〈10話〉

涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない

「リーゼさん、今から動物園に行こう。」
それからしばらくたった日の夜、テント内の片づけをしていたリーゼに勝が声をかけた。
あの後、サーカスに帰った勝がリーゼに謝ったものの、二人の間はまだギクシャクとしている。
「えぇ?もうこんな時間なのに…」
それは夜の10時過ぎ。普通の動物園はとっくに閉まっている時間である。
「二人でこっそりと…ね?」
勝はいたずらっ子のような顔をしてにっこりと笑った。

「マ・マサルさん!そんな事しちゃマズイデスヨ〜。」
手を引っ張られおそるおそる付いて来たリーゼの前で、勝はいきなり動物園の鍵を分解し出した。
「平気平気。僕の手にかかればこんな鍵なんか。ほら、開いた。」
鮮やかな手つきで鍵を開ける。後で元に戻すつもりなので、外した部品をポケットに入れた。
「そういう事ではナクテ〜。」
明らかに犯罪の様相を呈してきた状況にリーゼはうろたえた。
「ここの動物園、セキュリティが甘いんだよね。カメラもあそことここしか無いし。
 そこ通れば大丈夫だから。」
そんなリーゼを物ともせず、勝はニコニコと彼女を園内に導いた。
「マサルさ〜ん。」
リーゼは半分涙目になって付いて行く。
「もし見つかっても僕が怒られるから心配しないでいいよ。
 なんだかんだ忙しくて、昼間は動物園なんてなかなか来れないじゃない?
 一度来たかったんだ。リーゼさんと。」
楽しそうに開けっ広げな笑顔を見せる勝にあきれつつも、
リーゼはワクワクする気持ちを抑えきれなかった。
「昔、みんなで来ましたネ。」
夜の動物園に足を踏み入れたリーゼが言う。
「うん。最初はリーゼさんと二人で行くつもりだったのに、
 気付いたら兄ちゃんもしろがねもへーまもリョーコもいて。
 ホント、楽しかったなぁ。」
そう言って勝は笑った。
「はい、本当に。あの頃はあんな風に皆で楽しく笑える日が来るなんて、
 思ってもいなかったからすごく嬉しかったデス。」
リーゼはその時の事を懐かしく思い出す。
「そうだね。僕も嬉しかった。特にナルミ兄ちゃんとしろがねが笑いあっていたのが。
 …たまらなく嬉しかったなぁ。」
歩きながら勝は言う。その瞳は遠い所を見ていた。

