〈15話〉

砂漠に赤い花

「やはり、街を彷徨っていた間の事もマサルの脳ミソは覚えてるって事か。」
ドミニクの話を聞いて鳴海とドロシーは、勝が男達に暴行を受けた記憶のフラッシュバックによって、また自分を失った事を知った。
「そのようですね。今度はその記憶が引き金になってフェイスレスの記憶に飲み込まれたのでしょう。」
「マサルは…元に戻るのか?」
二人に一部始終を話し終えたドミニクが小さく問いを口にする。アイシャはすでに家に帰っていた。
「わからねぇが…俺はマサルを信じてるよ。」
鳴海は眠る勝の枕元に立ち、彼の顔をのぞき込んだ。
「お前はスゴイ奴だもんな。なぁ?『えんとつそうじ』…」


勝を抱きかかえていた女性がふと顔をあげる。彼女は何かを確かめるかのように周囲を見回した。
勝の目が開き、訝しげに彼女を見る。その勝の目の前で女性の髪が銀色に変化した。
銀色の女は思い詰めたような顔で勝を見る。
〈オボッチャマ、オキテクダサイ…〉
女の唇が動き、勝は彼女が何を言っているか読み取った。
「…どうして?僕はもう悲しい思いはしたくないんだ…。」
女の言うことに勝は苦しげに顔を歪めた。
〈オボッチャマヲマッテイルヒトガイルノデスヨ〉


「帰ってこい、マサル。そのままでいいなんて思ってないだろう?
 あんな男達の事なんか、お前が歩いて来た人生と比べたってたいしたこっちゃねぇ。もっと辛い事も乗り越えて来たじゃねぇか。
 あんな奴らだけじゃなくて、お前はもっと優しい人達をたくさん知ってるだろう。…一人で行くな。」
ベッドに眠る勝の髪を鳴海は左手で優しく撫でる。
その腕は勝から阿紫花に託され、再び彼の元に戻った物。機械仕掛けの彼の手足の中で唯一の生身の物。鳴海と勝の絆の一つだ。
鳴海が見守る中、勝のまぶたが開く。
「…マサル、気がついたのか?」
自分に声がかけられても勝は何も反応を返さない。街を彷徨っていた時の状態に戻ってしまったかのようだった。
「クラークが見つけた時はこうだったんだな…。」
ドミニクがつぶやく。
「ドミニク牧師、一つ、試してみたい事があるんだ。表が少々騒がしくなるが勘弁してくれ。こいつの体に直接聞いてみる。
 人形繰りやサーカス芸じゃあこいつにはかなわねぇ、でもオレが教えてやった事なら…応えてくれるかもしれねぇからな。
 少し、手合わせしてみるよ。」
そう言って勝に向き直り声をかけた。
「お前の大切な人達がいる世界に帰ってこい…。その体に刻んだ記憶を取り戻すんだ。」


勝がふと顔を上げると銀色の女の後ろに黒い髪の少女が立っていた。少女は優しい瞳で勝を見る。
今、彼女の声は勝の中に響いていた。
〈あなたのその手は、世界中で流される涙のほんの一滴でも受け止められるの。
 あなたには流れる涙を止めてあげられる人々がいるのだから…
 タタカッテ、マサルサン。アナタノカナシミヲイヤスタメニ。〉
少女はそう言って勝に笑いかける。
ズン…。
その時、勝の腹部に鈍い衝撃が走った。同時に彼の周辺が突然明るくなる。
「痛ぅ…。」
痛みに耐えかねて勝は体をまげて地面にしゃがみ込む。
「ナルミ様、マサル様が意識を取り戻したようです。」
腹を押さえてうずくまる勝に駆け寄って様子をみたドロシーが言った。
「…何?すっごくお腹が痛いんだけど。」
目を覚ました勝が顔を上げて言う。
「悪ィ。加減したんだが、お前が避け切れなくてキレイに拳が入っちまった。」
勝の目の前には鳴海が苦笑いをして立っていた。
「さっきまで君は、意識もないのにナルミと武術の組み手をしていたんだよ。…いや、すごい物だね。」
ドミニクが感心したように言う。
「…僕が?」
勝が不思議そうな声を出した。まだ腹部が痛いようで、顔を軽くしかめている。
「お前に以前、中国拳法を教えた事があるんだよ。一年間くらいな。まぁ基本的な事しか出来なかったが…さすがだな。
 頭が忘れちまっても体の方はちゃんと覚えてたぞ。」
鳴海は勝に近づいてポンポンと肩を叩く。
「オレも以前、白銀に意識を奪われた事があってな。オレの師父はこの体に崩拳をお見舞してくれたよ。
 子供の頃、自分自身が体に受けた痛みと同じ痛みを感じてオレはこの世に戻ってこれた。
 …さすがにお前に崩拳を打つわけにゃいかなかったけどな。」
「僕は兄さんに…学問じゃなくて武術を習ったの?」
勝は眉をしかめて鳴海を見上げた。
「記憶の方はまだ戻らないか。仕方ねぇな。今から説明してやるよ、お前の過去を。
 それでな、言っとくがオレは白銀じゃねぇんだ。加藤鳴海って言うんだよ。」
そう言って鳴海は微笑んだ。
「カトウナルミ…?」
口の中で確かめるようにゆっくりと勝が発音する。
「…思いだせねぇか?」
鳴海はこの場所で勝と再会してから習い性になった苦笑いを浮かべた。
「何かおかしいと思ったんだ。思い出した白銀兄さんのいる風景が、今じゃない時代のような気がして。」
勝はそう言って軽くため息をついた。
「あぁ…それはお前の記憶じゃないからな。」
「え…?」
自分を見つめる勝に鳴海は優しく答えてやる。
「それは百年以上も昔に生きた男の過去だ。お前の中には二人の男の人生が眠っている。
 今、片方の男の記憶がお前の中で甦っているんだ。でもそんなものは才賀勝の人生じゃねぇ。」
「サイガマサル、それが僕の名前?」
「今からお前の生きてきた道を話してやる。お前がオレやしろがねのためにしてくれたことも…な。
 お前には帰りを待っている人が大勢いるんだ。」
そして四人は教会の中に戻り、鳴海は礼拝堂の中で話し始めた。


2007.12.12