〈前編〉

トルンカの顔

「何だ、あいつら…」
夜の街角。人気の無い暗がりで巨大な影が蠢く。
その場を通りかかった男が目を凝らすと、羽の生えた大きな人形と少年、そして人体から機械の手足が生えた不気味な何かが見える。
彼らはその暗闇の中で激しく争っていた。
「な、何だありゃ…。くそ、なんでオレ、今カメラ持ってねぇんだよ。携帯のカメラじゃ役にたたねぇ。
 ん?あっちの不気味な方についてる顔…ありゃ…ヤン・トルンカの顔じゃねぇか。」


「…ターゲットを破壊した。場所は予定通りだよ。フウ、後処理は頼めるかな?
 ちょっと怪我しちゃったんで、片づけは無理そうなんだけど。」
プラハに着き、担当した自動人形を処理した勝はフウに連絡を入れる。
〈怪我は酷いのかね?〉
通信機の向こうから老人の声がする。声音は普段と変わらないが、それなりに勝の容態を気にしているらしい。
「いや、たいした事ないけど普通の人に見られると面倒だし。」
左肩を手で押さえ、オリンピアのスーツケースから止血剤を出しつつ勝が返事をする。
〈分かった、直ちに政府に連絡するよ。それまで待てるかね?〉
「ああ…引き継ぎが来るまではいるようにするよ。来るのは警察官だよね。」
〈あぁ多分。〉
二人は通信を切った。
(くそ、思ったより出血がある…。こんな戦い方してんのバレたら、ナルミ兄ちゃんにまた小言くらっちゃうなぁ。
 畜生…人形に感情移入しすぎるの、本当にヤバいんだけど。)
勝は自動人形に受けた傷に止血剤を投与し布で縛り上げる。
痛みに感覚が麻痺し、彼は自分の怪我の状態に冷静な判断が下せないでいた。
そこに初老の男が到着する。この街の警察の責任者らしい。
「君が『しろがね』かね?」
(まだほんの子供じゃないか。)
男の声音に訝しげな色が混じる。ミッション中に会う大抵の軍人や警察官に似たような態度を取られ、そんな事に慣れている勝は、男の困惑などお構いなしに倒した自動人形を指さした。
「あぁ。ターゲットはあそこに。…確認してくれる?」
勝の言葉に従って男は自動人形に近づく。動きを止めた人形の外観は、擬態した人間の形を取り戻していた。
「これは…ヤンさんじゃ…。お前…。」
自動人形が擬態していたのはこの街のレストラン経営者だった。男もその人物を知っているようだった。
「……よく見て、彼の体。」
この反応も予測していた勝は、彼に自動人形の体を見る事を促す。彼の体内には人間の臓器以外の物が詰まっていた。
「これは…。」
「後の事は頼みます。悪いけど僕、ちょっと怪我してて。手当てしに戻りたいんだ。」
自動人形を認識した様子の男に言い捨てて、勝はオリンピアのスーツケースを手にその場を去ろうとする。
その背中に警察官の男が声を掛けた。
「……部下に病院へ送らせるが?」
「ありがとう。でも部屋に戻って一晩寝れば大丈夫だから。…お気遣い無く。」
勝は振り返って小さく微笑んだ。
彼は自動人形と戦った場所から少し離れた所に部屋を借りていた。
ふらつく足を引きずりながら、よろよろと自分のねぐらに向かう。
(……あれ?何か調子悪い。傷も思ったより深い?こんなトコで倒れたらマズイ。あの角を曲がれば部屋に着くのに。)
勝が思っている以上に深手を負った肩の傷は、彼をその場に昏倒させた。


夢の中で勝をトルンカの顔をつけた怪物が襲う。

(お前は…ヤン・トルンカ?…いや、彼に化けた自動人形か?
 あの子供は?お前の子供?人形に子供なんかいない。あれはトルンカの子供だ。
 でも…子供の前でもトルンカのふりをしていたな。
 表面はトルンカの家庭を取り繕い、影でこの街の住人を惨殺していたんだ。
 お前を壊さなきゃ、もっとたくさんの人が…大人も子供も死んでたんだ。
 お前はヤン・トルンカじゃない。あの子供の父親じゃない。…僕が殺したのは人間じゃない。)

自動人形を破壊する時、人形破壊者は事前に調査を行う。
フウの所に話が入った時点で調査をし、ターゲットが自動人形であることはほぼ確定しているのだが、万が一という事はある。
人形破壊者が人間を殺す訳にはいかない為、勝は最後の調査を自分でする事を常としていた。
しろがねである鳴海とエレオノールには自動人形を判別する能力が備わっていたが、人間である勝にはその能力は無い。
勝はこの街に着いてから、ずっとターゲットのトルンカの家族をマークしていたのだ。


