〈7話〉

涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない

(僕がリーゼさんの事を好き?)
意識し出すと勝の胸の鼓動はますます大きくなった。
心臓が早鐘を打つとはどういう事か、身をもって今の彼は体験している。
(…しろがねの事、忘れてなんかいないのに…どうしてリーゼさんの事が気になるんだろう…)
勝の心は同じ事を考えループし出す。考えても考えても答の出ない問い。
(……ボクッテナンテイヤラシインダロウ。ドウジニフタリノヒトヲスキニナルナンテ……)
ふと鳴海の顔が心に浮かぶ。
(やっぱりかなわないや。僕は一人の女の人を愛し続ける事も出来ない…。
 しろがねをかけて兄ちゃんと戦う勇気も僕には無かった…。)
勝の脳裏をぞろりと暗い影が蠢く。
長ずるにつれて、鳴海としろがねの事を思う時『嫉妬』の炎が身を焦がすようになった。
それを自覚した時、勝は自分の中に黒い塊が眠っている事に気が付いた。
(あの時、フウさんの言うことを聞いておけば良かったのかもしれないな…。)
アメリカのフウの元から日本に戻る時、勝は一つ提案をされていたのだ。

『フェイスレスの記憶を封印してあげようか』と。

その時の自分は必要性を感じなかったのと、その技術自体に不信感があった事でフウの申し出を断ったのだ。
その代わりしろがねのように、自身の記憶をすべてフウに提供している。
フウの純粋な知識探究の為という側面もあったが、アクアウィタエや記憶のダウンロードの事など、
勝の背負った様々な事柄を解明するヒントを得たいと言う理由もあった。
(無邪気なのも考えものだな、子供の頃の自分を恨むよ。
 でもフウさんも事故を起こす可能性が大きい事を否定しなかったし。
 自分の力であいつを押さえ込むっていう選択は間違ってない筈だ…。)
正二やフェイスレスの記憶を移植されているとはいえ、実際それらを全て勝が自覚する事は不可能だった。
技能記憶に関してはほとんど自在に操る事が出来たが、エピソード記憶に関しては再生する為のトリガーが必要だった。
現在勝が自覚している記憶は、正二やフェイスレスが自ら誘導を行った物である。
しろがねたちにしても白銀の記憶を全て諳んじている訳ではない。そのほとんどが無意識下に押し込まれている。
必要な時に必要なだけの記憶が甦る事で、記憶保持者達は発狂を免れていたのである。
フェイスレスによる記憶のダウンロードでも、勝の脳の崩壊を防ぐ為、
その記憶は人格を移すのに必要な最低限が甦るように調整されていたようだった。
ただ、しろがねたちの記憶と違い、時間をかけてでもその記憶は全て解放されていく…。
今はアクアウィタエと勝の精神力で、フェイスレスの過去が彼を飲み込もうとする事を防いでいた。
いつかはアクアウィタエの効果が薄れ、自身の力だけで全てを押さえ込まなければならない日がやってくる。
その事を思うたび、彼は戦慄を覚える。実際、子供の頃に比べ心のガードは弱くなっていた。
思春期を迎え、それなりに迷いや悩みが生じるようになると、ぞろりと自分の物ではない記憶が顔を出す事が増えてきていたのだ。

いつしか勝の思考はリーゼやしろがねたちを離れ、自分の中に眠る黒い塊についてに流れて行く。
それは勝の気分を一気に暗黒に引きずり込む。
(僕の中には世界を滅ぼしかけた男の残骸が眠っている。…僕にはそれを閉じこめておく責任があるのに。
 人間のままでいられるなら、アクアウィタエの力は失われる…。
 しろがねになればアクアウィタエの力がなくなる事は無い。でもその代わり、与えられる時間はあまりにも長い。
 その長い時間、僕はあいつを閉じこめておけるだろうか…。
 その時には、もうフウさんもいない。今頼んで記憶を封じ込めてもらおうか…。
 …ダメだ。それじゃ何かあって記憶の封印が解けた時、僕にあいつを押さえ込む力が無くなってる。
 僕自身で押さえてないと、いざと言う時には…。押さえ込めなきゃ僕は…死ぬしかない…。)

「マサルさん、こんな所にいたんでスカ?みんなで探してたんデスヨ。」
突然、勝の思考を遮りリーゼの声が頭上から降ってきた。テントの隅で座り込んでいた彼をのぞき込んでいる。
「リ・リーゼさん!?」
ここに座り込んで考え事に耽った最初の理由を思い出し、勝の顔は沸騰する。
「どうしたんデスカ?顔が赤いですよ。もしかして風邪とか…!大変、はやくお医者…」
普段と違う勝の様子にリーゼは早合点してうろたえた。
「リーゼさん、僕は風邪なんかひかないよ。普通の病気にはかからないんだから。………!」
(そうだ、ただでさえ僕は人と違うのに、その上人間じゃ無くなるかもしれないんだ……。)
慌てるリーゼをなだめようとした言葉から、今日フウに宣告された事を思い出し、勝はひとつの答を導き出す。
(…いくら僕がリーゼさんを好きになっても、僕は彼女に相応しい男じゃない…。)
「マサルさん?本当に具合、悪くないんですか?」
突然黙りこくる勝を見て、リーゼが心配そうに言う。
「…う、うん。大丈夫、ちょっと考え事してただけだから。」
それ以上リーゼを心配させないように、勝は声を明るくして言った。
「そうですか?」
まだ心配そうに彼女は勝を見る。
「ゴメンゴメン、何でもないから。それよりリーゼさん、プレゼントは何を買ってきてくれたの?」
「見てのお楽しみデスヨ。さっ早く皆の所に行きまショウ。リョーコさんもお家からさっき戻ってきたんですよ。」
そう言ってリーゼは先に立って歩き出す。その後ろを歩く勝の心臓はまた早鐘を打ち出した。

彼はまだ気付いていない。
リーゼが彼に声をかけた時、自分の中の黒い塊がその姿を小さくしていった事を。


2007.8.21

うわ、思いの外暗い感じになっちゃった。
やっぱり勝の中の人々の記憶があんまり鮮明だと、いくら小学生でもあんなに天真爛漫に振る舞えないのでは…
という理由によりこんな感じで、記憶の開放が制御されているという事にしました。うう…、く・苦しい。
だいたいありゃダウンロードじゃなくてインストールだと思うんだけど、どうよ?
(そんな事はどうでもいいッすね…。)
しかし私の挿し絵の選択もどうかと(汗)。