〈後編〉

私の小さな妹へ

その話は長くて、難しくて、そして本当に不思議でした。
最初からして驚いたのですが、今しゃべっているえっちゃんはえっちゃんじゃなくて、フランシーヌという人なのだそうです。そしてそのフランシーヌは普通の一人じゃなくて同じ名前の人形と人間の二人が一つになってしゃべっているのだと言っていました。
でも私には人形と人間が一つになった…と言う時点で理解不能で、ただただ彼女が続ける話を頷きながら聞くしかありませんでした。
話の内容は難しくてほとんどわからなかったけれど、フランシーヌと言う人がえっちゃんが生まれた時にそばにいて、えっちゃんの事をすごく大事に思っていた事だけはよく分かりました。その時に旦那様とえっちゃんのお母さんにとても世話になったとも言っていました。
「アンジェリーナと正二は柔らかい石を狙う人形たちからエレオノールを守るため、私に彼女を託してくれました。それまで敵であった私を信用してくれたのです。
私は戦場となった家からエレオノールを抱いて逃げ出しました。しかし、しばらくは何とか走り続けたものの途中で井戸に落ちてしまったのです。」
そこまで話してから、えっちゃんの中のフランシーヌはしばらく口を閉じました。
「そこはとても深い井戸で、人形達は私とエレオノールを見つける事が出来ませんでした。それを幸いと喜んだのも束の間、大変な事が起こってしまったのです。
エレオノールの身体の中の柔らかい石が井戸の水に溶け出し、中にいた私とエレオノールも一緒に溶けそうになってしまったのです。私は死に物狂いで井戸の壁を打ち、穴を開け、アクアウィタエとなった水を地面に吸い込ませようとしました。」
私は話し続ける彼女の顔から目をそらす事が出来ませんでした。
「エレオノールがこうして生きていると言うことは私の試みが成功したと言うことです。その事は本当に嬉しい…でも別の形では最悪な結果になりました。エレオノールが私の溶けたアクアウィタエを飲み込んで、しろがねになってしまったのです…。」
そう言って彼女は本当に悲しそうな顔をしました。
「髪と目が銀色になり人より5倍も長い寿命を持ってしまった…。エレオノールは人間として生きられなくなってしまったのです。その上、二人のフランシーヌの記憶を飲み込んでしまい、エレオノールが彼女自身として成長出来るかどうかが難しくなっている。
私がエレオノールを助けたのはこんな風になりたかったからではありません。私に笑顔をくれた存在を守りたかっただけなのに。私を信じてくれたアンジェリーナと正二の恩に報いたかった…。なのにこれでは…。」
話ながら涙を流す彼女を、いつの間にか私はぎゅっと抱きしめていました。
「ふうちゃんのせいじゃ無いよ。だってふうちゃんはえっちゃんを守ろうとしたんでしょ?」
私の言葉に彼女が目を丸くしました。
「…ふうちゃん?」
「フランシーヌだからふうちゃん。だってフランシーヌなんて長くて呼びにくいでしょ。私は難しい事は何も分からないけど手伝うよ。ふうちゃんのお手伝いをする。二人でえっちゃんのためにがんばろうよ。」
私は長い長い話を聞いて、彼女がえっちゃんに抱いている気持ちは本物だと感じたのです。だから何とかして彼女の力になってあげたいと思ったのでした。
「ありがとう…オネエチャン。」
彼女が顔をあげていいました。涙に濡れたその顔を見て、私は絶対二人を助けてあげる…と心の底で固く誓ったのでした。

次の日から私とふうちゃんの共同作業が始まりました。
あの時は分からなかったけど、ふうちゃんの意識が外に出てくるのはえっちゃんが眠りについた時だけでした。
昼寝のように眠る時間が短い時は出てきません。えっちゃんが本当に深く眠った時だけふうちゃんと話をする事が出来たのです。
わたしの役目はえっちゃんが起きている時の様子を覚えておいてふうちゃんに伝える事でした。
ふうちゃんは私の話と普通の子どもの様子と比べたり、えっちゃん独特の行動の意味を考えたりして、えっちゃんから出て行く方法を探しています。
報告を聞いて考え事を始めたふうちゃんに、私は少し前から気になっていた事を聞きました。
「ふうちゃんが外にいるのは夜の数時間なのだから、えっちゃんの邪魔にはならないんじゃないの?」
私は、ふうちゃんがいなくなるのを寂しく思うようになっていたのです。
ふうちゃんは、自分がえっちゃんの心の中にいては、自我がちゃんと成長出来ないからダメなのだと言いました。
私は友達が少なく、数日間ふうちゃんと話をするうちに、一緒にいるのがとても楽しくなっていたのです。心のどこかで「ずっとふうちゃんがいてくれればいいのに」と思っていたのでした。