「…違う。僕が殺したのはヤン・トルンカじゃない…。」
夢から覚めて目を開けた勝は、見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
「おう、あんちゃん。目ぇ覚めたか?ひどくうなされてたが。」
無精ヒゲを生やした40代くらいの厳つい顔をした男が勝に声をかける。
「あれ、僕、一体どうして?あ、オリンピアは!」
上半身を起こし慌てたようにキョロキョロと辺りを見回す勝に苦笑いして、男が部屋の入口の方を指さした。
「トランクだったらこっちに置いてあるぜ。自分の体より大事な荷物かい?」
「あ…。」
見知らぬ人間の前で取り乱した様子を見せた事に気付いて勝は少し顔を赤らめる。
「ひどい傷なんだからまだ寝てな。それとももう直っちまったか?」
厳つい顔に笑顔を浮かべて男は言った。
「あなたは…。」
「偶然、あんちゃんが化物とやり合ってんの見ちまってな。気になったんで様子見てたんだよ。
 そしたらあんちゃん、警察と別れた後しばらくしたら倒れちまうもんでさ。
 ほっとけなくてな。オレん家に引っ張り込んだって訳さ。病院とか行きたくねえんだろ?」
男はそう言ってニヤリと笑う。
「ありがとう…ございます。」
助けてもらった事に感謝して、勝は素直に礼を言った。
肩の傷には清潔な包帯で手当てがしてあった。
慣れない者が巻いても上手く出来ないが、非常に丁寧且つきれいに巻かれている。
「具合が良くなったら話して欲しいんだけどさ。あんちゃんが何もんで、あの化物が何かってさ。」
「そ、それはちょっと…。」
男の部屋の様子からジャーナリストかカメラマンらしいことが推測された。
壁中に所狭しと写真が貼り付けられ、立派なカメラが部屋の一角を占領していた。
「助けてやったんだからそれぐらいいいだろ?」
話す事に気乗りしない様子の勝に、男は少し不機嫌な声を出した。
迷惑を掛けているし、徹底的に秘密にしている事柄でもない。
勝は正直この男に自動人形の事を話しても構わないとは思った。
世界中に件の出来事を知っている人間は大勢いるのだ。
しかしこの男はジャーナリズムの世界に身を置いているようだ。うかつに話して面倒な事になるのは困る。
この件を公表しようとして恥をかくのは男の方だったが。
「…話しても良いけど…他の人には言わないでくれますか?」
「それは約束出来ねぇなぁ。」
男はそう言ってとぼけた顔をする。
「…ですよね。でも報道機関に話を持って行ってももみ消されてしまいますよ?」
そうなのだ。この件は各国中で協力して一切の情報を隠蔽している。
いつか人類自身の技術力が追いついた時に、しろがねの歴史に光が当たる事はあるのかもしれない。
しかし勝はそんな日は永遠にこないのだろうと思っていた。
「そんなことやってみなきゃ…。」
しつこく話を売り込もうとする男に勝は少し態度を変えた。
「無駄だよ。」
そう言って男の顔を小さく睨む。
「あと少し寝かせてもらっていいかな。その後で説明はしてあげるよ。
 でも本当に人に話すのは止しといた方がいい。恥をかくのはあんただよ?」


ヤン・トルンカの顔をした自動人形が勝に問い掛ける。
「…お前はしろがねか?」
「違うけど…似たようなもんさ。」
勝の言葉に自動人形は不思議そうに首を傾げた。
「ふむ。初めてお目にかかるが銀色をしていないな。」
「しろがねの血を飲んだだけの普通の人間だからね、僕は。」
傍らに置いたスーツケースからキリキリと糸の引っ張られる音がする。
「人間でもしろがねでもすべて抹殺するよう命令を受けている。私はそれを遂行するだけだ。」
「そんな事はさせない。」
擬態していた体を変形させ、自動人形は勝に襲いかかる。スーツケースからオリンピアが飛び出し、自動人形に応戦した。
刃を交えてからお互いに飛びずさる。
「お前を殺し、そしてこの街の人間全てを殺した後は他の街に移る。」
「その人間の中にトルンカの家族は入ってるのか?」
自動人形の腕がオリンピアを操る勝の腕に伸びる。勝は余裕で人形の攻撃を避け、オリンピアの一撃を繰り出した。
間一髪でオリンピアの攻撃を交わした人形が勝の問いに答える。
「もちろんだ。そのように命令を受けている。」
「…今お前と一緒に暮らしている人間の事だぞ?」
「…わかっているよ。その事に何か問題があるのか!」
高く跳躍し、腕に付けられた刃を勝に向けて自動人形が叫んだ。
「いいや、お前がそう言ってくれる方が僕も気が楽だ。
 本当にお前は…しろがねに会った事も無いんだな。ゾナハ虫が去ってから生まれた自動人形なんだ。」
飛びかかってきた人形を跳ね除け、勝は小さな声でそう呟いた。
「ああ。私のマスターに会った事も無い。私の体が起動した時、マスターの中から動力は失われていた。
 …私に与えられているのは人を殺すという命令だけだ。」
「動き出してまだ五・六年か…なら、ほんの子供なんだな。」
「私の事を人間のように語るのは無意味だと思うが?」
離れた場所で勝と対峙した人形が無表情に言う。
「その通りだ。今壊してやる方がお前の為でもあるし。…踊れオリンピア。この人形に死の抱擁を与えてやれ!」
勝の指がオリンピアを華麗に舞わせる。トルンカの顔を付けた自動人形を胸に抱き、彼に聖母の抱擁をする。
オリンピアの腕の中でトルンカの顔は力を失っていった。
「帰って店の準備をしなければ。」
オリンピアの腕の中でトルンカの顔が弱々しい声を出す。
「その必要は無い。」
勝も小さな声でそれに答えた。人形の方はすでに勝の存在も認識していないようだ。
ただぶつぶつと自分のやらなければならない事々を呟き続ける。
「子供の面倒もみなければいけない。この街でヤン・トルンカとして生きる為に。」
「お前は人間じゃない。ヤン・トルンカじゃ無いんだ。……お前は僕に壊されるんだ。」
その勝の言葉にトルンカの顔に生気が戻る。
「何故?私は私のしなければならない事をしているだけだ。」
そう言った人形の腕が突然上がり、備わった刃が勝の左肩を貫いた。
不意をつかれた勝は、人形が放つ最後の一撃を避ける事が出来なかった。
人形の刃を肩に受けよろけるが、すぐ体を起こしオリンピアでトルンカの顔をした人形に最後の抱擁を施す。
「ここは人形の世界じゃないんだ。人間の生きる世界なんだよ。…人を殺す人形が生きていていい世界じゃないんだ。」
機能を止めた人形の前で勝はそう呟いた。