〈前編〉

たんぽぽ娘

※ロバート=F=ヤング「たんぽぽ娘」のネタバレをしています。未読の方で気になる方はご注意下さい。
「ヒロさん、はい。これ落としたよ。」
今日はこの街での公演が終わり、次の街へ向かう移動日。
仲町サーカスの面々は荷物や道具の片づけで大忙しのてんやわんや。
まだ中学生の団員見習いたちも重要な人手である。
勝も平馬も涼子も大人たちに交じって忙しく立ち働いていた。
そんな時、座り込んで道具を整理していた勝の横に、ぽとんと落ちた古びた文庫本。
勝の後ろを大きな箱を抱えたヒロが通り過ぎていく。
彼が抱えた大きな箱のどこからか、この文庫本はこぼれ落ちたらしい。
その文庫本を手に勝はヒロを追いかけ声を掛けた。
「お、マサル、サンキュ。」
ヒロは笑顔で勝が差し出した文庫本を受け取る。
「…たんぽぽ娘?」
よくよく見るとその文庫は相当に昔の物らしく、日に焼けてあちこちが変色していた。
表紙のイラストも今はあまり見かけないようなもので、装丁も古くさい。
「なんか可愛らしいタイトルの本だね。もしかして…これ女の子向けの本?」
ヒロに詩を書く趣味があるらしい事は知っていた。
こう見えて彼は意外に読書家で、時間があると直木賞作家から勝も知らないような文学者まで結構幅広いジャンルの小説を読んでいた。
「んー、そうだな。オレが中学生の頃にクラスの女子がよく読んでたレーベルの文庫だから。」
勝の問いにヒロは首を少しひねって返事をする。昔の記憶を手繰っているようだ。
「ヒロさん、そんなのも読むんだね。…やっぱ詩人は違うなぁ。」
そう言って勝はキシシと笑う。
この乙女チックな文庫本とガタイの良いヒロの取り合わせがすごくアンバランスに思えたから。
「ちぇ、バカにしたな。良い本には女向けも男向けも無いんだよ。…大人も子供も関係ないしな。」
勝に笑われてヒロは思いっきり口を曲げた。でもその顔もすぐ苦笑いに変わる。
「て言ってもオレも中学生の頃は同じような事言ってたけどな。
 これは来てすぐこの街の古本屋で偶然見つけたのさ。」
そう言って文庫本のカバーを懐かしげな目をして見つめる。
「ふうん?」
そう言って勝はちょっと首をかしげる。
そんな勝の表情にヒロは軽く咳払いをして昔話を始めた。
「オレ、中学生になるまでは本なんて全然読まなかったんだけど。
 その頃好きだった女の子が読書家でさ。
 少しは話が出来るといいなぁと思って読むようになったんだよ。」
「そうだったの、それなら納得。なんかヒロさんと本なんて合わないなーって思ってたんだ。」
女の子目当てで本を読むようになったと聞いて、勝はやっと腑に落ちたような顔をする。
「失礼な奴だなぁ。まぁその思いは叶わずに読書癖だけ残った訳だけど。」
「ふふ。」
ヒロは勝の言葉に鼻を膨らませて憤慨するが、大人げないと思ったのかすぐに苦笑いの表情を浮かべた。
「で、これはその憧れの女の子に借りた本なんだ。『男の子でも絶対おもしろいから読んでみて。私このお話大好きなの』ってさ。」
「へぇ。それで本当に面白かったの?」
「正直、男が全員面白いって言うとは思えないけどな。『恋する男子』にはとても面白かったよ。」
ヒロは照れたような顔で笑った。
「どんな話?」
興味本位で勝が聞く。
ヒロが本の頁を開いて本文を読み始めた。
『…おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた』
「へ?」
ヒロが読み上げた文章に勝はきょとんとした顔をする。
「主人公に一目ぼれした女の子のセリフさ。
 彼女はタイムマシンに乗って自然の乏しくなった未来からやって来て、この時間の森や動物たちを毎日眺めていたんだ。
 そこに、主人公の男が現れた。彼女は彼に恋をした。彼女は20歳くらいで男は44歳の妻子持ち。」
「…タイムマシンってそれSFなの?なんか恋愛小説っぽい表紙なのに。
 それに20歳の女が44歳の男に一目ぼれなんて…
 恋愛に免疫の無いしろがねじゃあるまいし、普通あんまり無いんじゃない?
 あの二人の年齢は逆だしもっと離れてるけど。」
ヒロが息を切った所で勝が合いの手を入れる。
軽い気持ちで内容を聞いたのに、このままではヒロの長弁舌が始まりそうだった。
「だーッ。話の腰を折るなよ、マサル。SFにだってロマンティックな物語はあるさ。
 それにナルミとしろがねを例えに使うな。ややこしくなるから。
 今どき20歳の女の子と40歳の男の恋愛なんて珍しくないし…
 って、この小説はそういう下世話な話じゃ無いんだって。少しは黙って聞いてろ。」
「…へーい。」
勝の茶々にヒロが小さくキレてみせる。しぶしぶ勝は大人しくなった。
「とにかく、男は休暇中に山小屋近くの丘でそのたんぽぽ色の髪をした女の子と会うんだ。
 240年未来から来たっていう少女の話をもちろん信じちゃいない。
 でも彼女の話やその様子はとても生き生きしていて、2回、3回と会って話をするうちに、男はどんどん少女に魅かれてゆく。」
そこでヒロは一呼吸置く。
「でも4回目会った時、彼女は喪服を着てたんだ。
 タイムマシンを作った父親が死んで、消耗が激しいその機械を自分で修理出来ない事や、自分が今まで行っていた時間を遡る行為が、未来の法に触れる事を話した。
 そして、この時代に来れなくなってしまうかもしれないという事も。
 もう男に会う事が出来ないかもしれないから、気持だけでも伝えたいって…
 彼女は男に『愛してます』という言葉だけを残して走り去るんだ。
 男はその後も少女に会いたくて丘に行くが彼女は二度と現れなかった。」
そこでヒロは本を閉じて地面に腰を下ろす。
「それで終わり…じゃないよね?」
勝が眉間にしわを寄せて聞く。
「それじゃ何も始まってないじゃん。」
「もちろん、まだ終わりじゃないさ。ちゃんと結末はあるよ。…でもお前にあらすじだけ言ってもなぁ。」
そう言ってヒロは横目で勝を眺める。
「お子ちゃまのお前じゃ、この小説のわびさびってもんがワカンネェんじゃ無いかって思ってさ。」
「それどういう意味だよッ。…ヒロさんが中学生の時に読んだんでしょ?その本。だったら今の僕と同じじゃん。」
ヒロの目付きに含む物を感じ、勝はムキになった声を出す。
「…お前、女の子を好きになった事ないだろ?」
「そ、そんな事…。」
「しろがねの事を好きだとか言ってもダメだぞ。そんなのはカウントされねぇからな。」
ヒロの言葉に勝の心臓がドキンとはねた。
自分のしろがねに対する気持ちは、誰にも気付かれていない筈。
「そういう母ちゃんや姉ちゃんに思うような事じゃなくて…きっちり女の子に惚れるって事だ。」
そう言ってヒロはニヤッと笑った。
心の中に冷や汗をかきながら、勝はとぼけた顔でヒロに答える。
「確かに……サーカスの練習の方が楽しくて、そういうのよく分かんないかも。」
小さくため息をついてみせ、恋愛感情に疎い自分を演出する。
「だろ。」
ヒロはしたり顔で言葉を続けた。
「だからなぁ…まだお前じゃ、この本のいい所が分からないと思ってさ。」
「…そう言われるのも癪だなぁ、仕方ないけど。でもさ、後学のために一応教えといてよ。
 そこまで話を聞いて結末が分かんないのも気になるよ。」
ヒロの言葉を内心複雑に感じながらも調子を合わせて話の続きを催促する。
すごく面白い話と思った訳ではないけれど、途中で終わってしまっては先が気になる。

