1話

ふたりがいた風景

ある日めずらしく平馬がしろがねに声をかけた。
「なぁ、しろがねさん。俺、ちょっと頼みがあるんだけど。」
彼は頬を赤くして、それでも真面目な顔でしろがねを見ている。
「はい、平馬さん。私に出来る事なら何でも伺いますけど…?」
突然の事に彼女は大きな銀色の目を皿の様に丸くして平馬を見つめた。

あの騒動が終結し、すっかり怪我の癒えた仲町サーカスの面々は日本に帰ってきた。
ゾナハ病によってしばらく人の営みが行われなかった世界は、被害の程度の差はあれど、そのままでは人間が元の生活に戻れないくらい荒れていた。
しかし逆境にあっても各国は協力しあい、復興は着実に進んだ。
彼らが戦いの傷を癒していた数ヶ月間で、世界も日本も目覚ましい回復を遂げたのだった。あと半年もすれば、人々はまた再びサーカスなどのショーを楽しむ余裕が出来るだろう。その日に向け、仲町サーカスの仲間はショーの準備やボランティア活動にあけくれた。
そんな彼らに小さな仲間が加わった。
彼の名は阿紫花平馬。
勝が黒賀村で得た一番の友だち。
彼は一度ゾナハ病にかかったものの、しろがねことエレオノールの血によってその病を免れた。
その後リーゼや涼子とともに、勝とエレオノールの窮地を救う為に戦ったのだ。
そしてその戦いの中で彼は知った。
黒賀村の人形繰りがどうして生まれたのかを。

「あのよ。その…人形繰りを教えて欲しいんだ。」
平馬は真っ赤な顔のまま、エレオノールの目をまっすぐに見つめている。
鳴海と結ばれてから、彼女は以前にも増して美しくなった。寂しげな表情が多かった以前と違い、明るく優しい顔をするようになり、さらに大人の女性の艶も出て来ている。
平馬にしたら本物の女神様を間近で見ている気分だった。
「まぁ…。そんな事でしたらいくらだって教えてさしあげますけど。でも、今となっては私よりお坊ちゃまの方が上手に人形を繰れると思うのですが。」
平馬の願いに微笑みながらエレオノールは答えた。
「あ、あいつなんかに頼めるもんかっ!」
さすがに平馬にも男の意地がある。勝の人形繰りを認めてはいても、教わるのは嫌なのだ。
目を吊り上げて声を荒げる平馬の剣幕に、エレオノールはたじろいだ。
「ごめんなさい。そんなに嫌だとは思わなくて。」
「あ、お、俺も大声出してゴメン。」
慌てて謝るエレオノールに平馬もばつの悪い顔をする。それでも彼は気を取り直してエレオノールに笑顔を向けた。
「サーカスのみんなが黒賀村に来てくれた時『あるるかん』を使っただろ?うちの村じゃ人形繰りは普通だからみんな驚きゃしないけど、しろがねさんの腕にはみんな感心してたんだぜ。」
そんな平馬の言葉にエレオノールの口元にも笑みがこぼれる。
「俺さぁ、サーカスで『あるるかん』を見た時、本当に驚いたんだ。戦わせたり、儀式以外で人形繰りが使えるなんて思ってなくてさ。『あるるかん』の演技で観客が喜んでるのが楽しくて。
俺も、人を笑わせる為に、楽しませる為に人形を使えたらいいな…って思ったんだ。」
言葉の最後に照れたような顔をして平馬はエレオノールを見た。
そんな平馬を好ましく思い、エレオノールは口を開いた。
「そうですね。そういう理由なら私の方がお坊ちゃまより先生役がふさわしいでしょう。
わかりました、平馬さん。いつでも教えてさしあげますよ。」
そう言ってエレオノールはにっこり微笑む。
「わ、やた!本当は断られると思ってたんだ。旅に出る準備もあるんだろ?忙しくないの?」
平馬はエレオノールが頼みを聞いてくれた事に喜んで満面に笑みを浮かべたが、ふと心配そうな表情をして彼女に問いかけた。
「平馬さんは人形繰りの基本が出来ていますからね。サーカス芸に応用するテクニックやコミカルな動きのコツなどをお教えすれば、舞台で映える人形繰りが出来ると思いますよ。旅の方はナルミがもう少し芸を覚えてくれないと出発する事が出来ませんから…。」

日本に戻った仲町サーカスでは、エレオノールだけでなく鳴海も団員として活動していた。
「しろがね」の体からは少量とはいえアクア・ウィタエが放出される。
鳴海の体からはともかく、柔らかい石を心臓に秘めたエレオノールは高濃度のアクア・ウィタエを放出している筈だった。フウとも相談した結果、あまり長期間 に渡って同じ人間と生活を共にしない方が良いだろうという事になった。もともと成長の遅い「しろがね」が一つ所に留まるのは難しい。二人が旅に出るのは必 然の事だったのだ。
エレオノールは小さくため息をついた。
「本当にもう少し覚えてくれれば良いのだけれど…。」
彼女のキレイな顔を平馬は見上げる。
「ナルミさん、真面目なんだけどなぁ。」
そこで彼らはテントの隅でコミカルなパントマイムの練習をする大男の方に目をやった。
始めてずいぶん経つのに鳴海の動きはいつまでたってもぎこちない。
決めのポーズも決まらず、平馬たちのいる場所からも鳴海のそばにいる勝の苦笑いの表情が見えた。
「…イマイチ、コメディのセンスは無い気がするなぁ…。」
平馬は率直に残酷な感想を言った。
そのもっともな感想を聞いてエレオノールはがっくりと肩を落としたのだった。

2008.8.26

鳴海としろがねのいる仲町サーカス。例によってだらだらと続いちゃうと思います…。
いや、これ、オチがないから(汗)
※日記で自分の書いた物を振り返るのが面倒になってきたのでこっちに移しました。2009.1.22