涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない
「お前、リーゼに何言ったっ!」
プレハブを離れ、大きめの道具の整備をする広いスペースに出た途端、平馬は勝に殴りかかった。
勝の頬に平馬の拳が当たる。虚を突かれ勝は勢いよく吹っ飛んだ。
「何言ってあいつをあんなに泣かせたんだよっ。
お前分かってんのか?
あのモンサンミッシェルで、リーゼはお前を助ける為に命をかけたんだぞ。」
唇の端から血を垂らし勝は立ち上がる。
「へーま…。」
「リーゼは猛獣使いだけど、俺やお前みたいにしろがねさんの血を飲んでない、
まして戦う訓練だってしてないただの子供(ガキ)だったんだ。
なのにあいつはしろがねさんとお前のために人形に立ち向かった。そうだ…お前のために。
俺たちが生き残れたのは運が良かっただけだ。
アルレッキーノが助けてくれなきゃ、お前は俺たちの死体を持って帰ったかもしれねぇ。
村でやられてたから、敵がそんだけ強い事は分かってた。行ったら生きて戻れないかもしれねぇことも。
だけど…リーゼは笑ったんだよ。
お前を助けることが出来て嬉しいってさ。
その顔をお前に見せてやりたかったぜ。
お前に惚れてるのはそんな女なんだ。…そいつをお前、泣かせたんだぞ!」
平馬は勝に向かって叫ぶ。
「僕には…リーゼさんを好きになる資格なんてないんだ…。」
口の端の血をぬぐい勝がつぶやく。
「何言ってやがる。」
平馬はまた拳を握りしめる。
「今日、フウさんに言われた…。
へーまと違って僕はアクアウィタエの影響から抜け出せていないって。
いつ『しろがね』になってもおかしくないんだってさ。…僕は人間じゃないんだ。
そんな僕がリーゼを好きになんて、なっていい訳ないだろッ。」
顔を赤くして悔しげに勝は目を伏せる。
そんな勝のさっきとは反対の頬を平馬が殴る。
「ボケッ、女を好きになるのに資格なんてあるかっ。
アクアウィタエなんて関係ねぇ、要はお前の気持ちだろ!?」
さらに殴りかかる平馬の拳をとらえ、勝も平馬に殴りかかる。
「へーまなんかに僕の気持ちが分かるもんか!」
「分かってたまるかよっ!」
腹に勝の拳を受けながら、平馬もさらに拳を繰り出した。しかしそれは難なく避けられる。
「…ダメなんだよぉ、へーまぁ…。僕は…僕は…ニンゲンじゃ…ない…。」
殴りかかってくる平馬の体をかわし、勝はその場に両膝をついた。そして両手で顔を覆う。
「それに、いつだって僕の中にあいつがいるんだ。
あの日からずっと、あいつの影が怖いんだ。
時間がたつにつれて僕の中であいつが大きくなる気がする。
…子供の時みたいに単純に切り捨てられない…。」
うつろな目で勝は平馬を見やる。
「…僕が僕のままでいられる自信が無いんだ。今の僕の気持ちが本物なのかどうかも。」
顔を伏せて話す勝の腹を平馬の右足が思いきり蹴り上げた。
「バカヤロウッ!今、俺に腹を蹴られたのは誰だ!?」
そうして勝に乗り掛かり、顔を右、左と殴り続ける。
「『才賀勝』じゃねぇのかよ!
俺の拳だって痛えんだ、お前だって痛えんだろ?
その痛みはお前のモンじゃねぇのかよ?何弱気になってんだ。
人間じゃ無いだって?そんなに悩んでて…お前の何が人間じゃ無いッてんだ。」
殴り続ける平馬の拳は赤く腫れ上っている。勝の顔も同じだった。
「お前の中の『あのやろう』を消せねぇんだったら、なんとか折合いをつけろ。
お前はそれを、もう背負っちまってるんだ。
…お前が自分を見失いそうになったら、俺がまた、殴ってやる。
お前は才賀勝だ。それ以外の何だっていうんだ?
黒髪のイカス猛獣使いに惚れられてる男じゃねぇか。」
勝の腫れ上った顔の上にポタポタと水滴が落ちる。目を開けた勝の目に映る平馬の顔は水浸しだった。
「へーま…。僕の前では二度と泣かないんじゃなかったっけ?」
「俺は泣いてねぇ。…雨が降ったんだろ。」
「すごく局地的な雨だね…。
ごめん、へーま。でもありがとう…。いてッ。ちぇっ、こんなに痛いの久しぶりだ。」
「よく味わっとけ。どうせすぐ直っちまうんだ。」
「うん…。」
勝が返事をするそばからパキパキと音がし出す。
「何だよ、もう直り始めてんのかよ。余韻も何もねぇなぁ。くそ、こっちはまだ直んねぇのによ。」
「へーまの手だって、すぐ直るだろ?」
「俺はもう、かなり時間がかかるようになっちまったからな。でも朝までには直るさ。」
手の甲を自分に向け、少しため息をついて平馬は言った。
「へーま、僕、リーゼさんにひどい事言っちゃった。ちゃんと…謝るよ。」
「マサル…。」
「多分、僕、リーゼさんの事を好きになり始めてるんだと思う。
…でも、今のままじゃ僕はリーゼさんに相応しい男じゃないんだ。
へーまの言うように自分の中のあいつを何とかしなきゃ。今までみたいに放ってはおけないから。」
「やっと、らしくなって来たな。アクアウィタエの事もきっと時間がかかってるだけさ。
だけどさ…もし、お前が『しろがね』になっちまっても、俺たちの間には何の関係もねぇだろ?
みんなも、リーゼだってきっと同じさ。」
そう言って平馬はニヤッと笑った。
「うん…。ねぇへーま、お腹空かない?」
ぐぅうーっと平馬は腹の音で答える。
「…あぁ。でも飯いらねぇって言っちまったしなぁ。」
「ラーメン食べに行こうよ。今日はおごるよ。」
「それでチャラって訳にはいかねーぞ。」
平馬は腫れた手を上げる。
「もちろんさ。…この借りはしばらく返せない。
でも、またがんばるよ。僕だってへーまに負けたくないし。」
二人は肩を組んでサーカスを出て町へ向かった。
「莫迦ねぇ、二人とも。これ、いらなくなっちゃったな。」
少し離れた所に、心配で様子を見に来た涼子が立っていた。
手にはおにぎりの入ったバスケットを持って。
「明日の朝ご飯でいいよね。…早く戻ってリーゼに教えてあげなきゃ。もう心配ないって。」
笑顔で涼子はリーゼの元に戻る。その足取りは軽やかだった。
2007.8.25
ある意味、壮絶に恥ずかしがってる自分がいる…(汗)
この展開で勝が平馬の気持ちに気付いてないってのはアリ??
…勝さんはすごくニブイってことにしときます…σ(^_^;)
そしてよく腹の虫が鳴るなぁ(笑)