----- 以下白字『たんぽぽ娘』の結末に触れます。 -----

「休暇が終わった後も男は少女を忘れる事が出来なかった。彼はあの丘に休日ごとに出かけるようになる。
 彼の妻はその様子に気付いて不安気な表情を見せるようになったんだ。
 彼女は結婚して専業主婦をしているが、元々は彼の秘書だった。
 そしてある日彼は見つけるんだ。自分の妻の秘密を。」
「奥さんのひみつ…?」
勝が目を丸くしてヒロを見る。
「彼女は結婚する時にスーツケースを一つ、持って来てた。でもその中身を彼は見た事が無かったんだ。
 気分転換に掃除を始めた屋根裏で、彼は偶然そのスーツケースを落とす。
 壊れて蓋が開いた中には……あの日少女が着ていたドレスが入っていたんだ。」
「奥さんが女の子だったの…?」
「あぁ。彼女は44歳の男の元を去って、まだ若い頃の男の元に現れたんだ。」
「なんでその事を黙ってたの?」
「お前、今、目の前に女の子が現れて『未来のあなたの恋人です。』って言って来たら信じるか?」
「……あ、そうか。そりゃちょっと頭が…。」
「だろ?彼女にしたら、なるべく普通にして男に気に入ってもらえるように、自分の思いが通じるようにするしか無いんだ。ま、この話では若い頃の男は彼女に一目ぼれするんだけどな。
 そして男は彼女を自分の秘書に雇う。そのうち二人は結婚した。」
「ふうん。彼女の望みは叶ったんだ。」
「まあな。でも妻の方は不安だったんだよ。…将来男が若い頃の自分に恋をする事を知っていたからな。」
「…あ。」
「いつか男の心が自分から離れてしまうかもしれない。…そんな不安をずっと抱えてたんだ。」
「そんな…かわいそう…。」
「でも男はスーツケースの中身を見て、妻のそんな気持ちを全部理解したんだ。
 そして自分が彼女を心から愛している事にも気付く。
 二人はあらためて自分たちの絆を深めるんだよ。」