トルンカの顔
目を覚まして勝は肩の傷の具合を確かめる。
まだ小さく痛みは残っているが、肉はほぼふさがり骨の方も問題ないらしい。彼は小さくため息をついた。
「まだまだアクアウィタエの効果はバッチリだって事か。」
「おう、あんちゃん起きたのかい?コーヒーでもどうだ。」
勝のつぶやきを聞きつけて男が声を掛けてきた。その手には湯気の立ったマグカップが握られていた。
「…すいません。ベッド占領しちゃって。」
寝る前に少しと言って横になったが結局、勝は朝まで眠り続けたらしい。男はソファで眠ったようだった。
「かまわねぇよ、別に。普段からベッドで寝る事もあんまりねえしな。野宿の方が多いくらいだ。
ところで肩、くっついたようだな。良かったな。」
「変に思わないんですか?…一晩でこんな大怪我が治っちゃって。」
異常な勝の治癒能力を見ても男は飄々とした態度を変えない。そんな男に勝の方が訝しげな視線を送った。
「そういう事もあるだろ。それより夕べは悪かったな。あんちゃんの話、別にどっかに売り込もうって訳じゃねぇんだ。」
とまどった勝の表情を見て、男は苦笑いを浮かべる。
「オレ自身、ずっと気にしてる事があってな。あんちゃんの話を聞いたら解決すんじゃねえかなって…そんな気がしたんだ。
そういやあんちゃん、あんた最後、あの化物の攻撃避けなかっただろ。」
「そんな事は…。」
「そうか?それまでのあんちゃんはあの化物の動きを完全に読み切ってた。それが、突然動きを止めてあいつの攻撃をまともに受けたろ。その後やっつけてたけどな。でも肉を切らせて…って感じでも無かったぜ。一歩間違えば自殺行為だ。何でだ?」
その問い掛けに答える言葉を持たない勝は絶句した。男は表情を固くする彼に唇の端を歪める。
「あの化物…トルンカさんだったんだな。」
「それは違う。…あいつはヤン・トルンカと数年前に入れ替わったんだ。」
少し俯いて勝が男の言葉に答えた。
「もしかして6年くらい前か?」
男はあごに手をやり何かを思いだすような顔をする。
「はっきりとはしないけど、多分…。」
「そういやあの人、それくらいから人当たりが良くなってな。」
当時のトルンカの様子を思いだしたようで、男は納得した顔で話しだす。
「前はくそまずかった店のビールも上手くなって。折り合いの良くなかった家族も仲よくなった。…それが化物だったって?」
「……調べたから知ってるよ。本物のヤン・トルンカがたいした人間じゃ無かったってことは。」
男の言葉に、そう言って勝は苦虫を潰したような顔をした。
勝は男に長く長く続いたしろがねと自動人形の戦いの歴史を語る。
その為に銀と金の兄弟の話はしたが、自分やいま「しろがね」として生きてる者たちについては詳細を述べなかった。
昨夜男が見た化物は、戦いの終わったこの世に残された自動人形の残党で、自分はしろがねの血をわずかに受けたそれらを破壊する者。
男には簡単にその事だけを教えた。
「それで全部だ。」
「今の話じゃ、あんちゃんが昨日の自動人形に手ぇ抜いた理由がわかんねぇな。」
「僕自身の事について、あんたに言う気はないよ。」
そう言って仏頂面をする勝に、男は小さく微笑んで話し始めた。
「ガキの頃だが…オレはゾナハ病に罹った事があってな。」
そう語る男の顔を勝が驚いたような顔で見つめる。
「……え?」
「発作を起こして死にそうになってた時、銀色の髪をした女がやって来たんだ。
その時母親は目を真ん丸にして『おばあさん…』ってつぶやいてた。」
男は勝の方を向いてニコリと笑う。
「『これはタブーなんだけどね。』銀色の髪をした女はそう言って笑うと、ベッドに横たわるオレの前に体をかがめた。
そして自分の指を噛み切って少し血を滲ませると、オレの口に含ませた。
しばらくすると発作は治まり、病気になる前以上に体に力が漲るのを感じた。
オレのゾナハ病が治ったのを確認すると、女はそれ以上何も言わずに家を出ていった。
母親もその女に何も聞く事は出来なかったらしい。
ずっと不思議に思っていたんだが、あんちゃんの話を聞いてやっと合点がいったよ。
母親はその女が自分のばあさんにそっくりだったって言ってた。
そのばあさんの母親が奇病に罹った後、行方知れずになったって話もあったらしい。
あの銀色の髪の女はその『しろがね』だったんだなぁ。自分の産んだ娘の孫の子どもを見捨てられずに助けに来たって訳だ。」
そう言って男はどこか嬉しそうな顔をした。
「そんな事が。…だから僕の傷がすぐ治っても驚かなかったんだね。」
男の話を聞いて勝は納得した表情を浮かべる。
「その後数年、オレの体の回復力は異常だったからな。今でも普通よりは丈夫だし。
おかげで無茶しがちで、カメラ持って戦場を回るようになっちまった。
6年前の例の出来事の時も参ったけどな。オレ以外誰も動けなくてよ。」
そう言って頭に手をやる男を見ながら、勝は薄汚れた壁に貼ってある膨大な写真の中の一枚に見覚えがある事に気がついた。
「この写真…。」
「おぅ。初めてジオグラフィックに掲載されたやつさ。」
「おじさんが撮った写真だったんだ。」
それは砂漠で記憶を失った時に雑誌で見た、戦争の犠牲になった子供の写真だった。
「嬉しいね。あんちゃんも見てくれた事があるんだ。」
「うん…。この写真を見て…こんな目に遭う子供を少しでも減らしたいって思って、僕は…。」