えっちゃんがふうちゃんになって二週間くらい過ぎた頃、私たちは二人で夜空を眺めていました。
「本当に美しい…。」
ふうちゃんは夜空を飽きる事なくずっと眺めていました。
「あの時、エレオノールを抱き上げながら見た星空と同じだわ…。」
そう言ったふうちゃんは、急に表情を曇らせると顔を伏せ、そして瞳を歪めてとても苦しそうな表情で私を見たのです。
「私は…あなたにまだ話していない事があるのです。人形だった私があなたたち人間にした事を。」
「ふうちゃん。私、難しい話は分からないよ。」
「難しくはありません…。でもそれはあまりにむごい話で、あなたに話したら私を憎むようになるかもしれません。」
「……聞きたくない。私、ふうちゃんを嫌いになりたくないもん。」
「しかし…その記憶は私とともにエレオノールの中に存在します。やっと自我が芽生え始めたばかりのエレオノールには、それと自分の記憶の区別が出来ません。エレオノールは自分がやってもいない事の記憶に怯え泣く事になるでしょう…。」
「ふうちゃんはえっちゃんの中から出て行けそうなの?」
「まだ方法は分かりません…。私の持っている知識ではその方法を考え出すのは難しいかもしれません。」
そう言ってふうちゃんは悲しそうにうつむきました。その表情を見てると私も悲しくて堪らなくなりました。
「ねぇ、じゃあさ。その嫌な記憶をふうちゃんがえっちゃんに見せないようにする事はできないの?」
ちょっとした思いつきを私が口にすると、それを聞いたふうちゃんがはっとした顔をしました。
「あぁ…そうですね。その事は思いつかなかった。私がエレオノールの記憶をコントロールする事は可能かもしれません。」
ふうちゃんはちょっと嬉しそうな顔をしました。
「今の私でもエレオノールを守る事が出来るかもしれない…。」
そう言って祈るように両手を組んで星空を見上げました。

それからしばらくは何事もなく時が過ぎました。
毎日昼間のえっちゃんの様子を説明していましたが、ある時、ふうちゃんが現れるちょっと前からえっちゃんの夜泣きがひどくなっていた事を思い出しました。
でもふうちゃんが出てくるようになってからは収まっています。
その事を話すとふうちゃんは深く考え込んでしまいました。
そしてしばらくして顔をあげるとこう言いました。
「エレオノールの夜泣きはおそらく私たちの記憶の所為でしょう。…その悪夢を和らげる為に、私はエレオノールの中で甦ったのかもしれません。」
「じゃあふうちゃんは、えっちゃんのためにも消えちゃいけないじゃない。」
えっちゃんが悪夢を見ないようにするためにふうちゃんが存在するなら、彼女が消える理由が無くなる、そう思って私は明るい声をあげました。
「いいえ違います。この事は多分、応急処置のような物です。あまりに大きなストレスを軽減するため、一時だけ悪夢の原因を切り離しているのでしょう…。」
「ふうちゃんがえっちゃんの悪夢を消してる訳じゃ無いの?」
私にはふうちゃんの言う事がよく分かりませんでした。
「エレオノールは悪夢に耐える為に、フランシーヌと言う別人格を作り出しているのです。…でもずっと私の人格を残したままエレオノールが成長すれば、彼女は二重人格者になってしまいます。ジキルとハイドのように。」
「それじゃあだめなの?…私、本当言うとふうちゃんともっとお話していたい…。」
意味が分からないながらも話しを聞いていて、私はふうちゃんとの別れが近い事に気が付きました。それで、それまで言うつもりの無かった心の中の声がうっかりこぼれてしまったのです。
私の言葉を聞いて、ふうちゃんははっとした顔をしました。
「私も…オネエチャンともっとお話していたかったです。あなたと一緒にいるのはとても楽しかった。エレオノールのあなたを好きな気持ちが私にも伝わって来ています。妹と言うのはこのような気持ちになるのですね。人形であった私には分かりえない気持ちです。とても…いい気持ち、です。」
そう言ってふうちゃんは私と向かい合って座りました。
「お話が出来るのは今夜で最後になるでしょう。これから私は人格を表に出さない為にエレオノールの心の奥に沈み、人間と人形のフランシーヌの記憶が溢れ出さないように押さえます。押さえきれない記憶が悪夢となってエレオノールを苦しめるでしょうが…。どうかその時はエレオノールの名前を呼んでやって下さい。えっちゃん、とずっと呼び続けて下さい。心を込めて名を呼んでくれる人がいれば、エレオノールが自分を忘れる事はありません。」
ふうちゃんは二コっと微笑みました。
あまりに優しいその顔を見て、私は「もう二度とふうちゃんと話が出来ないんだ。」と改めて感じてとても悲しくなりました。
その気持ちが顔に出ていたらしく、
「ありがとう。」
ふうちゃんはそう言って、小さな手で私の頭をなでてくれました。
「エレオノールが大人になって、もし、あなたやこの屋敷の皆さんの事を忘れてしまっても…私はあなたへの感謝をずっと忘れません。」
「えっちゃんが私の事を忘れてしまうの…?」
「えぇ。エレオノールはこれから、ものすごく時間をかけて大人にならなければいけません。きちんと自我が出来るまでの事は覚えていられないでしょう。」
悲しそうな顔をする私にふうちゃんは優しく言葉を続けます。
「あなたは自分の3歳の頃の事を覚えていますか?」
「…覚えてない。じゃあ大人になったらえっちゃんは私の事を忘れてしまうの?」
「ええ。多分普通の子どもと同じ様によほど幼い頃の事は忘れてしまうでしょう。人間はそのように出来ています。」
「そんなのさびしいよ…。」
「ですが、あなたやこのお屋敷の皆さんが優しくして下さった事を、エレオノールの身体は覚えているでしょう。記憶に無くても…魂は、そして私が忘れません。あなた方が優しさをあたえてくれたから、エレオノールはきっと優しい人間に育ちます。どんな苦難があっても心の底で優しさを守れる人間に。」
私は立ち上がり、私に最後の優しい言葉をくれたふうちゃんをそっと抱き上げました。
ふうちゃんの銀色の瞳を見つめて私は言います。
「私も忘れないよ。えっちゃんの事をずっと覚えてる。だって大事な私の妹だもん。それでね、ふうちゃんの事も忘れないよ。ふうちゃんがえっちゃんを守ってるって事。お母さんも旦那様も誰も知らないけど、フランシーヌがエレオノールの心をずっとずっと守ってる事を私は忘れないよ。」
ふうちゃんはもう一度ニコッと私に笑いかけてから空を見上げ、そしてそっと目を閉じました。



