彼女について知っている二、三の事柄
街角のパブの前で男三人が話している。
そのうち一人が残り二人に手を振り、反対方向に歩き出した。
少々小柄だが子供でも無いようだ。このあたりは安宿の多い場所。
治安は良くないが、彼は不安の無い足取りで自分のねぐらの方に歩いて行く。
通りに立つ女達の一人が彼に声を掛けた。
「お兄さん、今夜どう?…あら。」
女は男の顔を見て落胆する。
「ボーヤ、子供がこんな時間にこんな所を出歩いちゃダメよ。」
「傷つくなぁ、お姉さん。
確かにお姉さんよりは子供かもしれないけど、
これでも国では結婚もできる年齢(とし)なんだよ。」
男は苦笑いして頭をかいた。
「あら、ゴメンナサイ。もしかしてアンタ中国人?」
一般にアジア人はヨーロッパの人間から見ると若く見える。
「ううん、日本人だよ。まぁ、その中でも小さい方だからね、僕は。」
少々自嘲気味に男が言った。そんな男に女は誘うような顔をして笑いかける。
「アンタが大人の男なら…楽しませてあげられるんだけど?」
「お願いしたいところだけど、今、僕ユーロの手持ちが少ないんだ。
さっき、グラッパをしこたま飲んじゃって。」
男は少々大げさにため息をついてみせる。女は婀娜っぽい目をして言った。
「USドルでもいいわよ。それにアンタかわいいから、お姉さん少しサービスしてあげるわ。」
「それはありがたいな。…そうだお姉さん、名前何て言うの?」
ニヤリと笑い、そして少し小首をかしげ男は女に名を尋ねる。
「コロンビーヌよ。ま、本名じゃないけどね。アンタは?」
「マサル。…あ〜あ、聞かなきゃ良かった。ごめん、今夜はやっぱり止めとくよ。」
男は困ったような顔で女に言った。
「え…?」
女は不機嫌な顔になる。
「悪い。僕、コロンビーヌって名前の人とは寝ないことにしてるんだ。
この通りのお姉さん達、古典から取った名前の人が多いから、
もしかしてと思って聞いてみたら…ビンゴなんだもん。」
「なによ、それ。」
「じゃ、また何か縁があったらね。」
困惑気味の女を残し、男は宿に戻って行った。
それからしばらくたって、まだ日のあるうちに女は街を歩いていた。
通りかかった公園のベンチにいつかの男が座っている。
「アンタ、確かマサルって言ったっけ。」
「あ、お姉さん。」
男も女に気付く。
「今日はひとり?最近ずっと、ここらの女の子達と遊んでるんだって?
日本人の男はこの辺じゃ珍しいから、みんなよくアンタの話をしてるよ。結構イイ客らしいわね。
こうして見てると、そんなに金回りが良さそうにも見えないけどね…。」
女が男に話しかけた。
「はは…。一応この街でも稼いでるよ。そうやって遊ぶ以外に使わないしね。別に楽しい事も無いし。」
男が軽い調子で答える。
「ふぅん、アンタ何してる人?」
「僕はサーカス芸人なんだ。この街を拠点にしてるサーカス団があるでしょ。
あそこで働かせてもらってる。…まぁそれも今晩までだけど。」
「何かやらかしたの?」
「違うよぉ。最初からの契約さ。だいたい一つの所に三〜四ヶ月くらいしかいないんだ。」
男は小石を数個手にして器用にお手玉をしてみせる。
「へぇ、上手いもんねぇ。」
女は感心して言った。
「子供の頃からやってるからね。最初は下手くそだったけど。今は多少モノになってきたかなぁ。」
男は照れたように少しはにかんで答えた。
「で、わざわざなんで日本からこんなトコロに?すっごく遠いでしょ。
…女から逃げて来たとか。」
女が少し意地の悪い顔をして言う。
「やだな、お姉さん。僕がそんな男に見える?」
男は子供のようにすねた顔をしてみせる。
「そうね、見えるわね…。」
女は少し表情を和らげた。
「まいったな。一応修業のつもりで世界を回ってるンだけど。…もしかしたら図星かなぁ。」
男は遠くを見るようにして言い、最後に眉を曇らせた。
「その女の事、まだ好きなのかい?」
「…わからないんだ。」
「ふぅん、それで自分を虐めてるって訳。」
「そんな。人聞きが悪いなぁ…。」
男は小さく言う。
「あんた別に女と寝ても楽しくないんでしょ。顔にそう書いてあるわよ。」
女の声には男をいたわるような響きがあった。
「…嫌な事は少し、忘れられるよ…。」
男の声はさらに小さくなる。
「あたしらは商売だから、金さえ払ってくれれば客が楽しんでなくても別に構わないけどね。
でも、ベテランのコロンビーヌさんとしては、プライドにかけてアンタを楽しませてあげたいわねぇ。」
女はそう言って笑った。言葉の内容とは裏腹に何故か優しい母親のような笑みを浮かべて。
「気持ちだけ受け取っとくよ。こんな事しゃべったのコロンビーヌさんが初めてさ。やっぱりベテランは違うね。」
男は小さく笑い、声の調子を明るくして言う。
「あら、またフラれちゃった。年増はお嫌い?」
女は大げさに肩をすくめてみせた。
「そんな事無いよ。僕の初恋の人はものすごく年上だったんだから。
…あんたとはもったいなくて寝らんないよ。コロンビーヌ。」
そう言って男はチケットを差し出す。
「良かったら見に来てよ。最後だから僕も少し舞台に立たせてもらうんだ。一番得意な出し物で。
きっと楽しめると思うからさ、お姉さんのイイ人と一緒においでよ。」
男は笑った。
「なんだアンタ、そんな顔出来るんじゃない。」
男の笑顔につられて女も笑う。そして二人は手を振って別れた。