「あの時はあんな事言って…ゴメン。君を傷つけたかった訳じゃないんだ。」
勝は立ち止まり、リーゼを見た。
「マサルさん…。」
「リーゼさんと会ってすぐの頃、僕は…
 しろがねが笑顔を取り戻すにはどうしたらいいか、そればかり考えてた。
 考えて考えて、……結局、兄ちゃんの代わりにしろがねを守ろうと思ったんだ。
 しろがねのために『カトウナルミ』になろうとした。
 それが間違っていたとは思わないけど、そうやってしろがねを見続けて、
 いつしか僕は彼女を好きになってた。
 フェイスレスは言ったよ。
『何故愛した女を他の男に譲った』ってね。
『兄ちゃんが先にしろがねを好きになった。』
『しろがねは兄ちゃんが好きだ』僕はそう答えたけど…
 本当は兄ちゃんに負けるのが怖かったんだ。
 最初から僕がナルミ兄ちゃんにかなう訳が無かったんだから。」
そこまで言って勝は息を吐いた。その顔はいつも以上に大人びていた。
リーゼは思わず叫ぶ。
「そうなんデスカ?マサルさんがしろがねさんを諦めたのは、
 ナルミさんにかなわないと思ったからではないデショウ?
 マサルさんはナルミさんが大好きだったじゃないデスカ。
 お兄さんを幸せにしてあげたかったのデショウ?
 大好きなしろがねさんとナルミさんにステキな笑顔をあげたかったのデショウ?」
「リーゼさん…」
リーゼの剣幕に驚きながら勝は彼女を見た。
「私はマサルさんがしろがねさんを愛している事を知ってマシタ。」
勝の方を向き、リーゼは思い詰めた声で言う。
「え…?」
リーゼの言葉に勝は戸惑った。
「私がどれだけマサルさんを見てきたと思ってるんデスカ。
 黒賀村に行って、帰ってきたマサルさんはとても強く逞しくなっていましタ。
 …その理由が私に分からないと思いマシタカ。」
リーゼは自分の思いをたたきつけるかのように強い声で話す。
それは勝にとって、初めてみるリーゼの姿だった。
「ゴメン…。」
そう言って彼は目を伏せた。
「責めている訳では無いのデス。私がマサルさんを好きなのは、私の勝手な思い。
 でも、もしそれがマサルさんの重荷になるのなら、それは私の望む所ではありマセン。」
リーゼは声の調子を落とし、無理に微笑んでこう言った。
「重荷なんてそんな事ないけど、今の僕では君の気持ちに応えられないんだ。…ごめんよ。」
勝もリーゼに向き直り、真剣な顔で告げた。
「ううん、謝らないでマサルさん…。
 そうやってはっきり言ってくれただけでも私は…。」
リーゼの目からポロポロと涙が落ちた。
勝は思わずリーゼを抱きしめる。
「ごめん、リーゼさん。」
「…マサルさん、こうやって優しいのがいけないんデスヨ。」
リーゼの涙は止まらない。
「ゴメンよ…。」
「謝らないで…。」
沈黙が二人を包み込んだ。
…しばらくしてリーゼを抱きしめたまま勝が言う。
「リーゼさん。僕、来年卒業したら、ちょっと頭を冷やしに世界を見に行ってくる。
 もっとサーカスの修業をして来るよ。」
「え?」
突然の事にリーゼは驚く。
「あれから3年経って、しろがねへの気持ちが無くなった訳じゃないけど、僕だって変わって来てる。
 以前しろがねが言ってた。『人は変わって行ける。』って。
 ……僕も、もっと変わりたいんだ。」
「マサルさん…。」
勝はリーゼの目を見ながら言う。
「待っててくれとは言わない。リーゼさんが思う以上に時間がかかるかもしれないし。
 その間、リーゼさんだって自由に生きなきゃいけない。」
その真剣な目はビーストと対決したあの日、リーゼを見つめた勝の目と同じだった。
「マサルさん…。
 そうですね。長い時間が過ぎれば私も変わってしまうかもしれない…。
 でも、もし私が変わらずあなたを好きだったとしても、私が自由に生きていない訳ではないんデスヨ。」
リーゼは涙を溜めた目で微笑む。
「私があなたを好きなままでいられたら、それが私の選んだ道なんデスモノ。」
あふれた涙をリーゼがぬぐったその時、彼女の唇に勝の唇が重なった。
リーゼにとって、永遠とも思える一瞬が過ぎた。
「リーゼさん…こんな事して、ゴメン。
 僕は君の事を何とも思ってない訳じゃないんだ。
 ただ、その気持ちがこれからどうなって行くのか、僕にもまだ分からない…。
 でも今、しろがねと同じくらい大事な人だと思ってる。
 こんな言い方じゃ、君を傷つけてしまうのかもしれないけど…。」
勝の顔にはかすかな罪悪感が浮かんでいたが、目は真剣なままだった。
「私…、私…マサルさんを待ってます。もう迷惑だっていい。
 私、あなたの事が好きです。ずっと待ってる…。
 サーカスのリングで動物達と一緒に。私は仲町サーカスの猛獣使いデスモノ。」
リーゼは精いっぱいの笑顔で言う。
「リーゼさん…。」
「いつか、帰ってきてくれますか?」
「…うん。僕は仲町サーカスの芸人だもん。
 芸人は丸盆(リング)に必ず帰ってくるんだよ。」
勝はリーゼにニコッと笑いかけた。

「こらっお前達、こんな所で何しとる!」
突然大声がし、懐中電灯の灯が二人を照らす。
「あ、いけね。」
さすがの勝も少々慌てているらしい。
「ん、お前達、あの時の…サーカスの子じゃないか。」
その人物は意外にもドラムを預かってくれた丸木先生だった。
「丸木先生…、どうしてこんな所に…」
勝は惚けた声を出す。
「それを言いたいのはこっちだ。
 まぁ、わしもとうとう大学を退官してな。
 名誉教授なんかも勧められたが、最後に動物と暮らしたくなってなぁ。
 ここの園長に納まったのよ。
 ……鍵が壊れとったんでおかしいと思って来てみたら。
 お前達、何しにこんな所へ…。」
二人とも顔を真っ赤にして俯いている。
「ははぁ…。まぁいい。坊主、お前壊した鍵は直せるのか?」
「はい、大丈夫です…。」
「じゃ、ちゃんと直しとけ。子供はもう夜遊びすんじゃねぇぞ。
 …それにしても大きくなったなぁ。ははは…。」
そう言って丸木先生(現在は園長だが)はカラカラと笑った。
「す、すいません!」
「アリガトウゴザイマス!」
二人は地面に突っ伏して謝った。

後日、勝は菓子折りを持って、元教授の現園長の所へ謝りに行った。
おせっかいながら格安のフウインダストリー社特製セキュリティ対策プランを持って。


2007.8.28

ここだけは最初に書いてあったんですよ。ここに持ってくるのが長かったー。
何か他のとちょっと雰囲気が違うかもしんない(汗)
そして原作の6年後のあの台詞を言わせてみました。
リーゼさんが能天気に勝を待ってるように見えましたが、そんな訳ないじゃない?
天然のようで意外に気の利くタイプだから、皆の前では元気に振る舞ってるんじゃないのかな…
でもこれくらいの待ってる理由はあげたいよね!

あと空さんのSS「動物園へ行こうよ。」にもリスペクトを捧げます〜
初めて読んだ時から大好きで、幼い勝とリーゼのやりとりが可愛くてでも切なくて泣けちゃいます!
私もどうしても二人の始まりを動物園にしたくなって、なるべく似ないようにがんばって書いてみました。
二人の年齢がちょっと高めなので、雰囲気は変わったと思うのですが…。いかがでしょうか。