「どんな戦争だって始める理由はくだらねぇ。でもその戦争で確実に人は死ぬ。
今もどこかで戦争によって命が失われている。その事をみんなに忘れないで欲しいのさ。
あんちゃんがこの写真でそんな気持ちになってくれたってんなら…嬉しいねぇ。」
勝は微笑む男の方に顔を向けた。
「…さっき話した自動人形を作って世界を滅ぼそうとした男だけど。僕はその男の子供として育てられたんだ。
年老いたその男は、好きな女に釣り合う肉体を得る為に僕の体に乗り移ろうとした。」
勝は静かに話しだす。男は少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「あんちゃん…?」
「僕の中にはその男の記憶が刷り込まれている。…その男の感情も折りに触れ甦るんだ。
僕の母さんやおじいちゃんや…大切な人たちはみんな、そいつのせいでひどい目にあったり命を失ったりした。
僕はその男を憎まなきゃいけないのに…今の僕はあいつを憎む事が出来ない。
あいつの考えた事も体験した事も全部知ってる僕は、あいつがどうしてそうなってしまったかが分かっているから。
あいつの作った人形たちも、あいつの狂気に巻き込まれてなきゃ…人を殺さずに済んだんだ。
『人を殺す』その事は人形達の本能になっていて、それは今や不可分なんだけど…。
それに気付いてから僕は、人形達の事も憎めなくなってしまったんだ。
攻撃を避け切れなかったのは、あのトルンカの顔が…哀れな子供にしか見えなかったからだ。
僕は自分自身の存在が間違っているような気がしている。…それが莫迦げた話だってことは分かってるんだけど。」
話し終えて勝は目を伏せる。僅かな間を置いて男が口を開いた。
「ふーん。じゃあ、あんちゃんはまだまだ『坊や』ってえ訳だ。」
そう言ってニヤリと笑う男を、顔を上げた勝が睨みつけた。
「…おじさんに僕の気持ちなんか分かんないよ。」
「そりゃそうだけどな。でもあんちゃんが死んだらその人形を退治出来る人間が減っちまうんだろ?
あんちゃんが死んだら悲しむ人間も大勢いるんじゃないか。自暴自棄になるのは良くねえぜ。
大人なら、自分の役割ってもんをわきまえてるだろ?」
男は勝の頭にポンと手を載せた。勝はふと、こうやって自分の頭に手を置く別の男を思いだす。
「ちいせぇつまんねぇ事は飲み込んで、自分のやるべき事をやる、それが男ってもんだ。
そりゃまぁそうやって生きるのも難しいんだけどな。
かく言うオレもまだまだだしよ。こんな歳になってもなぁ。」
そう言って男は楽しそうに笑った。
「何だぁ?あんちゃん、18歳ってか?オレぁてっきり…」
初めて男は勝の前で本当に驚いた顔をする。男の言葉を途中でさえぎり、彼は膨れっ面でこう言った。
「その先は言わなくていい。」
(女の人に歳の事言われても気にならなくなったけど、男に言われるとやっぱムカツク。)
その膨らませた頬を見て男が楽しそうに笑いこける。
「子供に見られるのが気になるたぁ、大人の男になるには本当にもうちょっと、って所だな。」
「ほっといてよ。」
ニヤニヤ笑う男の横に立ち、勝は体に巻かれた包帯を外していた。
戦場を飛び回っている男は、その経験上、様々な応急処置に長けていた。
包帯の下に隠されていた左肩には、すでにうっすらとした痕しか残っていなかった。
「体の方はもうすっかり良いようだな。じゃあビールでも飲みに行くか。」
男の言葉に勝が目を輝かせる。
「うん。助けてくれたお礼に僕がおごるよ。」
「あんちゃんみたいなガキに奢らせる訳にゃ…」
勝の言葉に男ががりがりと頭を掻く。
「いくらプラハのビールが安いからって言っても、僕、ザルだよ?この国のビールは上手いしさ。
それに育ち盛りで良く食べるし。…おじさんが高給取りだって言うならかまわないけど。」
そう言って勝はニヤリと笑う。
「ねぇ、ここは本当に僕に奢らせてよ。おじさんの写真のファンだしさ。」
「じゃぁここはあんちゃんの顔をたてて、奢ってもらうとするか。」
男はニコニコと陽気に笑う勝の笑顔につられたように笑って頭を掻いた。
男のなじみの店で、しこたまビールとグラーシュを腹に詰め込んだ二人は肩を組んで店の外へ出た。
酒飲みの良い所はアルコールで心の壁が取り払われる事だ。時には大失敗もあるが、たまには馬の合う人間と出会える時もある。
二人は付き合いの長い友達のような顔をして別れの挨拶をした。
「次からはもう少しマシにやれると思う。おじさんも戦場では気をつけてね。」
「おう。あんちゃんも元気でな。お互い命は無駄にせんようにしようぜ。」
「うん。…本当に助けてくれてありがとう。」
そう言うと勝は男に背を向けて、オリンピアのスーツケースを手に歩き出した。
男はその後ろ姿をしばらく見つめる。
「確かにあんちゃんの人生は、ちっとしんどそうだなぁ。まぁ…がんばれや。」
小さく笑ってそう呟くと、反対側の自分の家の方に向かいゆっくりと歩き出した。
2008.4.7
クロスッつー程のコトも無いですが、男のイメージは元レンジャーのあの人ですよ(笑)
お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、ドロシーは某アニメの無愛想なアンドロイド嬢がイメージでしゅ。
さすがにドロシーはそのまんま過ぎて自分でも恥ずかしいですが。