えっちゃん…あなたが5歳になる前の年、私は旦那様に勧められた縁談話を受けてお屋敷を出る事になりました。
あなたの事をお母さんだけにまかせるのは心苦しかったけど、家族の喜ぶ様をむげにも出来ず、旦那様の強い勧めもあって、心を残しながらも私はあなたのそばを離れました。
旦那様は私があなたのお世話をしていて嫁ぎ損ねるのを心配していたようです。

あなたは寂しいと泣きながら手を振ってくれましたね。
お祝いにと折ってくれた折り紙の花が涙で濡れてしまいました。

私が嫁いでからすぐ、お母さんにあなたが前よりもっと夢を見て泣くようになったと聞きました。
きっとふうちゃんの記憶を夢に見ていたのですね。
ふうちゃんもその夢を押さえるためにがんばっていたのでしょうが、きっと力が及ばなかったのでしょう。
そばでいっぱい名前を呼んであげたかったけれど、離れた場所にいる私にはそれも叶いませんでした。
お母さんには私の分も名前を呼んでくれるように頼んだけれど、あなたに声がちゃんと届いていたのかが心配です。
あなたが一番苦しい時にあなたを呼んであげられなくて、ふうちゃんのお願いを聞いてあげられなくて、私は苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。

それからしばらくして、お屋敷からあなたがいなくなったと聞かされました。
お母さんは旦那様からこう言われたそうです。
「長い間ご苦労だったね。エレオノールを育ててくれてありがとう。」
その事を教えてくれた時、お母さんは少し寂しそうでした。
ずうっと子供のままのあなたをお世話してきて、その生活が終わるとはまったく思っていなかったのだそうです。
その後、あなたが旦那さまのご友人に育てられることになったと聞きました。
私は心配していたけれど、お母さんはその方を知っていて、あなたの病気を良くご存知なのだと言っていました。だから心配する事は無いんだよ、とも。
それでもわたしの心配は止む事は無かったけれど、旦那さまやお母さんのいう事を信じて祈る事しか出来ませんでした。

小さなえっちゃん。あなたは今どこで暮らしていますか?
あなたの中のふうちゃんはずっとあなたの幸せを祈っていますよ。
えっちゃんは今、幸せですか?
私もあなたの幸せを祈っています。
私の小さな妹へ

あなたのお姉ちゃんより。



2011.4.1

 

ギイがエレオノールを連れて旅立ったのが5歳だと仮定して、年表も見返さずにイメージで書いてみました(〃▽〃)
普通の人間なら25歳になる訳だから…ずっと育てた人がいたらそりゃあ愛情も持つだろう、と妄想した訳ですよ。
正二だって自分で直接育てなかったにしろ、部屋に閉じこめてた以外は過不足無く過ごせるように努力しただろうし。
その他諸々の妄想も混ざり合ってこんな具合に仕上がりました〜
エイプリルフールにアップする自分が、空気読めてない気がします(*^^*)