
彼らの周りにはスラム街に住む子供たちが集まっている。
二人がアイシャの口上の合わせてポーズを決めるたびに子供たちの歓声が響く。
いつしかその輪の周りの大人たちも集まり、その場所に人々の楽しそうな笑顔が溢れていた。
その中には勝達と一緒に出掛けてきたドミニクの姿もあった。
「アイシャの家を直しに来たのに、ナルミさんにサーカスやろうって言われた時は驚いたけど。
自分の体がこんなに動く事の方がもっと吃驚だよ!」
即席興行が終わって、勝と鳴海は並んで汗を拭いていた。勝は本当に楽しそうな笑顔を浮かべている。
「俺はこの場所に決めたお前に驚いたけどな。」
そこは勝が男達に暴行を受けた場所だった。
「…嫌な事から逃げてばかりじゃダメだと思って。
もう、この場所での事も思いだしたし、ここに来てから見る夢の事も覚えてる。
でも目を瞑ってちゃ前に進めないから。
それにこんな楽しい事で記憶が上書きできればその方がいいし。」
勝は鳴海に笑ってみせる。
「もう大丈夫みたいだな。すっかりいつものマサルだぜ。」
鳴海がニヤリと笑ってみせる。
「そお?」
実感が伴わないような顔をする勝の頭の上に、鳴海がポンと手を置いた。
「夕べ、ナルミさんがドミニク牧師に言ってた事…。」
ふと勝が顔を伏せ、鳴海に話しかける。
「あ?」
「…僕の中の泣いている子供たちも…笑える日が来るのかな…。」
顔をあげ、鳴海の顔を見つめる勝は真剣だった。
その見るものを怯ませそうな程必死な表情を、鳴海は正面から見据え大きく笑いかけた。
「もう笑ってるさ。…さっきの子供たちの笑顔、見ただろう?
それに俺達には出来る事がある。みんなを笑わせる事や、守る事。普通の人よりその為に少し余分に働く事が出来る。
…それがお前の望んだ事だったろ?」
「僕が…。」
「あぁそうさ。マサル、お前にはそれが出来るんだ。」
「…ありがとう。ナルミさん。」
太陽のように笑う鳴海に勝も大きな笑顔を向ける。その目にはうっすらと涙が滲んでいた。
並んで立つ二人の元にドロシーが近づいて来た。そして携帯電話を手に鳴海に向かって手招きをする。
何か外から連絡が入ったらしい。鳴海は勝を置いてドロシーの方に歩いていった。
一人になった勝の所にアイシャがやって来た。
「何かマサル、色んな事が出来るんだねぇ。スゴイじゃない。」
アイシャが目を輝かせて言う。
「そうかな。でもアイシャも手伝ってくれて、すごく助かったよ。」
褒められて照れながら勝は頭を掻いた。
「本当にアリガトね、マサル。みんなこんなに楽しい思いをしたのは初めてだよ。」
「そんな大げさな。」
喜色満面のアイシャに勝は少し苦笑いをしながら答える。
「ウソじゃないよ。
…そりゃ貧乏だからって嫌な事ばっかりじゃないけど。
こんなにたくさんの人が一緒に笑ってる所なんて、私見た事なかったもの。」
アイシャが勝の両手を取りにっこりと笑う。彼女の笑顔は皆の気持を代弁していた。
「アイシャ、僕の方こそみんなから笑顔をもらえて、お礼を言わなきゃいけないよ。
おかげで昔の事、ちょっと思いだせたんだ。」
「記憶が戻ったの!?」
少女の顔が喜びに明るくなる。
「うん、少し。みんなの笑顔を見て思いだした人達がいるんだ。多分、僕がいたサーカスの人達だと思うんだけど。
みんなすっごく素敵な笑顔で…僕はその人達が大好きなんだ。」
そう言って勝は空を見上げた。
「中でも僕は、黒髪の女の子の笑顔が一番好きで。…きっと大切な人なんじゃないかと思うんだ。名前もまだ分からないのに。
無くしちゃいけない筈なのに…どうして思いだせないんだろう。」
寂しげな顔をして目を伏せた勝にアイシャが言う。
「大切にし過ぎたんじゃない?きっと大事に大事に胸の奥にしまい込みすぎたんだよ。
無くさないように。自分の中に。」
「アイシャ…ありがとう。」
自分をいたわってくれるアイシャに記憶の中の少女が被る。
その少女は自分の傍でずっと微笑んでいてくれた…。
いつの間にかそれが当たり前になって、彼女の笑顔が自分にとってどれだけ大切か気付かなくなっていた。
無くしてしまった今、それに気付くなんて。
「なんか今日のマサル、昨日までと雰囲気違うね。少し大人っぽく見えるよ。
マサルって…いくつなの?」
アイシャの目の前で勝の表情が少しづつ変化していく。
「いくつだろう?ナルミさんに聞けば分かると思うけど。アイシャは十二歳だっけ。
何となくアイシャよりは年上な気はするよ。」
そう言って笑う勝の顔は十六歳の少年の物になっていた。
2007.12.14