〈13話〉

砂漠に赤い花

「いや、本当に助かるよ、マサル。君のおかげで教会の中が見違えるようだ。」
「役に立って僕も嬉しいです。ドミニク牧師には本当に迷惑をかけてるし。」
勝の手でガタの来ていた教会の建物がきれいに修理されていた。
記憶が無いとは言え、体に染みついたマリオネットの整備の腕は問題なく発揮されたようだ。
ドミニクは勤勉ではあったが不器用で、建物の手入れも不得意だった。
人に頼むにも金がなく、修繕の出来ない箇所が多々あったのだった。
「ここが済んだら、アイシャの家の様子を見に行ってもいいですか?この前は約束したのに行けなかったから。」
「もちろんだよ。今日は私も行こう。彼女の家の近くに用事があるからね。」
勝の願いをドミニクは微笑んで了承する。
この前の約束を果たすべく、その日の午後、勝はドミニクとアイシャの二人と連れ立って教会を出た。
「不便ね。三人ともが分かる言葉が無いなんて。」
男二人に挟まれて歩くアイシャが言う。
「仕方ないよ。でも意志の疎通が出来るだけ良いじゃない。」
三人は同じ内容の話をそれぞれが二回ずつ話しながら歩いていた。
とはいえドミニクが片言でも仏語が出来たので、主に仏語を使っていたのであるが。
「アイシャって教会に来てるけど、プロテスタントなの?」
勝がアイシャに尋ねる。まだ二日しか教会にいなかったが、信者らしい人間は外国人しか訪れなかった。
「ううん。だって私たちの神様を信じてるもの。」
あっけらかんとアイシャが言う。それを聞いてドミニクが苦笑いして答えた。
「この国の人たちは自分たちの宗教を大切にしていてね。なかなか私たちの布教に耳を貸してくれないんだよ。
 それでも排他的って訳でもなく、住まわせてくれるし、こうしてアイシャのように生活を助けてくれる人たちもいるからね。
 もう半分ボランティアの様なものさ。子供たちに勉強を教えたり、若者に街での仕事を世話したり。」
「でもドミニク牧師が来てくれて良かったってお母さんは言ってたよ。前の人は怒りっぽくて困ったって。」
ニコニコと笑いながらアイシャが言う。
「布教に真面目な牧師ほど、この国にいるのはつらいのさ。私の前任者は半分ノイローゼになっていたらしいからな。
 私くらい大ざっぱな方が本部にとっても都合がいいらしい。
 役に立たんといってすぐ呼び戻されると思ったが、この国に来てもう五年になるよ。」
苦笑いを浮かべたままドミニクは勝に説明した。
「良かった。じゃあ、僕もドミニク牧師がこの国にいてくれたおかげで助かったんですね。
 前任の人じゃ僕を預かってくれたかどうかわからないし。」
勝はニコッと笑ってドミニクに言う。
「ふむ…。マサルは前向きだね。それなら私がこの国に来た事に意味があるな。それはいい。」
厳つい顔に微笑みを浮かべてドミニクが言う。
勝に言われた事で、彼はこの国に来て見失っていた自分を少し取り戻したかのようだった。
四年前の出来事の後、この国はパニックに陥り諸国に比べ回復が遅れた。貧困にあえぐ人々を見捨てられず、彼はこの国に留まる事を選んだ。
この国に一人でいる事は出世コースから外れたも同然だった。
もともとそのような欲の無い男ではあったが、国の機能が回復した後の単調な生活の中で、自分の人生の行き先をも見失っていたのだった。
異る宗教を敬う国で静かに変わらぬ生活を続けるうちに、自らの信仰心にも陰りがさしていた。 それがこの二日ばかり、この記憶を失った不思議な少年への好奇心や彼の明るい性格に触れる事で、気持ちが上向きになり生活に張りが出ていた。
(私の人生も捨てたもんじゃないのかもな…)
ドミニクはふとそんな事を思っていた。
話ながら歩くうちに、彼らはスラム街の一角にさしかかった。
少し開けた空間に、両方の行き来を遮る程ではないがスラム街との境を示すフェンスが立っている。
それまで穏やかに話していた勝の様子がおかしい。小刻みに震え汗をかいているようだ。
「マサル、大丈夫?具合が悪いの?」
「う…ん、分からないけど急に…。」
問い掛けるアイシャに向かって小さく勝が答える。
「顔が真っ青だぞ。今の君は少し普通と違うんだから。具合が悪くなったらすぐ言わないと。」
足元も覚束なくなった勝をドミニクが支える。
「すいません…、この場所に来たら突然おかしくなって。すごく怖いんです。…すごく。」
ドミニクに体を支えられながら勝が呟いた。
「ふむ…君は街中を彷徨っていたらしいからな。ここで何かひどい目にあったのかもしれん。」
「マサル…大丈夫?」
二人の見守る前で勝の顔色はどんどん悪くなり、体の震えはどんどんひどくなって行く。
今、勝の頭の中で、数日前に彼の身に起きた出来事が甦っていた。
砂漠に放り出される前、彼らの前に立つフェンスの向こうで勝は数人の男達に暴行を受けた。
その同じ場所に来る事で勝の中でその時の情景がフラッシュバックしていたのだった。
「…やめ…て、いやだ…。」
「どうしたマサル。しっかりしろ。」
突然、体を支えるドミニクの腕の中で勝が叫び、もがき出した。瞳があらぬ方を向き、体の震えが大きくなる。
「いやだっ、僕に触るなあ。」
ドミニクの体を突き飛ばし、どこへともなく逃れようとする。
そして建物の壁に背中を預け、自分の腕で震える体を抱きしめ、空ろな目で宙を見上げた。
駆け寄るアイシャの腕をドミニクが押さえる。
「だめだ、アイシャ。君の力ではマサルを押さえられない。」
ドミニクは勝に近づき肩をつかんで揺さぶる。
「しっかりしろ、マサル。どうした?ここには君を傷つける者など一人もいないよ。」
肩を押さえられた勝はドミニクの方に顔を向けるが、その視線の焦点はドミニクの遙か彼方に合わされていた。
「どうして…そんな事をするの?なんで無理矢理人の嫌がる事をするの?
 …もう殺さないで。僕はもう、人が死ぬのは見たくない…。」
ドミニクに震える体を押さえられながら、勝は小さな声で呟き続ける。
「…マサル…君は一体何を見て来たんだい?」
勝に届くとも思わずドミニクの口から言葉がこぼれた。それに答えるかのように勝の言葉が続く。
「子供が…子供が…死ぬんだ。たくさんの子供が。男が子供を殺している。その男は僕だ。僕が…。」
「違うよ、マサル。それは君じゃないんだ。聞くんだマサル、君は、子供を、殺してなんかいない。」
ドミニクは鳴海に聞いた、勝の中にある他人の記憶の事を思い出していた。
「でもそれば僕のせいだ…。『マサル』のために男は子供を殺したんだ。僕の…せいだ。僕のせいなんだ…。」
その呟きを残し、勝は意識を失った。ドミニクは彼を抱き抱える。アイシャは心配そうにのぞき込んでいた。
「アイシャ、マサルを連れて教会に戻ろう。…そしてすぐナルミに連絡しないと。」
ドミニクとアイシャは勝を連れて教会に戻った。


2007.12.2